(前回からの続きです)
中国大連へ向かう途中、
トイレタイムでバスを降りました。
トイレタイムでバスを降りました。
道路じゃないみたいなガタガタ道の
途中にはトイレなんかありません。
全くの野原の夜道での野ションです。
私達が通って来たガタガタ道は、
どうやら戦中戦後に満州から引き上げて
来た途中に
無念にも力尽きて亡くなられた方達の
居場所だったんです。
飛行機が欠航になったのも、
高速道路が閉鎖されたのも、
大きく意味があったのでしょう。
いったい私達に何が出来たのだろうか?
前回のブログにも書いた通り、
私の席の隣に座っていた60代の女性が
野ションの後に不可解な言動や行動に
なりました。
野ションの後に不可解な言動や行動に
なりました。
手を併せ、
しっかり目を閉じて
「ごめんなさい、ごめんなさい」と
震えながら連呼している。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と
震えながら連呼している。
涙を流しながら、
顔は青ざめてしまいました。
それをバスの中で見ていたヒーラーたちも
グッタリしている状態。
要するに、殆どのヒーラー達が
憑依されてしまった様だ。
憑依されてしまった様だ。
前回のブログと被るのでこれ以上は
控えますが、
控えますが、
私は何が言いたいかと言うと、
結局、その地に行く事により、
彼らの心中を察すると、
故郷に置いてきた家族に対する思いや、
やり残した事もあったでしょうに。
やり残した事もあったでしょうに。
私たちにしたら、
想像を絶する最期だったのでは
ないだろうか。
ヒーリングスクールのヒーラー達は、
日本に帰ってから霊能者に浄霊をして
貰う事になりました。
そして体調を快復していきました。
と同時に、中国から帰ってきた霊達も
実は、ここからが本題なんです。
私の課題
はいったい何だったのでしょうか?
それから15年も経って、
今回よ〜やっとわかったのです。
<続く>