遊ぶことさえも面倒くさい・・お家好きの私。
一日中パジャマ姿でいられるものなら、
1週間に一歩も家を出なくても
構わないくらいなのだ~。
でも、ぐうたらな私が、1年に1度・・・
無性に遊びたくなる季節が今。。
何故か胸が高鳴る今なのだ~。
大学時代でも会社勤めの時でも、
私は「遊ぶ」というイベントをし損ねたまま、
嫁に行った。
結婚して直ぐに子供が出来、
同時に両親ともが競い合っているかのように
入退院を繰り返していた。
23歳の頃から私の看病生活が始まり、
さらに遊びから遠ざかった。
遊びってどんなものなんだっけ?
スポーツ?
それとも習い事?
カラオケ?
私にとっての遊びは、へへへん。。
大人の遊び。
(あんさん、飲みすぎでないかい??)
私の夢は夜中に女友達とフラフラと
飲み歩き、そして朝帰りすること。
そう思うと・・めっちゃ魅惑的でドキドキする。
だが、そんな事は一度も
経験したことがなかった。
子供の幼稚園時代の同級生の母で、
こんな風貌の女性がいた。
度ぎついメガネをかけて髪の毛は長く
1本に束ねていて~、
背がひょろ長くて、ヨレヨレのTシャツにGパン。
(そういう私もスエット姿だったけどね)
ケタケタ笑ってアッケラカン。
頭がパーみたいな感じの人だった。(最初の印象です)
その彼女は子供が幼稚園に行っている時間帯に
用事があったようで、
家を訪ねて来たことがある。
上がってもらい、
小皿にちょっとした和え物を出してあげたら、
予想外に喜んでくれた。
その反応に快くした私は、
調子に乗って、もう一品出したら、
まるでバラの花のように彼女は頬を
ピンクにして喜んだ。
「へぇ〜、バラの花のように
全身で喜べる人って、
大人になってもいるんだ〜」
って思い・・・、ついつい、
「美味しい日本酒があるけど飲む?」
って聞いたら、
「キャ〜、いいの?いいの?いいの
わ〜〜嬉しい!!」
って、子供のように顔をくしゃくしゃにして、
はしゃぐ人。
誰かに似ている。。誰だろう?誰だったっけ?
転勤族の彼女は、
「真昼間っからお酒を出してくれる
家なんか、初めてよ!スゴ、凄~い」
と、目を細くしてあどけない顔をした。
それにしても・・やっぱり・誰かに似ている。
よく見ると、全然ブスじゃなかった。
それどころか、
メガネを外した彼女は美人だった!
貧相に見えていた体は、
完全に私の勘違いで、
それとは反対に、
胸も豊かで、手足も長く、話題も豊富で、
楽しみ方、喜び方を知っていた。
私はこの時から彼女が
好きで好きでたまらなくなった。
なんであんなに好きになっちゃったんだろか!
人間というのは、
やってはいけないことをコソコソと
するのが不思議に好きなものです。
悪いと言われていることって、
何気にパワーがあるから、
心が時めくのよね。
例えば・・・・、
好きで叶わぬ恋をしたい訳じゃなくても、
道ならぬ恋をするってあるよね。
恋しくて切なくて・・、
堂々と会えないからこそ、
心が余計に揺さぶられる。
陰のエネルギーが極まると、
爆発して陽に向かうように、
足りないものを埋めようとするのが
宇宙の原理であり、
例外なく人間も宇宙エネルギーの家族であ~~る。
あれれれ、また話が飛んでます。
要するに私は20代後半になって
やっと大人の遊ぶ女友達を作ったのだった。
彼女は転勤族のくせに、移転した先々で
新しい友達を作るのが得意だった。
とっても人懐っこい人柄だからだろう。
何度も言うが、私は彼女に恋をしたみたいに
大好きになっていった。
(ふふふ、大しゅきねんな~)
カラオケは、あまり興味はなかったけど、
彼女の声はたまらなく心地よかった。
自由自在に3度でハモってくれて、
ひけらかさない声のバランスに、
胸がキュンとなっては、涙が溢れる。
音楽を聴いて、涙を流したことがあるのは
一部のプロを除いて、
彼女の歌声と息子のピアノを聴いた時だけだ。
(今日も私のハートをドッキュンさせるのね)
(泣かせてくれるじゃないの、ご子息君)
ヒーリングにおいてもカウンセリング、
セラピー、施術にしても、
テクニックは大切なのだが、
その先がある。
感動させたり、現実に変化を起こすのは、
その人自身が作っている波動によるものだ。
微細な波動や感性は、
細か過ぎて周りからは分かりにくい。
波動は荒くて強い方が、
ダントツに目立つものだ。
3次元的な意識です。
どちらかというと陽の波動です。
物質的で、戦いや、恐れや不安が
入り混じっています。
だから魅惑的で大衆を引き付ける。
(陰陽両方あってナンボなんですが)
だが繊細な波動は網の目をすり抜けるように、
深~く浸透し調和していく。
ここに大きな価値がある。
見た目やテクニックだけでは決して補えない、
間とか・・空気感とか、
大衆さえも飲み込めるだけの
バイブレーションを表現するって、
いったいどうしてできるのだろうか?
究極は、存在するだけで奇跡を起こすことが
可能なんだよね。
これについてはブログか
7月17日に開催する4次元セミナーで
伝えて行けたらと思っとる。
(私の認識レベルではあるが)
それでは、長くなったので次回。。また
しか~し、ひとこと。。
この女友達はいったい誰に似ていたのか?
それはね・・・未来の私だったんです。
だから愛おしくて仕方なかったのだろう。
あの頃の私は他に文句を言わせないほど、
頑張り屋な主婦であり、
気の利く妻であり、嫁であり、
母であった。
それを、でんぐり返ししてくれたのが、
彼女だった。
(つづく)