今日はスピリチュアルマスターの話の続きではありますが、
これ系の話題をブログにしようと思った途端に、
毎朝4時くらいに、ちびちびっとだけど、
情報のダウンロードが開始され始めました。

何の情報かっていうと、初めは何の事だか分らなかったから、
ちびちび来ていた情報は書き留めておいた。

良く考えると、そういった情報は常にあったけど、
「あっそ!」っと、それを重要視できない私は
軽々しくも放置し、瞬時に忘れてしまうのだ。
そういえばそんなことを、数十年してきたかもしれない。
あ~なんという… おそまつな~

しかし、最近ある人との出会いをきっかけに、私は
「受け取った情報を何らかの役に立てなくてはいけないのでは?」
と思うようになった。
その人を私は「マスターと呼ぶにふさわしい」と、あんまり言いたくないが
しゃあないけど、嫌なんだけど言っちゃおう。

何故ならその人は、ハッキリ言って「超いい加減、わがまま、女ったらし」
というレッテルをはるには相応しい人なのです。
それはあくまでも道徳的な三次元レベルの話でいうとですが。

そのイイカゲンマスターの超いい加減さをみて、
私はスピリチュアリティを再度開いても良いような気になりました。
再度というのは、5年前に興味を失おうと決めたからです。

「こんな人でも結構いいリーディングするじゃん」と
思ったのが決め手で、その人に興味を持ち観察し始めました。

霊性(スピリチュアル)と人格って、
なんでたいていは共通しないのかな~?

人格と道徳的な人(いわゆる社会的システム)を同一化するから
こんがらがるんだよな。
もしくは、スピリチュアリティと霊的能力を混同するから
ぐじゃぐじゃになるのかな~? 😉