かつて私は魔法学校に5年間も
通っていた時がありました。
スピリチュアルに目覚めるって、
いったいどんな能力が開くんだろか?
そんな凄そうなことが、
お勉強をしただけで出来るように
なるのやろか
人のできないことが出来る。
人の解らないことが解る。
天使と話が出来る。
人に見えない世界の事を
教えてあげられる。
人に凄いって思われるかな?
尊敬されるかな?
な~~んちゅうことを、
本当は絶対に白状したくないけれど、
かつての私はこういった承認欲求が
欲しかったのだと思います。
(周りの人もそうだったし、多分私以上に)
私が本当に欲しかったものは、
「真実」とは何か!
「覚り」とはどんなことなのか!
この二つを知ることです。
それをひと言でいうと、
洞 察 力
が、私は欲しかったノダ~。
なのにですよ
世の中にはお勉強なんてしなくても、
その力が生まれつき備わっている
人がいます。
興味深いのは、
生まれつきサイキックな人に限って、
こんなことを言っています。
自分に見えたり、聞こえたり、
感じたりする能力が無かったら、
自分が普通の人と同じなら、
どんなに生きるのが楽だろう!
こんな力を与えた、神様に腹を立てて、
何度も「消してくれ」と逆らったのに!
と口をそろえて仰います。
そうなんです。
能力のある人ほどそう言います。
そして、40~50歳も過ぎると、
やっと、サイキック能力と自分の使命
との折り合いをつけているみたいです。
面白いもので、
欲しくないのにサイキック能力を
持って生まれて来ながら、
逃げても逃げても逃げられない人と、
スピリチュアル学校に行き、
お金を主宰者にたんまり取られながら、
ちっとも実を結ばない人が
どれだけいる事か
スピリチュアルを学ぶに従って、
エゴがむき出しになる人が
続々と増えてくるのを
私はず~と見てきました。
(スピリチュアル産業恐ろしや~)
人間とは本当に面白い動物だと思います。
<次回もスピリチュアル編・続きまする>