まずいじゃん。オオガミ様、どうなっちゃうの?

私は友人に「今のうちに宮司さんにお会いしとかなきゃまずくない?」
友人→「宮司さん、お年を召されているのであまり外には出てこられないんじゃない?」

と、いい加減な会話をしていたら、倉庫らしいところから「ガチャ~ん」と音がした。
「ギャホー」オオガミ様がとうとうおわしましたか 」

あまりにもタイミングのいい「ガチャ~ん」のリアクションにびっくり。
すでに30分もここにいるが、人っ子ひとりいる気配がなかったのに。

おそるおそる倉庫に近づいたら、半分シャッターが閉められている
倉庫の中に腰から下だけ足が2本見えている。(すまねぇ、あたりまえか)
どうやら人間らしい。

私はしゃがんでシャッターの中を覗いた。
「あっ!おじいさんだ」→ちゅことは宮司さんかな?

「グ・ウ・ジ・サ・ン????」って、つい赤ちゃん言葉で呼んでしまった。

余談だが、最近1歳の幼児のマリちゃんを預かることがあり、
マリちゃんの生態を面白半分に観察しすぎた為か、
私はいつの間に赤ちゃんに変身しちゃう癖が出るらしい。

同行した友人は、ナビを相手に赤ちゃん遊びをしている私を見て、
「那旺ちゃん、大丈夫か?」と心配してくれています。

さて、話を戻して~。

そう、倉庫におわします方は、宮司様でいらっしゃいました。
宮司さんは、ご機嫌が悪いのか、私の顔も見てくれないでうつむき加減。
フレンドリーにお話をしても、
「うん」か「ううん」位しかなくて、
下を向いたままコミュニュケーションが上手く通じない雰囲気。

「ありゃ、なんか気まずい時に声をかけてしまったわい」
と思いつつもこのまま帰るわけには行かないって気がして、

「御祈願はしていただけますか?」と尋ねたら、
「人がいないから出来ない」って返事が来た。

「えっ、目の前に宮司さんがいらっしゃるやん」と
思いつつも、そうか~、お支度がいろいろあるから大変なのかな?
と想像した。

「こちらの祭神はどちら様ですか?」 の問いに、
宮司さんは自宅に入られて、釜山神社のしおりを
お持ち下さった。

しおりを渡された時に宮司さんがうつむいていらっしゃった訳が
分かった気がします。
息がお苦しそうでした。
声が細くなっていらして、声と一緒に出される息が
「ヒィーヒィー」とかすっていた。

ココハ、「お犬様」ガマモッテイル・・・。「ハァ~はぁ~、、、」

私はそれ以上もう質問しなかった。
「ありがとうございます・・・」

長い間、釜山神社を守る御使命を脈々と受け継いでこられた
釜山神社のご先祖に、ただ頭を下げるしかないと思った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ここからは宮司さんのご神事をされている様子を他の資料から引用しています。

狼は、神様そのものではない。神様のお使い御眷属(ごけんぞく)と呼ばれる。
釜山神社では、月に一度、「お炊き上げ」の神事が行われる。
狼にご飯をお供えするのだ。

お米は桶に流し込み、米の量は一升。

中身に少しでも人の手が触れると、狼は食べない。
だから手が触れないでお米をとぐ。

毎月17日、岩松宮司が、ご飯を乗せた御ひつを背負って、坂道を登る。
目指すは、山頂の奥の院。

ここから、少し下がった谷間が、お供えの場所だ。
ご飯を備える姿は、誰にも見られてはならない。
代々宮司だけだ。

「300年来いれてねんだからいかねえ方がいいな。
もし何かあると困るから。」

秘密ので祝詞(のりと)が始まる。払いたまえ清めたまえ・・・パンパン。
祈り終えた宮司が谷間から戻って来る。

運んできた御ひつをお供えして、ひと月前にお供えした御ひつを持って帰って来る。

「だいたい食べちゃうんだよ きれいに。残されるようじゃ困るんだよ。」
御ひつの淵の凸凹は、狼の歯型だという。

「昔から三分三里で、ちょうど1センチぐらい下がったところに、こういう跡がつくって言うんだいな。この歯形が!不思議は不思議だな。」

大口眞神様

古き巻物

釜山神社の守り本尊 大口真神(おおぐちまがみ)
「平たく言えば、お犬様
もっと分かりやすく言えば、ニホンオオカミの原型だろうな。」
宮司の先祖は、新田大炊人義重廿五世源俊純筆  江戸初期に書いたと言う。

宮司:写真も何もないけど、口で大口真神がいるぞと言っても分からないから、書いといて、こんな形のお犬様だったかなとお知られする為に書いたと思うよ。


釜山神社は三峯神社と同じく狼信仰なので、狼様が鎮座してます。

三峯神社に向かう前に、釜山神社のオオカミ様にもご挨拶にいきました。

私の大好きなグニャグニャ道を車で走る走る。
かなり山奥です。

ここは、結構建物が古いですよ。
建物が古いというのもあるけど、人が誰もいないし、全体的にさみしい感じ。
活気が見えない。でも静かに命を感じさせる気配もなくもない。

釜山神社の参道には6頭のオオカミさんが見守ってくれています。
写真の3番目のオオカミさん、可愛いでしょ?
こんな顔したおばちゃんは、人間でもいますよね?
お顔がいい味し過ぎて、おばちゃんだかおじちゃんだか、
もう、この際どっちでもいいじゃん・・・、みたいな雰囲気。

2014-03-23 09.45.062014-03-23 09.46.162014-03-23 09.47.362014-03-23 09.49.122014-03-23 09.50.562014-03-23 09.49.22

 

創建は紀元504年、第9代開化天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵国を巡幸した折、この山で旅の安全と国内の平定安泰を祈ったのが始まりとされてます。

御祭神には、この世の五大要素の「木、火、土、金、水」の霊神が祀られていると書かれていましたが、実際どなた様なのかよくわかんない。
説明してくれている立札が、ここには何もないのだ。
全体的に寂れていて、お守りが置かれている社務所はあるものの、かなりの時間、この社務所は使われていない感じ。
何らかの祭典や行事が行われない限り開けていないのかも。
ちゅうか、行事もやっているのかなぁ?

宮司さんの自宅らしいものがあるけれど、
そこも手が入れられていない雰囲気。(余計なこと言ってすみません)

同行した友人は、「ここの宮司様は80歳を過ぎていて、
数年前に奥さんを亡くされてお一人で暮らしているらしいよ。」

宮司さんは、月に一度、「お炊き上げ」という神事をされているとのこと。
お米を研いだものを櫃に入れ、背中に背負って険しい山を上がり、
奥の宮のどこかにお供えするという神事。
それをずっと守られているそうな。
お子さんもいらっしゃらないようで、どなたが継承されるんやろか。
まさか、継承されず絶えていく可能性がある・・の?

今のところ、この境内の様子をみると、その確率は高く感じられる。
まずいじゃん。オオガミ様、どうなっちゃうの?

<続く>

2014-03-23 12.17.00

埼玉県秩父市にある三峯神社に行ってきました。

2014-03-23 12.01.28

三峯神社の狛犬は山犬(狼)さんです。
シャープで筋肉質でワイルドな感じがたまらなく可愛い。

三峯神社では狼が神の遣いとされているそうです。

かつて、ヤマトタケルノミコトが東征の途中で
ここを通ったときに狼が案内したと言い伝えられています。
村人からも「お犬様(オイヌサマ)」と呼ばれ、
猪や鹿除けとして田畑を守り、また盗人や火災からも
村を守ると言い伝えられ大切にされてきたようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は現在大田区池上線の御嶽山に住んでます。
4年前に品川区から引っ越したくなった理由は、
今考えると御嶽神社に引き寄せられたからなのかもしれません。

4年前のある日突然「引っ越さなきゃいけない!」と思い、
地図を広げ、気学の吉の方角を探しました。

吉の方角は御嶽山駅周辺しか見当たりません。
その時私は夢遊病の様にすぐに御嶽山に向かったのです。

心の中で、御嶽山駅に着いたら一番最初に見つけた
不動産屋さんの窓を覗き、不動産屋さんと目が合ったら、
その人の勧めた物件に決めるつもりになっていました。

まるで運試しのバクチみたいですね。

その不動産屋さんは家相が完璧に揃った物件を勧めてくれました。
不動産屋さんは家相の知識はなかったのですが、
私は、「これぞ神のお計らいじゃ~!」と思って即決です。

引っ越しをしようと発作的に思ってから、door to doorの
2時間決まっちゃったのは今でも不思議です。

そもそも、御嶽山駅なんて聞いたこともなかったんです。
でも、駅名がローカルっぽくてなぜか惹かれた。

御嶽神社があることもその時初めて知りましたが、
御嶽神社の狛犬ちゃまの姿のどこかが変で、
(きもち、ヨレヨレしているように見えた)母性愛をそそったのかもしれません。

青梅市にも武蔵御嶽神社があり、
そちらも山岳信仰で「おいぬ様」《日本狼》が祭られています。
その記事は以前書きましたから見てね。

さて、今回はそれらの神社と繋がりのある三峯神社に行ってきました。
この3つの神社が何らか点でリンクしている感じがしたので、
今回ご挨拶に参上つかまりました。

3つの神社は私のこれから進む方向性において、
重要なご縁があると感じています。

大口真神様と仲良くさせて貰うことが次のステップに繋がるのではと、

これは、ただの妄想ともいえますが・・・ね~。

前回のブログで、「自分の感情で遊んでみようテクニック」に取り組んでくださった物好きな方って、いらっしゃいますか~?

怒りながら、怒っている自分を観察するって、幽体離脱っぽくて面白かったでしょ?

怒っている自分の行為を観察していると、実は本気で怒れなくなっちゃうみたいですよ。

観察しているときの自分は、怒りの着ぐるみを脱いでいる訳なので、ただ観ているだけ~
強いて言えば、観察しながら
「ありゃ~!」とか、「わわっ~!」とか、「ほほっぅ~」とか・・・。
そんな感嘆詞しか感想は出てこない。

要するに、
人は何かを観察することと悩みを同時に考える事はできない。

笑いながら怒るって出来ないみたいに、
ごみ山の悪臭を嗅ぎながら気持ち良くなることが難しいみたいに、
悩みながら観察することは不可能です。

この法則が解ってくると人間の単純さが愛おしくなってくる。

瞑想をすることは「今ここにいる」のと同じ。

瞑想をすることで、思考を空っぽにし、
自分の呼吸や体の感覚や五感を味わい、
内なる小宇宙に誘われるのもよし。

自分の肉体から抜け出し、
目の前の自分や全体を観察し、意識を大宇宙に広げるのも良いじゃない。

どちらも覚りに近づく方法だと思います。

それを味わいきると、

「私って感情を感じるためにココに生まれてきたんだな~」

「神様、こんなに凄いものを作ってくれて、そして与えてくれてありがとう!」

って、心底思えてきて、嬉しくて涙がとまらなくなるのです

桜アップ

 

自分の感情で遊んでみたい人は試してみて!

かなり難しいと言えば難しいかもしれへんけどな~。

例えば、こんなシュチュエーションではいかが?

子供があまりにものらりくらりして言うことを聞かない。ゲームばかりやって勉強もしない。超生意気だし。「くそ~、オンドレヤ~、いい加減にしくさって、このガキ!」という場面。

あなたの怒りの感情がピークになりました。→てなところで、自分の感情を試してみる。

Aパターン(ふつうの人)
本気を出して感情にどっぷりつかって怒りまくる(これって大抵の人がいつもやっている奴ね)
◎「私って被害者、かわいそう、あいつが悪い!私は絶対に悪くない!」 と、子供(他人)と自分、そして怒っている自分と本来の自分が分離している感覚・・・みたいな。

Bパターン(気づいている私)
本気を出して怒っているのは
Aパターンと同じなのだけれど、怒っている途中で怒っている自分の着ぐるみを脱いで背中から出てみる。
着ぐるみを脱いだ自分は少し後ろに下がって観客席に行き、だだの観客になる。
◎「おっとっと、怒っちゃってるにゃん、わたし...」 と、一歩ズームを引いてみると自分の様子がよくわかるね!・・・みたいな。

Cパターン(欽ちゃん型)
このパターンは観客席もコントローラーもいりません。怒りながらも自分も子供も微笑ましくなる方法です。それは、怒りながら語尾のところだけトーンを1オクターブほど上げる↑
当然語尾はヘンテコリンな突拍子もない声になる予定。
「ナニヤッテル●ノ?↑」 「イイカゲンニシナサ●イ!↑」 ・・・みたいな。
これって、萩本欽ちゃんの秘伝です。「ナンデソウナル●ノ!」 ・・・って感じです。

※ちなみに怒りの感情をいけないものだと捉えがちですが、怒りの感情は自分の大切にしているもの(家族や仕事etc)やアイデンティティを守るために、“NO”という行為であって、かんしゃくを起こしたり人を傷つけたりするためにあるものではありません。動物たちは上手に使っています。

怒っている自分の感情をそのままに任せるか、怒っている感情に気づきながら行動するかは、相手にも自分にも影響力は大きく違ってきます。
Aのパターンからどうしても抜け出れない人は、感情解放のカウンセリングをするとBパターン以降のことが出来るようになりますよ。