「字は人のために書く!」って
萩本欽ちゃんのお母ちゃんが言っていたそうな。

私の字は、自慢じゃ~な~いけれど、自分でも読めない時がちょくちょくある。
字がにょろにょろ」なんです

自分でも読めない字で痛い目にあったのは、税理士試験の時。
もう何年も前のことだけど。
1年かけて毎日コツコツと何時間も勉強してきたのに…。
「あ~それなのに、あ~それなのに~~のほいほい

税理士試験って、競争率激しいじゃないですか。
例えば1問1点の問題を間違えると、順位がドドンと後退するのだ。

私は計算問題を下書きしていたのですが、
にょろにょろっと汚く書いてしまったために
正解だったはずの数字を見誤ってしまった。
試験問題の中で一番配点の多い20点問題を、
「あ~やってもうた

1年間の苦労はにょろにょろ字によって自爆となりました。

欽ちゃん母ちゃんは、
「あんたの書いた字を人が読むんだよ、学校の先生とか友達とか、
ちゃんと書かないと迷惑がかかるんだよ」って、欽ちゃんの手を叩いて(軽く)
教えてくれたといいます。

確かにな~、字が上手いとか下手とかの問題とは別の次元で、
字に命(意識)を載せる事って必要なんだな~って、
欽ちゃん母ちゃんの話を聞いてシックリきました。

「字は人のために書く!」

そして「字は私のためにも書く」 →
あの時私にも伝わる字を書いてあげたかったな。

一瞬一瞬の時(生命)を丁寧に扱うって~行為は大事だね
その延長線上に、輝く未来があるぜぃ

 

前回のブログは森喜朗ちゃんの浅田真央ちゃんに対する発言。

「負けると分かっていた 」
「 大事なときには必ず転ぶ 」というエネルギーが
私たちの声にもありませんか?
の続き。

それに対して真央ちゃんの昨日の会見。

「人間なので失敗することもある。

失敗したくて失敗しているわけじゃない」と言うと、
「私は別になんとも思っていないですけど、
森さんが今、後悔しているのではないかなと思います」

て~のって、
真央ちゃんの中に、ちゃんと中心線があるのがわかっている
発言に聞こえました。
何故なら堂々としていて、まったく嫌みがないから。

あのショートプログラムの失敗での落胆と、
フリーの最高の演技とのギャップの中で、
彼女は何かを悟ったのだと思います。

人間は短期間で両極の究極な感情に振れると、
一瞬、右脳だけしか使えなくなる。
その時、何か得体のしれないものが、
自分の中に湧き上がるものなのです

根拠はないけど、「わたしは大丈夫!」という絶対なる何かに触れる
のだと思います。

だから、会見であのような言葉が出て来る。
嫌みのない、ネガティブな感情にまったく動じない反応が

今回のオリンピックで、
真央ちゃんは大いなるものの愛を受け取ったからこそ、
私たちはそのエネルギーに感動するのだと思う。

真央ちゃんの演技だけでなく、それも含めた彼女そのものに
私たちは感動し、私たちの中にも必ずある「根拠のない自信(愛)
」を真央ちゃんが目覚めさせてくれたのでしょう。

そうなると、森ちゃんのお代官様キャラは、けっして悪い訳でもなく、
最高のはまり役状態になってますね

私たちは恐れも受け取れるし、愛も受け取れる。
どっちが多く受け取りたいかは自分次第だからね~~。

私はその両極をどうしたいか?を選択してもらう為の
立会人、「カタリストという仕事をしています。

真央ちゃんありがとね。
そして選手たちやその家族、協力者、みんなありがとね

 

<まだ続くかも>

最近、世間をお騒がせている発言をピックアップすると、
世の中を風刺的に現しているものが2つある。

1つは、
作曲家の新垣氏が18年間にわたって聴覚障害の佐村河内守氏
のゴーストライターをしていたことを暴露した報道。

もう1つは、
森元首相が、浅田真央選手に対して、
「負けると分かっていた 」などと発言したり、
「 大事なときには必ず転ぶ 」などと指摘する失言報道。

森喜朗氏は東京五輪・パラリンピックの組織委員会長。
「結構良いポジションを貰ったなぁ、でも彼で大丈夫かしら?」
って思ったのは私だけだろうか。

何故なら彼は「大事なときには必ず失言する」からなのよん

でも、世の中には森さんに同感する考え方の人も沢山いるだろうし、
まったく反対の考えの人もいて当たり前だし何も問題ない。

でも、一つだけ言えるのは、自分の心の中にある思いや感情しか、
私たちってピックアップしないのだ。

だからその思いの密度が自分の中にたっぷり有れば、
今回の森さんみたいに「ビビビ~っ」と反応しちゃうわけよ
その逆で、密度が薄ければ、見えないか聞こえないか
スルーしちゃうはずなのね。

それは、森さんに限らず私たちも含めてだけど…。

つまり何を言いたいかというと、きっと森さんご自身は、
「自分は大事な時に失敗(失言)する!」って潜在意識では
思っているかも?と想像できるわけなの。

もしかしたら森ちゃんは、両親に「大事な時に失敗しくさって!!」
もしくは、「大事なときには必ず転ぶ 子は悪い子!」
と、そんな風に言われて育ってきたのかもしれないなぁ。
だから「ちゃんとしていないと愛してもらえない」と
思って生きてきたかもしれない。
(これって思いっきりレッテル貼ってます。ごめんなさい森ちゃん)

多かれ少なかれそういうものって誰にもあるじゃない?
私にもまだあるよ。

「認められない私はダメな私。だから生きている価値がない」って。
「だから虚勢をはって生きるのじゃ~」ってな風に決めちゃうの。

人と比べるから、いくら何かを達成したとしても、
「まだまだ駄目だ、そんなんじゃ絶対に失格!」といって、
競争の中に自分の身を置くから、いつまで経っても苦しいのだ。

両親の言霊が、いつまでたっても呪いのように頭をよぎるんだな~
「あなたは 大事なときには必ず転ぶんだよね! 」って。

だから他人に、そのことをフツーに言いたくなるのだ。

親が死んじゃったって、認知症になっちゃっても、受け取ったその呪いは
生涯に渡って自分の耳に聞こえちゃうんだよな~。

例えば、そんな考え方を持ったまま大人になって
自分の子供を同じように育てたら、
その子はどんな子供になるんだろうか?

でも、お父さんがそんな考えでも、お母さんがありのままの子供を
愛してくれていたら、きっといい感じで育つだろうけど…。

もしお母さんが助けてくれなかったら苦しいだろうな。
それがトラウマのハジマリハジマリ。

森さんのお子さんはどんな風に育ったのかと、思いをはせる私。
奥さん、愛してくれたかなって。
「頑張ったね。失敗してもいいんだよ。な~んも問題ないんだよ!」
って言ってくれるかな?

この妄想は余計なお世話ですが…。

でも、森ちゃんをとくに批判しているわけじゃないのだ。
ピックアップしてしまったネガティブな感情を、
そのまま放置プレーして批判していると、
必ず身近な出来事として見せられることになるのね。
だから、森ちゃんは新聞記者に追いかけられる羽目になってしまった。

これが投影の仕組みの一部です。

そういう私もこの記事を書いてピックアップしているわけだから、
カウンセラーとしてちゃんと反応しているのだけどね。

冒頭に書いたととおり、「これらの現象は私たちの中にもあるのよ」と
森さんがお代官様キャラで教えてくれるんだわ~。

「負けると分かっていた 」
「 大事なときには必ず転ぶ 」というエネルギーが
私たちの声にもありませんか?

 <続く>

 

 

 

私達が懲りずに何度も何度も転生してくるのは、
感情と感覚(五感)を感じたいがために、
第六感目の感覚を使って生まれてくるのだろうか

以下の紫の文字の文面は、
あるチャネラーが、映画「かぐや姫」を観て、
ブログを書いていました。
ここからは映画を観ている人にしか分かり難いシェアになりますが…。
もし皆さんがこれを見てピンと来たら、
映画館へ行ってみてくださいね〜

 

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ジブリのかぐや姫物語を観ました。
この作品は 数あるジブリ作品の中でベストに入る作品でした。
ちなみにこの作品の副題はかぐや姫の罪と罰
とあるのですが
これにはこんな意味があるかもと
※知人が解説してくれました。

月の世界で涙する天女をみて
「感情」に興味をもつかぐや姫。
感情に興味をもったため
地球におとされ
感情を味わうことになった。
それがかぐや姫の罪と罰ではないかと・・・

――それを聞いて しばらくしてから
わたしはこう感じました。
喜びも感情ですが 悲しみも感情
かぐや姫が月で感じたものは
実は「故郷を離れ 寂しがっている感情」でありました。
彼女は月で「故郷から離れ 故郷を想いだして悲しむさま」に美しさを
感じたのかもしれない。
そして彼女は地球にいき 地球であらゆる感情を体験し
喜びや 周囲からの愛を感じ
やがて苦しみも感じるようになっていきます。 
魂が望む生き方をおさえこみ
人間がつくりだした「常識」や「価値観」にふりまわされて生きる現代人のように
かぐや姫も よかれとおもって彼女を都へと導いた。
竹取の翁に振り回されるかのように
都での息苦しそうな暮らしを続けていきます。
恋い焦がれる人とも引き離されて。

ですが
かぐや姫は竹取の翁に気兼ねして
自分の生きたい生き方をすることができません。
これは
常識に気兼ねして
自分らしい生き方がしづらい現代人に不思議とリンクします。
物語の最後では
かぐや姫が願ったとおり(引き寄せたとおり)
別れの感情を味わうことになって締めくくられますが
この時の映像・音楽がすばらしい。
この時の仏様や観音、天女、菩薩の集団のように見える月の住人たちが乗る雲は
まるで龍でした。
ちなみに私が作中で感じた龍のエネルギーは
次元のレベルをおおらかに考えて申し上げると
・姫を披露する宴から脱走する際のかぐや姫
・捨て丸との最後の別れで水(のようなもの)に飛び込む際の水しぶき
の2つも龍のエネルギーを発していて
個人的に面白かったです。
ですが物語としては
そんな分析はどーでもよく(笑)
野山の美しさに心を奪われました。
そして 登場人物の感情を描いている様が美しかったです。
そしてやっぱりかぐや姫は罪も罰もなかったと感じるのですが
それは観る方々の自由なんですね。
作品はひとによってさまざまな世界を創りだしてくれるから
ありがたいです。
「感情は汚れではない!」
最後のシーンでそう叫ぶ彼女が印象的でした。
そして その時父親である竹取の翁は
その心でなんと感じたのでしょうか――
この物語のタイトルはかぐや姫ですが
本来は竹取の翁から見た物語かもしれませんね。

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とても丁寧に観察されたブログだと思います。
ここに、引用させていただいてありがとうございました。

ちなみにこのブログに書いてある※「知人」とは私のことなんですが、
さらに付け加えて、
ここからが私の考えなのですが・・・。

そもそも、「罪と罰」なんて最初から存在しないのであって、
人間が創り出した概念なのでしょうから。

「罪と罰」って言葉は、
激情的でパワフルなエネルギーだから、
私たちの人生(の映像)としては魅力を感じるかもしれないけど、
この魅惑的なウジウジっていう世界に、
つい、はまってしまうと、

まるで「罪と罰がある」というのを前提に
思考を続けてしまうのが要注意

私たちは本来自由な存在なはずなんです。

月の住人は、愛をもってかぐや姫の自由意志を尊重し、
地球に送ったのだと思います。
そして帰る時も自由意志によって迎え入れた

地球に降りる前に
「月の世界で涙する天女」に魅了されていったかぐや姫は、
知らず知らずのうちに集合意識の中から感じた、

「何だかわからないんだけど知っている感覚」
心を奪われたのかもしれないな~。

まるで「ソレ!それ、それなんよ~」っと 知っているかのように…。

 

 

そんな時に知ったのがコーヒーエネマです。
かなり前にネットで定番のカフェエネマセット
を購入したけど、その時はピンと来なかったので
3回やってやめました。

でもその後に知人から教えて貰ったメーカーのエネマは、
その時と体感がちょっと違ったのです。

頭が軽くなり、後頭部がスッキリして心がワクワクしてきたの。
後で聞いたら、セレトニンという幸せを感じる脳内ホルモン物質が
出ると言う事で、「なるほど、これかー!」と腑に落ちました。

エネマをはじめてからの2年は大変でしたよ。

約1リットルのコーヒーを浣腸するのですが、
5分の1位入ったところで腸に入らなくなっちゃうんです。

放っておくと逆流する。
うん子さんがですよー、逆流したうん子さんがクダにハマってしまい、
降りて来るべきコーヒーを通せんぼしとるのだ。
通せんぼしているうん子さんのクダの場所をグリグリ押している間に、
(これって凄い映像ですよ〜)
腸が「もう我慢できない、早よトイレにいかしてたもれー」と必死。
もーちょうがないのでトイレに駆け込む。あぁ〜ん

そんな日々が半年続き、1年経った位には、
日によって1リットルはスムーズに入る日もあった。
それだけ腸内環境が汚染されていたのだと思います。
比較的健康な人はもっとスムーズみたいですから。

結局私は2年かかって逆流しない腸になりました。
でも、このメーカーのコーヒーエネマだと私には
ちょっと強い気がするなぁと思い始めた時に、
ある整体治療院からお手製のコーヒーの作り方を伝授されて
私にピッタリのエネマが仕上がりました。

純正99%のオリゴ糖と天然塩をプラスし、
温度も42度にしてみたら、益々いい感じ。
肌は透明感が出てきて、
決して年齢には見えない肌になっている。と人は言う
血流もよくなっているから、口紅を塗らなくても、
唇もほっぺもピンク色。
それまでは、顔色は赤ら顔でくすんだ茶色だったのよん。

という訳で、私の下痢歴は終わりを告げたのです。
今は再び 、子供時代のマツコデラックスうん子様に
会いたくて、日々精進しているのです。

また、健康グッズについては効果的なものを幾つか知って
いるので、おいおいお伝えしますね〜。

  <終わり>