死にゆく者の瞳の奥には


私は、二人の人間の死に立ち会ったことがある。
二人とは、母と義兄のことです。

私はかつて父と母と義兄の看病をしました。
義兄は1年間くらいの闘病で亡くなりましたが、
父と母は長い闘病生活を送りました。

父親の方は検査入院のさなか、検査中に急変して事故の様になくなってしまいました。

父は1週間前には同窓会旅行に行ける程、かなり元気な状態でした。
しかし病院からは心臓が悪かったのだから何があっても仕方ないと言われ、解剖することもなく、原因の究明を果たさずして泣寝入り。

という訳で、父の死に目には(事故死に近かったので)会えなかった。

さて、父の話はともかく、死にゆく者の目に私は着目したい。

マザーテレサは「人間は、この世の人生の最期(死)の瞬間を、尊厳を持って迎えるべきである」と言っている。

マザーテレサは、虫や蛆に覆われて路上に横たわり間もなく死に絶えていく人を癒しの家に連れて帰った。
その死にゆく者の体を綺麗にし、抱きしめて最期の時を共に迎えた。
そして祈りを捧げてた。
それは死にゆく者に対して、尊厳を約束するためだ。

マザーテレサ曰く、人間は死ぬ寸前に光を観るそうだ。
神を観る目はさぞ眩しいのだろう。

私は母の目にも義兄の目にも同様の光を見つけた。
死の瞬間、母も義兄も遠くを見つめ、その目は徐々に薄くなり、最後は確信をもったような凛とした目虹になって微笑んで瞼を閉じた。

まるで何かに気付いた様に、その瞳は美しかった。

人間の誕生と死は、光そのものであり、魂の出入り時と言う意味では最大のイベントである。

でも、イベントはこの二回だけではないと私は何となく判ってしまった。
人間の「気付き」→この時も死にゆく時と同じような瞳になる。

私はカウンセリングが佳境に入った時に、この瞳に何回も出会い、立ち合い人になっている。
瞬間的な覚醒とでも言うか、一瞬、気を失ったかのような目になり、その後、瞳が少女漫画のようにキラっと輝く。
私の言語では、このことを「瞳孔が開く瞬間」と名付けている。

人間の誕生と死に立ち会えた時は、本当に感動的です。
同時に、カウンセリングの仕事は、私にとってVIPな映画を観させていただいているようなものなのです。
クライアントさんに感謝です。

※次回は、催眠療法(前世療法)で、なぜだか前世の登場人物が現世の誰だか分かってしまう訳をお伝えします。


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