霊性(スピリチュアリティ)と人格の高さって、
何でたいていは共通しないのかな~?
人格の高さって社会性の高さと比例したりするからか!

私にとってのマスターの定義は、
「その人の霊性の進化に影響を与える人」なのかなと
思います。
確か心屋仁之助さんが、
自分にとって苦手な人や気になる人のことを「師匠」と
敬っちゃうのが良いよ!と教えられていたけれど、
まさにその通り。
自分の人生がその人の影響下で結果的に楽になったと
したなら、その人は師匠=人生のマスターと呼べるのだろう。
自分にとって良い人とか悪い人とか嫌な奴とかの判断を、
ぜ~~んぶ取っぱらっちゃった結果だね。

要するに、大きくとらえたら自分の周りにある殆どのものは、
マスターに値することになる。

その人の見方次第でというキーワードが前提だけどね

だから、周りの人、環境、人の言った言葉、動物や植物や鉱物までも、
そして自分の内側(筋肉や内臓、細胞等)うん子までも、
み~んなマスターの卵なのだ。

わ~~い、なんか嬉しくなってきた周りは愛の宝箱だらけだわん。
ちゅうのは私だけですか?

しいて言えばマスターとは、
「出来るだけたくさんの人に、魂の成長をお伝えする人」
定義するのが私的にはしっくりきます。