私の考えるメモリアルセレモニーとは

体と心と魂の意識レベルがあがってくると、

「もうそろそろ、死んでもよかよね!」
「あと、10日くらいじゃろか?」
「ほんなら、みんなに知らすっぺ!」
(あら~?この人どこの生まれの人かしらん?にひひ

そ~んな、ほんわか呑気な雰囲気からスタートする。

意識レベルが上がると、
自分の好みも、喜ぶことも、楽しみ方もわかっているから、
「最後の晩餐はどんなものを食べよかな~」
「誰と食べよかな~」「誰と最期の時を過ごそうかな~」って、
感じることが出来る。

スピリチュアルを知ってくると、
「肉体の死が自分の終わりを告げる訳ではない。
未来は永遠であり、希望があることを知っている」

自分自身がエネルギーとして、ただ変化している事を
受け入れてられている。
いうならば、サレンダーと抱擁しているようなものだ。

そうやって、本人の自己申告とともに、
私たち、メモリアルセレモニー隊は一斉に集まって活動し始めます。

さて、どんなお楽しみが待っているの?

<続く>

 

 

自分の死ぬ時期が間近に(1週間から2週間位)迫ってくると、
「そろそろ、この世をお暇するか~」と分かるようになるという
説が、死んでもない私のシナリオ(思い)なのじゃ~~~


これが、前回の話

「これって、あくまでも理想の話だよね!」
と思われるかもしれないが、
「あり得る!面白いからのってみよう!!」
と思われる方は、
一緒にこのプロジェクトを進めていきましょうか?

わたしも、まだまだ進化の意欲に燃えていますメラメラ

体、心、スピリットの進化を目指していきます。
これからは、そういうセッションや、セミナー、イベントを
企画していこうと思っています。
「素敵な死に方を実現する、生きる方法」を
進めていきましょう。

さて、これで、「死に方プロジェクト」の基本はお話ししました。

では、次はどんなセレモニーにするかをお話ししますね。

<続く>

 

 

次なる課題、
「自分のお好みの感じで、死ぬ」
にはどうすればいいか!

体の毒素が減り、血液が綺麗になってくると、
今まで引き寄せていたネガティブな思考が集まり難く
なってきます。

同じことですが、ネガティブな思考が少なってくると、
エネルギーが多く有るアップ食べ物を食べたくなったり、
シンプルな調理法でも具材のもつパワーを戴くことに、
感謝と喜びを感じてくると思います。

また、美しい音楽とか芸術、心地よい香りや居場所を好み、
かといって、それ以外のものを強く否定する気持ちも
少なくなり、調和を好み、
「様々な選択をすることが自分には出来るんだ」
と思えるようになるのではないでしょうか?

そうなると、「自分一人で生きているんじゃないんだよな~」
「生かされているんだよな」「お陰様なんだよな~、感謝!」
という思いが、当たり前のように日々湧き上がってくる。

「それじゃ、楽しい事ばかりやん!」といいたいところだが
人生というものはそうでもないところが、叙情的なのだ。

でも、辛い現象があったとしても、それをどうとらえるかで、
人生の苦楽の格差が出て来る。
それが、見えているか見えていないかで、
幸せ度合は異なってしまう。
(映画のストーリーの中に入り込んでしまうと、
観客の様な客観的な立場では物事が見られないのだ。→
つまり幻想と自分が一体化してしまうのよ~ショック!

ところが、血液が綺麗になって、心身のバランスがとれ、
偏りが無くなってくると、自分の生きている価値や意味、
使命のようなものが不思議と見えてくるのや目

人生のハンドルは自分が握っていると思うと同時に、
いい意味で「サレンダー合格出来ちゃうと、
いま起きている事実だけを見て、
「さて、今は自分に何ができるだろうか!」
と感情を感じつつも、それを横において、
やるべき行動ができるようになってくる。

そんな感覚が日常に身についてくると、
自分の体の感覚、心の立ち位置、社会の情勢とかが、
直感的に見えてきて(洞察力ともいう)、
自分の死ぬ時期が間近に(1週間から2週間位)迫ってくると、
「そろそろ、この世をお暇するか~」と分かるようになるという
説が、死んでもない私のシナリオ(思い)なのじゃ~~~クラッカー

 

 

昨日の内容は、

臨終の前にアロママッサージを施すと、
死後硬直がない!
という話を聞いたのがきっかけで、
尊厳ある死に方」ってどんなもんやねん?って
思うようになった! っちゅうところ。

それから数年たって、
マザーテレサは、路上で亡くなろうとしている方に対して
尊厳ある死に方をするために尽力されていたという話を
知ったのでした。

「あぁ、やっぱり大事なのはそこなんだよな~」
って、その話を聞いたとき
痒いところに手が届いた感覚がありました。

そもそも病死じゃない死に方をしたいよな。
ちゃ~んと寿命を全うしたいし。
長生きとか短命とか、そんな話じゃなくってさ…。

でも、最悪病死だったとしても、薬漬けや、
あっちゃこっちゃ切りまくられるのはイヤじゃ!

って強く思っていたら、いつの間にやら私のセラピーは、
そこを目指していた。
「どうやったら健康で死ねるのか!?

それを試させてくれたのが、
8年ぶりで再会した愛犬メリーの存在です。
(ブログのテーマで、メリーの奇跡をご覧くださいね!)

激やせ、下痢と下血でぼろ雑巾みたいになって現れたメリー。
アメリカと日本のチャンピオン犬の血統をもった、
モデルのように美人シェルティ犬のはずが、
治療の甲斐もなく、
麻ひもみたいに貧相な尻尾になって現れた話です。

私が試行錯誤して集めたヒーリングマシーンや
細胞を活性化するあらゆるグッズや、ヒーリングテクニック
などの殆どは、目では見えない不思議なものばかりです。

それを一つ一つメリーが受け取ってくれました。
年を取ってからの好転反応はかなりきつく、
辛い思いもさせましたが、
メリーは見事に応えてくれました。
フラフラで殆ど歩けず、3か月持たないとされていた命が、
復活してからというもの、
2年半の間は、死ぬまで散歩も楽しみました。

昨年の5月13日18歳で寿命を全うしましたが、
健康で穏やかに亡くなりました。

臭いも殆どありません。本当に綺麗な遺体でした。
しかも自分の使命をきちんと果たし終えた10日後に
息を引き取ったのはあっぱれでした。「スゴイチョキ
いや~、本当に見習う事ばかりです。

メリーに学ばせてもらったからこそ、
「人間も同じように、かっこよく死ねるのだ!」っと。
「これこそが、今から私が果たすお役目なのではないか!」

本気でそう思っています。

つまり臨終の前にアロママッサージをすることは
決まったのですが~~~~、

ここで言いたいことは「健康に死ねること」じゃん?

それは、つまんないくらいシンプルなのですが、
いかに体に毒素をためこまずに排出できるか!
つまり血液を綺麗にすることです。

次なる課題、
「自分のお好みの感じで、死ぬ」
にはどうすればいいか!

「そりゃ~メンタルが鍵だわさ音譜

<続く>

 

 

新年早々、死に方プロジェクト

なんで私が死に方構想に興味を持ち出したかというと、
すでに17、8年も前になるだろうか、
アロマの先生の下で学んでいる頃のことです。

アロマの先生から聞いた話ですが、
臨終を迎える前からアロマでボディをマッサージを
してあげると、亡くなった後も死後硬直しないらしいのです。

それを聞いた生徒さんが、亡くなろうとしているお父様に
試みたそうです。
結果は、先生の仰る通りだったそうな。

他にも、ある生徒さんは、
嫁姑の問題で、姑を恨み、大変悩まれていた方でしたが、
アロママッサージを通してお姑さんとの仲が良くなり、
お姑さんが亡くなる前も、亡くなった後もずっとマッサージを
されていたそうです。
やはり死後硬直はなく、亡くなった後のご遺体から、
一筋の涙汗を流したそうです。

私はこの話をご本人から直接伺って、
なんて愛ある素敵な話なんだろうと、感動したものです。

これが、死に方プロジェクトを考え出したきっかけでした。

尊厳ある生まれ方も死に方も私たちは選ぶ権利があるのだ!

そう考え出したら、次から次へと尊厳ある死に方
セレモニーのアイディアが溢れ出てくるのです。

散骨にするとか、音楽葬とかもそれなりに素敵だけれど、
もっともっと崇高な、神聖なる光のワーク的な死に方って、
あるんでないかい?
どんなもんかいな?って思うんよ!!

新年早々まだ続く。
なぜなら、死に方は生き方の始まりだから、
元旦に相応しい話題なのかも…