次なる課題、
「自分のお好みの感じで、死ぬ」
にはどうすればいいか!
体の毒素が減り、血液が綺麗になってくると、
今まで引き寄せていたネガティブな思考が集まり難く
なってきます。
同じことですが、ネガティブな思考が少なってくると、
エネルギーが多く有る食べ物を食べたくなったり、
シンプルな調理法でも具材のもつパワーを戴くことに、
感謝と喜びを感じてくると思います。
また、美しい音楽とか芸術、心地よい香りや居場所を好み、
かといって、それ以外のものを強く否定する気持ちも
少なくなり、調和を好み、
「様々な選択をすることが自分には出来るんだ」
と思えるようになるのではないでしょうか?
そうなると、「自分一人で生きているんじゃないんだよな~」
「生かされているんだよな」「お陰様なんだよな~、感謝!」
という思いが、当たり前のように日々湧き上がってくる。
「それじゃ、楽しい事ばかりやん!」といいたいところだが
人生というものはそうでもないところが、叙情的なのだ。
でも、辛い現象があったとしても、それをどうとらえるかで、
人生の苦楽の格差が出て来る。
それが、見えているか見えていないかで、
幸せ度合は異なってしまう。
(映画のストーリーの中に入り込んでしまうと、
観客の様な客観的な立場では物事が見られないのだ。→
つまり幻想と自分が一体化してしまうのよ~)
ところが、血液が綺麗になって、心身のバランスがとれ、
偏りが無くなってくると、自分の生きている価値や意味、
使命のようなものが不思議と見えてくるのや。
人生のハンドルは自分が握っていると思うと同時に、
いい意味で「サレンダー出来ちゃうと、
いま起きている事実だけを見て、
「さて、今は自分に何ができるだろうか!」
と感情を感じつつも、それを横において、
やるべき行動ができるようになってくる。
そんな感覚が日常に身についてくると、
自分の体の感覚、心の立ち位置、社会の情勢とかが、
直感的に見えてきて(洞察力ともいう)、
自分の死ぬ時期が間近に(1週間から2週間位)迫ってくると、
「そろそろ、この世をお暇するか~」と分かるようになるという
説が、死んでもない私のシナリオ(思い)なのじゃ~~~