私達が懲りずに何度も何度も転生してくるのは、
感情と感覚(五感)を感じたいがために、
第六感目の感覚を使って生まれてくるのだろうか

以下の紫の文字の文面は、
あるチャネラーが、映画「かぐや姫」を観て、
ブログを書いていました。
ここからは映画を観ている人にしか分かり難いシェアになりますが…。
もし皆さんがこれを見てピンと来たら、
映画館へ行ってみてくださいね〜

 

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ジブリのかぐや姫物語を観ました。
この作品は 数あるジブリ作品の中でベストに入る作品でした。
ちなみにこの作品の副題はかぐや姫の罪と罰
とあるのですが
これにはこんな意味があるかもと
※知人が解説してくれました。

月の世界で涙する天女をみて
「感情」に興味をもつかぐや姫。
感情に興味をもったため
地球におとされ
感情を味わうことになった。
それがかぐや姫の罪と罰ではないかと・・・

――それを聞いて しばらくしてから
わたしはこう感じました。
喜びも感情ですが 悲しみも感情
かぐや姫が月で感じたものは
実は「故郷を離れ 寂しがっている感情」でありました。
彼女は月で「故郷から離れ 故郷を想いだして悲しむさま」に美しさを
感じたのかもしれない。
そして彼女は地球にいき 地球であらゆる感情を体験し
喜びや 周囲からの愛を感じ
やがて苦しみも感じるようになっていきます。 
魂が望む生き方をおさえこみ
人間がつくりだした「常識」や「価値観」にふりまわされて生きる現代人のように
かぐや姫も よかれとおもって彼女を都へと導いた。
竹取の翁に振り回されるかのように
都での息苦しそうな暮らしを続けていきます。
恋い焦がれる人とも引き離されて。

ですが
かぐや姫は竹取の翁に気兼ねして
自分の生きたい生き方をすることができません。
これは
常識に気兼ねして
自分らしい生き方がしづらい現代人に不思議とリンクします。
物語の最後では
かぐや姫が願ったとおり(引き寄せたとおり)
別れの感情を味わうことになって締めくくられますが
この時の映像・音楽がすばらしい。
この時の仏様や観音、天女、菩薩の集団のように見える月の住人たちが乗る雲は
まるで龍でした。
ちなみに私が作中で感じた龍のエネルギーは
次元のレベルをおおらかに考えて申し上げると
・姫を披露する宴から脱走する際のかぐや姫
・捨て丸との最後の別れで水(のようなもの)に飛び込む際の水しぶき
の2つも龍のエネルギーを発していて
個人的に面白かったです。
ですが物語としては
そんな分析はどーでもよく(笑)
野山の美しさに心を奪われました。
そして 登場人物の感情を描いている様が美しかったです。
そしてやっぱりかぐや姫は罪も罰もなかったと感じるのですが
それは観る方々の自由なんですね。
作品はひとによってさまざまな世界を創りだしてくれるから
ありがたいです。
「感情は汚れではない!」
最後のシーンでそう叫ぶ彼女が印象的でした。
そして その時父親である竹取の翁は
その心でなんと感じたのでしょうか――
この物語のタイトルはかぐや姫ですが
本来は竹取の翁から見た物語かもしれませんね。

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とても丁寧に観察されたブログだと思います。
ここに、引用させていただいてありがとうございました。

ちなみにこのブログに書いてある※「知人」とは私のことなんですが、
さらに付け加えて、
ここからが私の考えなのですが・・・。

そもそも、「罪と罰」なんて最初から存在しないのであって、
人間が創り出した概念なのでしょうから。

「罪と罰」って言葉は、
激情的でパワフルなエネルギーだから、
私たちの人生(の映像)としては魅力を感じるかもしれないけど、
この魅惑的なウジウジっていう世界に、
つい、はまってしまうと、

まるで「罪と罰がある」というのを前提に
思考を続けてしまうのが要注意

私たちは本来自由な存在なはずなんです。

月の住人は、愛をもってかぐや姫の自由意志を尊重し、
地球に送ったのだと思います。
そして帰る時も自由意志によって迎え入れた

地球に降りる前に
「月の世界で涙する天女」に魅了されていったかぐや姫は、
知らず知らずのうちに集合意識の中から感じた、

「何だかわからないんだけど知っている感覚」
心を奪われたのかもしれないな~。

まるで「ソレ!それ、それなんよ~」っと 知っているかのように…。