「涙は神様がくれた贈り物」その2

9月7日の続きで、願望実現について書こうとしたけれど、
ちょっと横道にそれています。また戻りますが…。

前回、嘘泣き那旺ちゃんから始まって、
「涙は神様がくれた贈り物」のところまで書きました。

私は、子供の頃に人をおちょくって嘘泣きをしていたことは、
よく覚えているのですが、
本気で泣いた記憶がなかなか思い出せません。

そもそも何故、嘘泣きをする事を考えついたのかも定かではありませんが、

ただ、「本気で泣くという事は⇒ 弱っちい⇒ 弱いと大変なことになる⇒ 
     弱いことがばれると生きを恥さらす⇒ だとしたら死んじゃうかも」

という信念が有ったのかもしれません。
だから、自分の「弱さ」に向き合えていなかった。
結局は、人をおちょくりながら本当は自分をおちょくっていたのだ

人のカウンセリングをして気がつくことは、
上に書いたような信念の根っこに話が近づいてくると、
抵抗のサインが見えてくる場合がある。

それは、話があちらこちらに飛んだり、
クライアントさんの目が泳いだり、
気まずいのか、やけに饒舌になったり、
理論とか常識とかを持ってきて、とても早口になったりすることがあります。

これがやばくなってきたサインです。メモ

なにがヤバイって?
自分が長年避けていた本題に入ってしまうからです。
本題に入るということは、今までの考え方や生き方を手放さなければ
なりません。

大事なことは、手放すべき今までの考えや信念が悪いというわけではなく、
ただ、そろそろ手放さないと、この先、自分が成長できる可能性を
せき止めているのではないかと、魂レベルでは気がついているのです。

私のことを例にあげたとしら、

「【自分が弱い】ということを認めてしまったら、格好がつかない。恥ずかしい。」

ということは~~~~、
「私の全人格が否定される」ように思っていたのかもしれない。

でも、そういった長年付き合ってきた信念も、自分を守る為に大切な
財産だったと思います。保険みたいなものです。

保険の解約は、「手続きも面倒だし、そもそも元をとっていないのに
解約しちゃったら損じゃん。」
「今までの積んできた保険料を自分から手放すなんてアホのやることやんけ!」
と思いつつ、
「そろそろ、こんな重圧のある保険料を掛け続けて、いつ辞めるのさ。」
と囁く声も聞こえる。

「あ~面倒くさいから、今日も寝ちゃおう!
えっ!また寝ちゃうの?」
というふうに思考は堂々廻りに、な~るのだ~。

私の嘘泣きや、ポーカーフェイス、天邪鬼(あまのじゃく)的なところは、
自分の弱さを隠す保険だった。

じゃあ、本気で人前で泣くことが、
本当に弱いことなのか?みっともないことなのか?

そ~んなことは全くない。

逆に、自分を信じているからこそ、周りの評価なんて気にせずに、
「本気で泣ける」強さを持っている人なのかもしれない。

そんなことはわかっていた。(頭では)
でも自分にはそれが出来なかった。

私の天邪鬼(あまのじゃく)をサポートする存在がいた。
天邪鬼(あまのじゃく)強化月間が続く時もあった。

でもこれらの私の天邪鬼的人格は、私をそそのかしているのではなく、
私を本気でサポートしようとしていた。
私のアイデンティティを保護するために…。
必死だったあせる

では次回は、イギリスで学んだカウンセリングコースの修了課題レポートの
一部をお見せいたします。

 ホームページはこちらへ右矢印HP「笑顔 クオーレ」       

0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す