(前回からの続き)
「子供であってはいけない」という
ビリーフを持つもののパターンを
説明するのに、
私から見た姉の話をご紹介すると、
ビリーフがどんな形で
作られていくのかが分かると思います。
さて、さっきの場面に戻りましょう。
映像では、
①パジャマのボタンをうまくとめられ
なかった4歳の私に、
とめてくれている筈の姉が、
②その姿をフリーズして見ている
わたし。
ちゅうことは、
姉を泣かせた犯人がいるはずだ。
目の前の映像では二人しかいないが、
原因は母の様だ。
私の知らないところで、
姉は母に怒られていた。
その場面の黒幕に母がいることに
気付いたのは、
つい1年前くらいのことだ。
何故なら「子供であってはいけない」の
ビリーフを持つクライアントさんの
セッションが度重なって、
初めて気づかされたのです![]()
姉は優等生でした。
近所でも評判の美人で、スタイルも
良く、勉強が出来るだけでなく
機転の利く娘だった![]()
お風呂上がりの髪の長い姉が、
身につけ、
髪の毛をとかしている
ちっこい私からしたら、
曲線
の芸術を観ている様で、
よだれ。。ぽたぽた![]()
(私、天女様に見とれちゃっていましゅ)
私の家は出版社に勤務する
平均的な収入の
サラリーマンの父と、
専業主婦の
3人娘の5人家族でした。
しかし問題だったのは、
父は結核で何度も入退院を
繰り返していた。
退院すると、直ぐにまた不摂生をし、
入院中も懲りずにお酒を飲んでいた
らしい。
仕事は休まずに行ってくれたが、
夜のお付き合いが絶えなくて、
麻雀やお酒、女性遊びやらと、
平日私は父を見たことはないし、
お酒臭くない父を知らない。
母親は結核は贅沢病とか
言っていたが、
家族は不安だった。
と言うより、母親の不安が経済の
不安だった。
「お父さんはいつ死ぬか分からない
病気だから、
贅沢は出来ないのよ
」
と私たちは聞かされて育ちました。
同じ話を聞かされていても、
姉妹3人はそれぞれ受け取り方が
かなり違ったのは興味深い。
このせいで、私は物の良さを
見るより先に、
「これ、いくら?
」って値段を
一番先に心配する子になった。
(お父さんが死んだら、生きてはおれん)
ビリーフって環境で作られるとは
言えないんです。
その状況の中で、
自分がどう受け取ったかどうかで、
人生が変わってくるのですね。
父親が入院をしている時は、
父の看病で母が家を空けるからなのか、
姉が親代わりで小さい妹達の
面倒を見る事になります。
姉が高校に入る時、
定期代がかかるからと言われ![]()
高校を選びました。
部活も入らず、学校から帰って家事を
こなし、成績が優秀でも短大に行く事も
許されなかった。
姉は両親に反発する事は多分一度も
無かったと思います。
確かこれは夢では無いと思うが、
姉が高校生の時のことです。
姉がお風呂に入っていたところを、
父親が後から入った姿を私は
見
ちゃいました。
姉は、さっと胸を隠して顔が曇った
けれど、父に何も言い返せなかった。
父親は、
姉の気持ちを無視してお風呂に
入って行ったのだった。
私は母親に言いつけたが、
母親はたいして気にも留めようとは
しなかった。
この時から私は父親のニヤケタ顔
が
インプットされて、
「父はイヤらしい男だ
」というレッテルが
張りついてしまった。
で、こんな決断をしました。
私が結婚する相手は・・・、
お酒に飲まれない人、
弱いものいじめをしない人、
ヒステリーじゃない人、
権力に屈せず、
女にだらしなくない人。
などなどと・・・・・![]()
父みたいな人間と正反対の男性と
結婚すれば、
私は絶対に幸せになれる
と決めていた。
(全て否定語と悪口の連発ですね)
きっと、母が話す父親の悪口を
聞き続けていなければ、
私はここまで父親をダメな人間だとは
思わなかっただろう。
その極端なわたしの決断が、
その後の人生を左右していくのは
言うまでもない。
(続く)













