このタイトルから、ちょいとズレて
いる方向へ向かっているのは
何故なんじゃい?

 

そうか~~、

単純に内容に沿った
タイトルにすれば良かったんじゃい。

 

結論から言うねと、

 

「意外にもセラピーを難しくして
いるパターン」

て~のはね、

あまりにも身近すぎて、
当たり前過ぎて、

つい見逃し勝ちなところに
答えが有る確率が高いのだ。

飛び立つ

 (くっ付いているものが、あまりにも
身近過ぎるんだよね~。あ~重ぃ)

 

ある40代の男性M氏が話して
くれた事で、

な~るほど、っと思ったことが
ありました。

M氏は家庭環境が凄く複雑な
方です。

小さい頃、父親との不仲の末
母親は男性と家を出て行って
しまった。

 

どんな父親かと言うと、
仕事は直ぐにやめる、
酒癖、女癖が悪く、賭け事、

借金もするし、

なんせ喧嘩っ早くて仕事が
長続きしない人。

浮気をし出すと、
1か月くらいは家を空け、

戻ってくれば、酒を飲んで
暴れて、

子供の頃のMちゃんは
父親の機嫌が悪いとトバッチリ
で殴られた。

 

ところが、そんな父親に付いてきた

後妻の母親は、
とても優しい人だった。

 

ちゅうっちゅ

(血が繋がってなくても、愛しいよ)

 

彼は、それによって救われていた。

それなのに、養母は小学校5年生
の時に、自殺してしまった。

愛する養母の首つり自殺の
第一発見者は、なんと・・
Mちゃんだった。

次に来た後妻は、自殺した養母
ほど馴染まなかったが、
その人もいい人だった。

 

 

じゃんじゃん。。

話はこれでお終いなんです。

 

私が、気になった点は、
1か月も家をあける父親なのに、

①後妻さんが、よく愛情をもって
育ててくれたものだと言う事。

それも、後妻さんの後妻さんにも
大切に育てて貰えたことです。

こんなダメ男と断言できそうな
父親なのに何故こんなに
モテるのか?

②最初の後妻さんが自殺をした
理由は結局はわからなかった。

M氏いわく、自殺の原因は
きっと父親にあると想像はできると・・。

でも、後妻から父親の悪口は
聞いたことが一度も無かった。

 

 

Mちゃんのその後の人生は、
多少なりとも反抗期はあったにせよ、

今は経営者として人に貢献して
生きています。
幸せな家庭も持ちました。

小学生の時に
愛する人の首つり自殺を
第一発見者として体験した

その記憶や感情を、
M氏はどうやって癒して
いったかは想像を超える。

 

私が一番興味深ったのは、
彼が言った言葉です。

「僕が運がよかったのは、
優しい母親に育てられたこと
だけではない。

 確かに子供にとっては、
酷い父親だった。

感情の起伏が激しく、
いつ爆発するか分からないけど、

楽しそうな時は、楽しんでいた。
まるで子供の様に。

 

僕が有り難かったのは、
外の父親と家での父親が
変わらない人だったこと。

外でも家でも、同じように
人に怒鳴ったり暴れたりして、

誰から見ても、
ダメ人間だと評価されていたのが、

とてもシンプルで分かりやすかった。
だから自分は迷わないで
済んだんです。」

っと。

 

何を言っているかわかりますか?

 

こんなに、すさまじい家庭環境でも
彼が正気を失わないでやって
来れたのは、

お父さんの行動と心が一致して
いたし、

外と家での態度や評価が
一貫していたから、

子供からすると、
わかりやすかったんですね。

 

ただの、お馬鹿さんの
おとっちゃんな訳ね。

寅さん

(こんな感じかな~、ね!寅さん?)

 

 

さいあく

(も~困ったお人。。)

 

 

もし、このお父さんが、
社会的には評価を受けていたり、
人格者だと言われていたとして、

実は、家に帰った途端に、
子供や母親に酷い言葉を吐いたり、
暴力を奮っていたとしたら、

どうだったでしょうか?
ポイントはココなんですね。

 

(続く)