「涙は神様がくれた贈り物」その3

「ロンドンスピリチュアル心理学修了過程のレポート一部抜粋」

イギリスで溝口あゆかさんのカウンセリングセッションを
初めて受けた時の事。

私は、あゆかさんに雑談のつもりでこう言いました。
「4期生の皆さん(カウンセリングコースの生徒さん)は、
シクシク泣かれていて大変でしたね!」と。

それに対してあゆかさんは、
「泣いている事をシクシクって表現する事は、
那旺さんにとって、どんな感じですか?」って。

次第に、私は軽快に返事をしていながら、
心は口ごもってきて、ジタバタし始めました。

この時、あゆかさんから「泣くと言う行為は、
弱かったり、辛かったりして泣くばかりではないんですよ。
もっと違った涙も有りますよ。」

私は、「そりゃそうですよね、私は感動したりする時は、
ボロボロ涙を流す事もありますから」と反応した。

「それとも違って解放している時の涙は、シクシク感がないはずですよ。
エネルギーが湧いてきているはずなので、淋しい感じは無いはずですよ」
とあゆかさん。

その時私は、その言葉の意味が良く分からず、フーン??という感覚でした。

それが、数ヵ月後のセッションで、
私には心底理解する事になって行ったのです。

私の持つ自我の中で、結構厄介なのは、「ヤクザの親分風存在」です。

小さい頃から常に私と一緒に居て、ちゃんと私を守ってくれる親ビンは、
かけがえのない存在であり、
自分が弱いと思っている部分を強く躾てくれて、
しかも人情厚く、何クソと奮起を促してくれる。

私が成長する上では、かけがえのない潜在意識の一部でした。

しかし、そんな存在が私の中に居るとは全く気付いていなかったし、
居たとしたならば、それは私が生きていくためには手放せない人なのです。

仮に親ビンが私を指導してくれなかったら、
きっと命の危険を感じていたと思います。

でも反面その存在が私を重苦しくさせている事も、
数回のカウンセリングセッションで薄々理解して来ていたのです。

そしてセッションを進めて行くうちに、
「親ビン」の引退の時期が近づいてきました。
それは、親ビンを手放しても今の私なら命の危険を感じることなく
生きていけると言う意味です。

カウンセリングセッションでは、ユーモラスに引退の誘導をされたのです。
引退する事と引き換えに、盛りだくさんの報酬を親ビンは受け取り、
私は親ビンの引退をバーチャルだとは知りつつも、
喜んで受け入れても良いと承諾しました。

それから、親ビンは引退しましたが、
会長クラスの80%引退なので、
20%はちょくちょく顔を出して、
良かれと思ってちょっかいをかけて来てはいるものの、
その後のセッションは順調に進みました。

私の無意識の思考には、「弱い、強い」の比較の中に
自分の中心を置いていました。
それが私の思考パターンだからです。
しかし、いつまでもそれに囚われていたならば、
<やった、やられた><被害者と加害者>というゲームからは抜け出られない。
そして、遣る瀬ないエネルギーの消耗は目に見えています。

私にやっと準備が整い、解放の時がやって来ました。
もう何も守る必要もない自分を表現する時が来ました。

長くなったのでこの辺で。
次回もう少しレポートは続きます。

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