「涙は、神様からの最強の贈り物」

涙と言えば、私は小さい頃、「泣き虫、泣き真似なおちゃん」
と親や姉たちに言われていた。

泣き虫と言っても心底泣いた記憶は薄く、泣き真似は確かにしていた。

最近の名子役は、半端なく「泣き」の演技が抜群で、
比べたところで何てことはないのだが、
目ん玉の大きな子は、涙の一粒も大きい様で、ビジュアル的にも羨ましい。

さて、さらに記憶は過去に戻り、
今は亡き父が、我が子、三人娘の事を題材に、
作詞作曲した歌を宴会や結婚式で披露していた事を思い出す。

音譜「♪♪わたしのお庭の柿の木に3つの柿がな~りました。
私が付けたお名前は~♪、寝ぼけまなこの寝坊助さん(長女のこと)。
三角帽子のおにぎりちゃん(次女のこと)。
あーかいホッペのお人形ちゃん(三女=私のこと)♪♪」音譜
と父がテナー調な声で唄った後に、
「この三女が泣き真似が得意でね~」と、話は進む。

「近所にいじめっ子の男の子がいましてね。
次女がその子たちに通せん坊をされていた時、
それを見ていた末っ子(私)が大声あげて、いじめっ子を指差して泣くんですよ。
で、いじめっ子は泣き声にビックリして退散したんです。

末っ子は要領が良くてね、
いじめっ子が逃げた後に、あ~かんべ~(古い言語)と舌を出して、
何も無かった様にその道を歩いて帰るんですわ~。」

と、エピソードを述べて、その後にまた父の作品が披露される。

音譜「♪とうせんぼう、する~子がい~て、こ~わいな!♪♪」音譜と二曲目を歌い出す…。(この話は終わらなくなるから(‘-^*)/この辺で!)

私には、こういったあまのじゃく的な特性があったのでした。
人をおちょくるみたいな…。

自分がカウンセリングを勉強するまでは、
こういうズルイ性格(と判断している私)を持っていることに対して、
「私は負の部分を隠し持っているダメな奴」
と潜在意識では思っていました。

逆にそれを認めたくないからこそ、
私の友達は、自分と正反対な、純粋で画策しない人を好みました。
(そうです、投影っす)

でも今は、自分に対してたくさんのセラピーをしてきたお陰で、
そんな自分を受け止めてあげられました。
そうなると不思議なことに、
自分の中にある純粋さにどんどん気付く事が出来ました。

それからは、「物事には、両極のものが必ず存在するのだ」とわかり、
その両極を探すことが楽しくなりました。(陰陽の法則かな?)

私たちは、ただある現象に、レッテルを貼り、
一方の目でしか見れなくなってしまうと、苦しみが生まれます。

こんなとき、「もしこの考えが全くなかったとしたら??」
と、心に問いかけて見ると、逆の発想が見えてくるかもしれません。

さてと、やっと本題で、
タイトルに書いた、「涙は神様からの贈り物」、の涙とは、
戦略的な泣き真似の涙(涙の武器)もありなのですが、
私の言いたいことは、
ハートから自発的に溢れ出る涙のことです。

クライアントさんが、この自発的に溢れる涙を流している姿に
私はいつも感動します。
観音様を観ているようで、私は手を併せたくなります。

涙って凄い!

自分自身を、労わり、慈しみ、許し、抱えてくれるのは、
自分そのものなのだ。

涙はあらゆる苦悩を洗い流し、清め、
解放させてくれる最大の味方(武器)だった。

私が創造主だったとしたら、

「人間に涙という付帯物質をもれなく付けたのは、
我ながらセンスがいいじゃん!」

と自我自賛するだろう。
      (神しゃま、生意気言ってごめんm(._.)mやす)

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