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自分を知るなら、ルーツを知れ!

 

セッションをしていると、
今悩ませている問題の原因は、
親との関係性を見ない事には、とても解決できない。

特に母親との問題が殆どです。

母親との問題は、人間関係や安心感に
影響を及ぼすことが多い。

父親との問題は、仕事や経済に関係することが多々ある。

しかしその度合いは、母親とは比べものにならない。

 

親との関係を見ていくにあたって、
さらにハードルを越えなくてはならないものがある。

それは、ルーツだ。
先祖の問題は外せないのです。

先祖関係をやることになると、
かなりスピリチュアルなセッションに発展する。

この話はまたの機会にお伝えするとして、
(前にもどこかで書いた気もするが、真っ赤な嘘かもしれぬ)

 

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(うそ・嘘・くそ?・。。かもしれぬ)

 

で、ルーツにおいて何を言いたいかというと、

ちょっと考えたのね。
今の人間関係のルーツを。

Aさんと知り合ったのって、誰からの紹介だったっけ?

Aさんを紹介してくれたBさんは、
誰からのお導き?
Bさんを会わせてくれたのってCさんじゃん。

Cさんと出会えたのは、セミナーだったよな。
そのセミナーって誰に教えて貰ったっけ?

 

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(Aさん=Bさん×Cさん⇒ご縁は繋がって行く)

 

ってな具合に、遡っていくと
私の場合は一つのパターンがあった。

その繋がりの殆どが次男の方に行き着いた。
私から次男へルーツを辿れば、

夫との出会い~最終的には私の両親に
行き着くのは当たり前なわけだが

 

不思議なことに、最近になって、
今現在の私の人間関係を次男に繋ぎ戻して
いるのだ。

無意識にご縁の巻き戻しをしているようで、
人間の行動とは興味深い。

要するに、

最近次男に会わせた友人Mさんをピックアップして、
Mさんとの人間関係のルーツを一人ひとり遡ってみると、
その間に16人も人が介在し、次男にたどり着くのだ。

 

16人を経由している間には、
多くの人に影響力を及ぼす人が4人いらした。
その人は当然私にも大きく影響を与えてくれた訳だが、
(悲しい目顔にあった人のことも当然含まれている)

今書いているブログにおいては、
凄~く地味なんだけど、でも、
私の心をほっこりさせてくれたという意味で、

私の人間形成に影響を与えてくれた人顔
いうべきなのだろう。

 

前回と前々回のブログで登場した、
痛いほどに大好きで、
そして私の人生に影響(彩りともいう)を与えてくれた
友人顔も次男の存在なくしては知り得なかった。

 

これから書こうとしている人は、
次男の小学校時代の同級生の母、
Kちゃんのことです。

 

前回のブログで出てきた女性は、
次男の幼稚園時代の友だちの母でした。

その人との深い関係性を伝えるには、
その方が味わった深い傷や経験や喜びも含めて書きたいところだが、

シリアスなプライベートについては
それなくしては書けないので、
奥の奥にあるエッセンスをお伝えするのは、かなり難しい。

でも、10分の1でも、感じたものをお話しできたらいいなぁ、って思ってる。

 

で、話はKちゃんに戻りましょうかね。

Kちゃんはハッキリ言って変顔でした。
家族からも誰からも彼女は理解されない人だった。

私も理解しがたい所は有ったが、
理解したいと思った。

何故なら、もしかしたら彼女は
誰も気づいていない真実を知っているのではないか??

もしそうならば、
その可能性を消したくなかったからだ。

 

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(理解したいの。何だかわからないあなたを)

 

(すんませんねん。次回に続きます)

 

PS:皆さんも、縁の深い友人や、
好きな人、嫌いな人などのルーツ
辿ってみてくださいまし~

 

 

(前回の続き)

もう20年以上前のヤングママ時代の話です。

勝手なもので、子供たちに一日1時間以上は
ゲームをさせない禁止令を作っている癖に、

自分たちの都合によって、
禁止令を解き、

偉そうにも、まるで慈悲かのように、
今夜だけは無制限にゲームをやってもいいよ
許可を与える。

有難いことに
子供たちは、目をキラキラ輝かせてくれる。

こうやって、
居酒屋に行く算段を整える身勝手な母たちっす。

 

それでも、近所の居酒屋に出向くときは、
交代で家に戻り、
子供たちの様子を確認しに行くところは、

まだ、母親を続行できている。

 

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(よ~く生まれてきてくれたねぇ

 

 

彼女は、とても人懐っこい性質なので、
私の元夫も気に入ってくれたのが有難い。

それを良いことに、
子供を預けて、たまに都会の繁華街に
行ったりもした。

 

有楽町のガード下は、私にとって、
めっちゃ魅惑的だった。

 

ずっと真面目に生きてきた私にとって、
人間らしい淫らなことをしている感があり・・、

妙にドキドキした。

 

戸締りされていないボロっちいたたずまいの
有楽町ガード下の飲み屋街は、

全然色気がないはずなのに、
エロい感じがしたのは何故だろか?
初夏の風がそうさせたのだろうか?

 

ガード下では私の大好きな濁酒を何杯も飲んだ。
あの頃は、いくら飲んでもいくら食べても
酔わないし、お腹もいっぱいにならなかった。

焼き鳥を食べ終わった櫛も、
筮竹を占えるくらいに数十本も溜まっていた。

40年もガード下で営業しているおっちゃんに、

私達は創業以来の新記録の客だと言われた。
何が新記録かというと、レシートの長さだ。
多分、30センチくらいあっただろう。

女二人でしかも濁酒を何杯も飲み干し、
食べるは食べるは・・、

そしてずっとアホな事を言いまくっている。

 

例えば、
お馴染みさんばかりが飲みに来る居酒屋は、
そもそもアットホームなんだけど、

私たちがいくと、さらに親睦というか、
一体感が深まり、
初めて会った人たちなのに、

みんなでシリトリをしたり、
合唱したりと、
知らぬ間に私たちが仕切ることになった。

2人があまりにも楽しそうなので、
お客さんに声をかけられ、
いつの間に誰かにご馳走になっていた。

稼げていない主婦にとってはありがたい

今考えると、銀座のホステスより
私たちの方がずっとお客様を和ませて
いたんじゃないだろうか。

で、和ませすぎてしまい、
お店の親父さんの女房が嫉妬して、

出入り禁止令を出されたこともありました。
店主が済まなそうにしていた。
「私たちって、出入りを禁止にされるくらい、
可愛くて人気ものなんよね~」

 

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(オラっちらの愛嬌度は・・レベル高いで~)

 

って言って、全然めげなかった。

 

私が1年に1度・・・
無性に遊びたくなる・・胸が高鳴る
季節が今なのは、

彼女と初めて朝帰りをした時の
ヒヤッとした朝靄と、夜明けの美しさとが
細胞に刻まれているからかもしれない。

 

彼女は道にコンタクトレンズを落としたり、
ズル剥けるほど転んでみたりと、
兎に角、二人でいると子供の様にはしゃいだ。

 

子育てしている母親なのに・・・っと
すご~く悪いことをしている感覚と同時に、

それを共有する友がいてくれること、
それが私に生きている感覚を感じさせてくれた。

子供の頃にしそびれた何かを私に思い出させて
くれた人。

 

転勤族の彼女は、
また違う場所で私にしてくれたように、
人を楽しませているだろう。

そんな彼女に人生最大の危機が
訪れたことを噂で聞いた時、

本当に何もしてあげれない事って
あるんだなって、歯がゆかった。

何も手だてがないんじゃ・・、
もう・・しゃあないじゃん。
だから・・、ずっと見守っていた。

それから何年かたって、
立ち直ってくれて・・・、私ホントに嬉しいよ。。
あのハチャメチャしていた時から、
既に20年以上の歳月が経つけれど、

今また振り返ってみるに、

私を語るのには外せない人なんだと
改めて想う。

想うだけで痛いほど好きな人。。

 

 

 

TV「サワコの朝」でサンドイッチマンが
ゲスト出演でした。

サンドイッチマンの
こびない「お笑い」がツボにはまります。

高校時代、弱~いラクビー部だったふたり。

左側の茶髪の方が伊達さん、
右側のたれ目の方は富澤さん。

 

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(サンドイッチマン)

 

高校時代ではお互いに面白い奴だと思っていたようで、

何が面白かったかというと、
こんなエピソードを語ってくれた。

当時ラクビー部に王様の様な、
理不尽なことやゴリ押しをする先輩がいて、

雨で練習が出来ない日に、

「今日は練習できないから、
お前らグランドの水たまりで泳いでみろ!」

と後輩にむちゃぶりした。

その時、富澤がこう切り返した。

「あっ!先輩・・ぼく、丁度いま泳ごうと思って
いたところだったんです。。

 

といって、
そのまま水たまりにドボン。。

 

2人ともラグビー部の癖に痛いのは嫌だそうで、
きっとオーバーアクションしたスライディングさえも、
痛くない程度に上手くかわしたんだろうな~。

 

こういった、他人にも自分にも優しいボケって、
私は大好きなんだ~。

 

 

富澤の切り返しに相方の伊達は、
「こいつ本当に面白い奴だ」と感心した訳で・・

 

阿川佐和子は富澤に、
「なんでそんな事を言えちゃったの?」
と聞くと、

富澤:
「単純に先輩を笑わせたかったのと、
どうせやらされるのなら・・、
どっちにせよ、やらなきゃならないのなら・・、

やらされるんじゃなくて、気持ちよくやろうと思ってね!」

おっと~、これがこの人の生き方の原点なのね。

 

私はそれを聞いて、すご~く好きになった。
ずば抜けた聡明さだ。

相方の伊達も似たようなところがあって、
この2人の、なんとも言い難い深い歴史と絆を感じた。

 

カウンセリングセッションをしていると、
私のツッコミ具合がツボにハマって、クライアントさんが
泣きながら笑っている場面が時々起こる。

サンドイッチマンと同じように、
クライアントさんを喜ばせてあげたくて、
私も一緒に喜びたくて仕方なくなるのは、

彼らのように、笑いのDNAがいたずらに
浮上するからだろう。

 

前回のブログで、

 

私は20代後半になって
やっと大人の遊ぶ女友達を作り、
彼女に恋をしたみたいに大好きになっていったと
お話ししましたね。

 

何だかわかんないけど、
彼女の動作や言葉の一つ一つが新鮮で
私をドツボにはめさせた。

私がボケると、明快過ぎるくらいに
彼女はツッコミを入れてくれる。

 

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(へへへん。愛しとるで~子猫ちゃん)

 

時には予想を遥かに超えた、
アドリブが行ったり来たりと、
どっちかがオシッコ漏れそうになるまで、

それは続くのだ

 

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(あんさん、それ言うたら、も~
おしっこちびるで)

 

今までかつてこんなにおもろい
女性に巡り合ったことは一度もなかった。

そして、未だに彼女を超える人に出会えていない。

 

凄い相性の良い、ダンスのパートナーとか、
「コブクロ」みたいなお互いを生かせるアーティストとか、

そんな相手に今生で出会えるだけでも
人生は有頂天になるだろう。

 

私は、彼女に会ってから有頂天になった。

 

そうは言っても、
大好きな彼女は次男の幼稚園時代のお母さん。

小さな子供がいると好き放題本能のままに遊ぶには
制限があります。

そんな時、親っていい加減なものですよね。

日頃は子供たちにゲームを
一日1時間しかさせない様に法律をつくり、

それでも、子供がなかなか止めないときは、
ドン引きするくらい文句を言いまくっている癖に、

自分たちが遊びたいときは、
その法律に特例を作って、
無制限にゲームをやってもよいと許可を与えて、

本当に親になってみて、
親っていい加減なものだな~って、
思いつつも、

あの時の自分の身勝手さや意識の低さを
懐かしくも、可愛いいものだって、

自分たちは子供以上に子供だったんだなぁと、
思えてくる。

 

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(あんたら、お利口にゲームしとってね)

 

「あんたらね~、今日は特別にゲームしていいから・・、
お母さんたちは大事なお話があるから、
仲良くしとってね!」

 

とかなんとか、偉そうなことを言って、

実はお酒を飲みにいくだけなのだ~。

そんなのは、子供たちもお見通しでしょうが、
人間というのは、ちょっとした悪巧みが
楽しくてしようがないのであ~~~る。

 

(続く)

 

 

遊ぶことさえも面倒くさい・・お家好きの私。

一日中パジャマ姿でいられるものなら、
1週間に一歩も家を出なくても
構わないくらいなのだ~。

でも、ぐうたらな私が、1年に1度・・・
無性に遊びたくなる季節が今。。

何故か胸が高鳴る今なのだ~。

 

大学時代でも会社勤めの時でも、
私は「遊ぶ」というイベントをし損ねたまま、
嫁に行った。

結婚して直ぐに子供が出来、
同時に両親ともが競い合っているかのように
入退院を繰り返していた。

23歳の頃から私の看病生活が始まり、
さらに遊びから遠ざかった。

遊びってどんなものなんだっけ?
スポーツ?
それとも習い事?
カラオケ?

私にとっての遊びは、へへへん。。
大人の遊び。

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(あんさん、飲みすぎでないかい??)

 

私の夢は夜中に女友達とフラフラと
飲み歩き、そして朝帰りすること。

そう思うと・・めっちゃ魅惑的でドキドキする。

だが、そんな事は一度も
経験したことがなかった。

 

子供の幼稚園時代の同級生の母で、
こんな風貌の女性がいた。

度ぎついメガネをかけて髪の毛は長く
1本に束ねていて~、
背がひょろ長くて、ヨレヨレのTシャツにGパン。
(そういう私もスエット姿だったけどね)

ケタケタ笑ってアッケラカン。
頭がパーみたいな感じの人だった。(最初の印象です)

その彼女は子供が幼稚園に行っている時間帯に
用事があったようで、
家を訪ねて来たことがある。

上がってもらい、
小皿にちょっとした和え物を出してあげたら、
予想外に喜んでくれた。

その反応に快くした私は、
調子に乗って、もう一品出したら、
まるでバラの花のように彼女は頬を
ピンクにして喜んだ。

 

「へぇ〜、バラの花のように
全身で喜べる人って、
大人になってもいるんだ〜

って思い・・・、ついつい、

「美味しい日本酒があるけど飲む?」

って聞いたら、

「キャ〜、いいの?いいの?いいの
わ〜〜嬉しい!!」

って、子供のように顔をくしゃくしゃにして、
はしゃぐ人。
誰かに似ている。。誰だろう?誰だったっけ?

 

転勤族の彼女は、

「真昼間っからお酒を出してくれる
家なんか、初めてよ!スゴ、凄~い」

と、目を細くしてあどけない顔をした。
それにしても・・やっぱり・誰かに似ている。

よく見ると、全然ブスじゃなかった。
それどころか、
メガネを外した彼女は美人だった!

貧相に見えていた体は、
完全に私の勘違いで、

それとは反対に、
胸も豊かで、手足も長く、話題も豊富で、
楽しみ方、喜び方を知っていた。

 

私はこの時から彼女が
好きで好きでたまらなくなった。
なんであんなに好きになっちゃったんだろか!

 

人間というのは、
やってはいけないことをコソコソと
するのが不思議に好きなものです。

悪いと言われていることって、
何気にパワーがあるから、
心が時めくのよね。

例えば・・・・、

好きで叶わぬ恋顔をしたい訳じゃなくても、
道ならぬ恋をするってあるよね。

恋しくて切なくて・・、
堂々と会えないからこそ、

心が余計に揺さぶられる。

陰のエネルギーが極まると、
爆発して陽に向かうように、

足りないものを埋めようとするのが
宇宙の原理であり、
例外なく人間も宇宙エネルギーの家族であ~~る。

 

あれれれ、また話が飛んでます。

 

要するに私は20代後半になって
やっと大人の遊ぶ女友達を作ったのだった。

 

彼女は転勤族のくせに、移転した先々で
新しい友達を作るのが得意だった。

とっても人懐っこい人柄だからだろう。

何度も言うが、私は彼女に恋をしたみたいに
大好きになっていった。

 

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(ふふふ、大しゅきねんな~

 

カラオケは、あまり興味はなかったけど、
彼女の声はたまらなく心地よかった。

自由自在に3度でハモってくれて、
ひけらかさない声のバランスに、
胸がキュンとなっては、涙が溢れる。

音楽を聴いて、涙を流したことがあるのは
一部のプロを除いて、
彼女の歌声と息子のピアノを聴いた時だけだ。

 

カラオケ

(今日も私のハートをドッキュンさせるのね)

 

ピアノ

(泣かせてくれるじゃないの、ご子息君)

 

ヒーリングにおいてもカウンセリング、
セラピー、施術にしても、

テクニックは大切なのだが、
その先がある。

感動させたり、現実に変化を起こすのは、
その人自身が作っている波動によるものだ。

微細な波動や感性は、
細か過ぎて周りからは分かりにくい。

波動は荒くて強い方が、
ダントツに目立つものだ。

3次元的な意識です。
どちらかというと陽の波動です。
物質的で、戦いや、恐れや不安が
入り混じっています。

だから魅惑的で大衆を引き付ける。
(陰陽両方あってナンボなんですが)

だが繊細な波動は網の目をすり抜けるように、
深~く浸透し調和していく。
ここに大きな価値がある。

見た目やテクニックだけでは決して補えない、

間とか・・空気感とか、
大衆さえも飲み込めるだけの
バイブレーションを表現するって、

いったいどうしてできるのだろうか?

 

究極は、存在するだけで奇跡を起こすことが
可能なんだよね。

 

 

これについてはブログか
7月17日に開催する4次元セミナーで
伝えて行けたらと思っとる。
(私の認識レベルではあるが)

 

それでは、長くなったので次回。。また

 

しか~し、ひとこと。。

 

この女友達はいったい誰に似ていたのか?

 

それはね・・・未来の私だったんです。

だから愛おしくて仕方なかったのだろう。

あの頃の私は他に文句を言わせないほど、
頑張り屋な主婦であり、
気の利く妻であり、嫁であり、
母であった。

それを、でんぐり返ししてくれたのが、
彼女だった。

 

(つづく)

 

 

初夏のきざし。

夕方になるとムズムズするのは私だけでしょうか?

ぐうたらな私が、1年に1度・・・
無性に遊びたくなる季節が今なのだ。

子供の頃から意外にも真面目だった私。
特に何かに興味を向けることもなく、
ただ、毎日平凡に生きているだけだった。

一生懸命だったのは、
高校時代の部活っす。
音楽部の部長を無理くり任されたからだ。

と言うより他にやる人がいなかった。
何故なら部員は私1人だったから。

 

なんで

(私、一人でしゅ)

 

嫌だイヤだと散々断ったのに、
幼馴染だった先輩に、私が入らないと音楽部が
潰れると脅されて・・・・、

 

こっそり逃げるように隠れて下校しようとすると、
何故か見つかってしまい、
半年間、個人レッスンの猛特訓を受けた。

 

3年生だった先輩が私に与えられる時間は、
受験体制に入る前の半年しかなかった。

音楽に何の造詣もない高校で、しょぼい音楽部だった。

何で幼馴染というだけで・・・断れなかったのか!
私はギター愛好会に入りたかったのに・・。

いじける

(運命に逆らえないものなんじゃろうな〜)

 

高校時代は音楽部の部長として部員を増やすために、
もう一人入部した奇特な1学年上の先輩と
どれだけ頭を下げただろうか。

ど素人集団を集めた割には、
観客を涙なみだで感動させるほどの
合唱団に仕上がったのは今でも不思議だ。

その時、私は指揮者になっていた。
当時から、皆と一緒に呼吸を揃えて
一つのものを作るのが心地よくなった。

先輩は、努力に努力を重ねて
芸大を首席で卒業することになる。
しかも40歳過ぎてから。

先輩にとって時間を要したのは、
家が貧しかったのもある。

 

先輩は学費や海外留学のお金を
貯めるのに必死に働いていた。
小指が少し曲がっていたために、
ピアニストは断念するしかなく

でも、人の何倍もの声量のある
オペラ歌手になった。

ちょっと性格が変わっていたから、
色んな人に悪口を言われていた。

でも、先輩は純粋だった。
だから私は付いて行けた。

夢を諦めない、食らいついていく姿勢、
どんなに不利な環境であっても
自分の道を信じ切る。

今考えてみると、
とんでもない人にとっつかまって、
個人レッスンを受けたものだ。

お陰で4オクターブも出るように
なった。

私の息子は絶対音感がありながら、
彼を伸ばしてくれる音楽家になかなか
出会えなかったが、

先輩に教えて貰うようになってから、
曲を一回聞いただけで、
とっても素敵な伴奏を奏るようになった。

こうやって繋がって行くのね、
人の縁というのは。

彼女は子供のころ両親がいなくて
さみしい思いをしていた。

それを同級生の姉がかわいそうだからって、
頻繁に先輩を晩御飯に誘った。

母もそれを快く受け入れていた。

母の受容的な態度を見ていたから、
私が母となった時にも同じように自然に
親切を表現することができた。

 

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(どの子もいいこよ)

 

同じ釜の飯を食っていた
先輩の頼みに逆らったら悪い気がして、
音楽部からとうとう逃げられなくなってしまった。

でもそれはそれで、今の私の人格形成に
大きく役立った。

先輩は高い能力をもつ合唱団の
練習会に私を参加させてくれた。

別に行きたくもなかったけれど、
断れ切れないまま行くことになった。

そして、いろいろなところに行くたびに、
自分の能力のなさを痛感した。
皆さん中学校の頃から音楽に携わっている。

なんだか必死こきだしたわたし。

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(やるっきゃないっしょ~)

今となっては10数人に増えた音楽部の
部長として、やっていかねばならない。

そうこうしているうちに、
私はどんどん指揮することの魅力に
引き込まれていった。

合唱音楽・・。。

バランス、個性、めりはり、調和、波

それは・・、人生そのもの。

ハーモニーなのだ。

 

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話は違って、こちらは「美術」のご紹介です。

クライアントさんで
集中コースを終えられて、

もともと可愛い人なのですが
どんどん美しさに磨きがかかった方。

絵美さんです。

彼女の個性がさらに浮き立って、
存在そのものが躍動感に溢れて
いるのではないでしょうか。

これ、観て頂けますか?

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(火の鳥)

 

彼女の作ってくれた小物入れなの。
洗練させていて美しいでしょ?

折りたたむとね、コレになるよ。

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(ふさふさも好き!コレ後ろ姿ね)

 

私をイメージしたときに、
「火の鳥」が出てきたんですって。

手刺繍なのだ~。

 

作品展やります

5月16日(火)~27日(土)
8:00~20:00(月曜定休)

「言葉を失った瞬間だったのに、それがとても
物語だった時」 今関 絵美さん 作品展

場所:森の酵母
パン・オ・スリール

東京都渋谷区渋谷1-4-6
ニュー青山ビル1F