(前回からの続き)

「霊の噂みたいなことをアレコレ

書くのって、如何なもんなんざんしょ?」

私が一番躊躇したのは、

こう言った類の事をブログで書くと、

静かに寝ていた霊達が、

これをきっかけに目覚めやしないかと、
嫌な予感がしてしまいました。
何故なら、かつてこの事を
一度は記事に
書こうとしたけど、

どうしても先に進めない・・・。

つまりストップがかかりました。

しかし、魔法学校シリーズを書いた
頃からな〜んとなく・・、

準備OK=許可が下りたのだー。
記事を書いているうちに、
もうだいぶ昔になるあの時の出来事が、

どんどんリアルに思い出されて
来ました。

そして、大連の記事を投稿して
すぐの事です。

私の身体に異変が起きちゃったのだー。
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ぎゃー、たしゅけて〜〜〜。。

私は記事を投稿した後、

4日連続のセミナーに出ました。

朝10時から6時まで受講するセミナー
中の事です。セミナー中に、

さっきまで何ともなかった股関節の
左側に激痛が走りました。

それは、ある手技の練習を、
近くに座る者同士が組んで、
やりあってから直ぐのことです。

その人を触ろうと思った瞬間、
なにかしらの抵抗があったのですが、
躊躇するのもなんなので、

気にせずに練習をしました。

それから10分もしないうちに、
股関節がズキズキ激痛が走り、足を引きずりながら少しずつ前に
歩くのが精一杯でした。

朝は軽快に歩いていたのに、

帰りは障害を持っている状態
の歩き方になり、

電車でも近くの人が介助してくれる

程になっちゃいました。
その時私は、一緒に練習した人の気を
受けたかと思いました。

「最近は、そういうこと(憑依される)

無かったのにな〜」

後で分かったのですが、私と組んだ
人は、憑依体質だと言って
いました。電気製品を壊しまくりとも・・。

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「なるほど〜。見たまんま、
私も確かにそう思う・・・」

それから3日間は酷い歩き方

をしながら、

何とか頑張ってセミナーを通い終えた
のでした。そうこうしていると、

三ヶ月コースのセッションに
いらしてくれているクライアントさんが、
来て早々にこう言うんです。

クライアントさん:
「那旺さん、大丈夫でしたか?」って。。。。
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私:「はぁ?大丈夫って、何よ?」

<続く>

 

(前回からの続き)

どうやら戦中〜戦後に、
満州から引き上げて来た途中で、

無念にも力尽きて亡くなられた
方達の中には、

自分が死んでしまった事にも

気付かずに、

寒い中もずっと時間が止まって

いるんですね。

もう戦後70年も経っているのに、

霊たちにしたらまだ、
自分の人生は終わってないのだと思う。

死しても横井さんや小野田少尉
みたいな方達や、
戦争に巻き込まれた家族、
女、子供や老人達はまだ存在している。

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(本当にご苦労様でした)
結局、
彼らの居場所に私たちは野ション
とは言え、訪問する形になり、無意識にもヒーラー達は憑依される
役目を受けたことにより、
彼らと一緒に故郷に帰して貰えたのだと
思います。

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こういう架け橋もあるんですねー。

結果、めっちゃ大変な目にあったけどね。

本当に生きて帰れて良かったです。

私はここで、一生のうちに滅多に

訪れる事のない経験が出来ました。

中国ツアーに行く前は、

仲良しの霊能者にくっついて

除霊のお手伝いというか、

邪魔していたというか、

とにかく霊能者に連れられて

何度か霊と霊能者が駆け引きして
いる場面も見ていました。

かなりシリアスな場面にも

立ち合わせて貰った事もあります。

でも、ここ中国には霊能者は

いませんでしたから、
頼る柱もありません。

何だかわからない見えないエネルギーに、

周りのヒーラー達のエネルギーが低下して
いるのだけはわかる。

でも、このむりくり実戦させられた

体験と、

魔法学校での普通じゃない修行が、

今の私のセッションに何らかの役に

立っているのは確かです。

だって、変な事に慣れ過ぎて来たせいか、

ちょっとやそっとの事では、
あまりビックリしなくなりました。

ビビる前に、今、

この瞬間に何ができるか!

最小限のエネルギーで、
最大の効果を発揮するには、

何をすべきなのか!

スイッチが入る訓練がされました。

でもね、

困った事に、

窮地にならないとそのパワーが出て
来ないんですよね〜。
(これも信念体系ですが)

火事場のくそ力っちゅう奴です。

シリアスな場面になると、

私の力に見せかけて、
実は守護霊が動くらしいです。

そうと判ると、

「努力なんかしたくね〜よ〜」
と言いたくなるが、

今の私は必死こいている時か、

反対にめっちゃフラットな時しか、
守護霊は動こうとはしてくれないのじゃー。
ちゅうかー、私がフラットじゃない時は、

守護霊のメッセージを自分の都合のいい様

に捻じ曲げて、
聞かないのが事実でごじゃる。(エゴは強い)
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そして〜、後で痛い目に合うのだー。

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ゲロ、ごめんくさい。顔
(と、顔から落ちる)

さぁ、話は逸れまくりなので戻しますが、

前にブログに書きましたね。
霊能者シリーズのブログを書く

何故迷っているかと言うと、

霊の事を具体的に書くのって、
どんなもんだろうか?と感じたからです。

神聖に扱わなくてはならないものを、

面白おかしく書けないし、

かと言ってシリアスに書いても怖すぎるし、

でも私が一番躊躇したのは、

こう言った類の事をブログで書くと、

寝ていた霊達が、

これをきっかけに目覚め顔やしないか

と、

嫌な予感がしてしまいました。<続く>

 

(前回②からの続きです)

このブログを書こうとした理由は
2つあるんです。一つは前回②のブログでも書きました
様に、

私たちが中国に行く理由は、①ヒーリングスクールのアロママッサージ
を大連病院に参入させること、

②ベイリー先生の心理学を学ぶこと

③ちょっとだけ観光する。

という行程でしたが、
今考えるとそんなのは表面的なこと
だったのだ。

その裏側の私たちの本当の働きは、
戦時中〜戦後における

満州からの帰国者達が通った
(行倒れてしまった)経路を、

私たちがバスで走るという選択肢しか
最初からなかったのかもしれない。

日本に帰りたかったのに半ば
夢断たれた兵隊さん達を、

憑依されるという役目を受けて顔
私達は彼らと一緒に故郷に帰ってくる
というシナリオ。


そう思うと全が腑に落ちてくる。

相次ぐ理由のわからない
飛行機や高速道路の閉鎖が起き、

結局は、
兵隊さんたちが引き上げる道を
私たちが通ることになったのも、ただの偶然とは言えないだろう。

中国に行くちょっと前に、
私が日本で浄霊専門の霊能者の指導を、

ちんぷんかんぷんなりに受けて
いたのも、

タイミンがが良すぎる。

だからヒーリングスクールの先生が、
何が何でも私を中国に連れてくるように
促したのも、

この裏のプロジェクトを果たすのに
私が行くことが都合が良かったのかも
しれない。

何と言っても笑っちゃうのは、

結果的に大連病院のアロママッサージ
の参入は、

どこ吹く風か、しっかり頓挫し、

私はこの中国の旅のほとんどは、
バスの隣の席で死に至るくらいに衰弱
したSさんの介助に時間を費やし、

しかもベイリー先生の心理学を
私とSさんだけ受講できなかった。

観光にしてもヒーリングスクールの
先生は、観光先で突然倒れられた。

つまり観光した記憶がほとんどないのが、
今回の中国ツアーでありました。

ここまでは私も理解しながらBlog
に書いたのですが、

それから15年以上経って、
私にも気がついていない課題を
発見してしまったのです。

 

このタイトル、
「霊能者シリーズの私の迷い 」にここで
初めて触れることになります。

ここまで、引張ておいてごめんなさい。
イライラされる方もいらっしゃるかも
しれないね。

でもね、ここまでのプロセスを
きちんと書き、理解してもらわないと、

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結構怖いのね。

何がって?

私にもよくわかんない・・・顔

でも、このエネルギーを
丁寧に扱わせて貰いたいのです。

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ごめん。
おいら、次からちゃんと進むだがのぅ。

<続く>

 

(前回からの続きです)

中国大連へ向かう途中、
トイレタイムでバスを降りました。
 

道路じゃないみたいなガタガタ道の
途中にはトイレなんかありません。
全くの野原の夜道での野ションです。

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私達が通って来たガタガタ道は、
どうやら戦中戦後に満州から引き上げて
来た途中に

無念にも力尽きて亡くなられた方達の
居場所だったんです。

飛行機が欠航になったのも、
高速道路が閉鎖されたのも、
大きく意味があったのでしょう。

いったい私達に何が出来たのだろうか?

前回のブログにも書いた通り、

私の席の隣に座っていた60代の女性が
野ションの後に不可解な言動や行動に
なりました。
手を併せ、
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しっかり目を閉じて
「ごめんなさい、ごめんなさい」と
震えながら連呼している。
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涙を流しながら、

顔は青ざめてしまいました。

それをバスの中で見ていたヒーラーたちも
グッタリしている状態。

要するに、殆どのヒーラー達が
憑依されてしまった様だ。
前回のブログと被るのでこれ以上は
控えますが、
私は何が言いたいかと言うと、
結局、その地に行く事により、

 

日本に帰りたかったのに半ば

夢断たれた兵隊さん達を、

憑依されるという役目を受けて顔

私達は彼らと一緒に故郷に
帰ってきました。

 

彼らの心中を察すると、

故郷に置いてきた家族に対する思いや、
やり残した事もあったでしょうに。

私たちにしたら、
想像を絶する最期だったのでは
ないだろうか。

ヒーリングスクールのヒーラー達は、
日本に帰ってから霊能者に浄霊をして
貰う事になりました。

そして体調を快復していきました。
と同時に、中国から帰ってきた霊達も
自然虹の元へと成仏されたのです。
実は、ここからが本題なんです。

私の課題はいったい何だったので

しょうか?

それから15年も経って、

今回よ〜やっとわかったのです。
超、ヤバイっす顔
<続く>

 

 

私は迷っていました。

魔法学校シリーズと霊能者シリーズの
ブログを書くことを。。
Unknown

けっこうヤバイ話なんじゃい

でも掲載して分かった事は、

この二つのブログが皆さんから最も
共感して頂けたブログだった訳です。

迷った分だけ思い入れが深かったのだ。

では何故迷ってたかというと、

魔法学校シリーズの場合、
学校で学んだミステリアスな秘儀を
一部明かさない限り、

私の伝えるべき事実関係がお伝え出来ない
からです。

それと、一つ間違えれば批判に取られて
しまう恐れがあり、

いずれにしても公開するには、
私の中で禁忌を破ることになるからなのね。
そういう意味で、もっと禁忌にすべき事は
霊能者シリーズだったのです。
それは、私が15年以上も前に席を置いて
いたヒーリングスクールの話なのであ〜〜る。

ヒーリングスクールの30人程のメンバーが
中国大連に行った時に話は遡ります。

大連の病院からヒーリングスクールの
アロママッサージを導入するオファーがあり、

具体的にその話を進める為に出向きました。

その話と抱き合わせで、
心理学の講座を受けるスケジュール
にもなっていました。

当時の私はヒーリングスクールの主要
メンバーになっていたものの、

旅費を払ってまでこのプログラムに
参加する気にはならなかったし、
ある方が提供している心理学にも
全く興味もなく、

逆にお金を貰ったとしても行きたく
なかったのを覚えています。

単純に面倒臭かっただけですが。

 

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ぐうたらなんです。わたスゥイ。。

でも、一番仲良しのYちゃんから
何度も何度も中国行きを誘われて、
あまりにも、しつこく誘うので理由を
聞くと、
ヒーリングスクールの先生から
那旺ちゃんを誘うように頼まれてると
教えてくれた。

結局、押しに負けて、
しかもお金を払って行く事に
なっちまっただ。

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アホやな〜。ぐうたら、大好きなにょ

中国の空港に着いたあと、
飛行機を乗り継ぎ、
大連まで1時間で到着する予定でした。

しかし天候も悪くないのに突然、
飛行機が欠航になり、

バスの手配をした途端に、

今度は高速道路が閉鎖され、

結局、ガタガタ山道で8時間の道のりを

走らなくてはならない羽目になった所
から話は進みます。

まだ、このくだりをご覧頂いて
いない方は、下記のリンクから
是非一読下さい。

一度ご覧下さった方も、

 もう一度リンクの前後のブログを
ご確認下さいませー。

 

霊能者シリーズ・16・戦争の犠牲者たち

 

とは言っても、
唐突に書いたところで
話の流れに乗り難いから

 さらに概要のみ話しますね。

ブログを読まれた方はご存知の通り、

 参加者はトイレタイムでバスを降りました。

道路じゃないみたいなガタガタ道の途中
にはトイレなんかありません。

全くの野原の夜道で野ションです。

みんなでシーシーしながら、

結構楽しそうにワイワイと、

まるで女子高生みたいに野ションを
しました。

それからが災難の始まりでした。

私たちは、

その地に長〜くとどまって
いる、ある存在達
を、

どうやら刺激してしまったのです。

 

その人ってだぁれ??

はっきり言っちゃうと幽霊さんです。

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(いきなり来て、野ションだと〜。)

静かに暮らしていた霊達からしたら、
土足で入られたようなものですね。

そこに居たのは、誰からも自分達の存在を気付いて
貰えない寂しい霊達であって、長い月日の間、
時間が止まったままだったのです。

 

<続く>