最近、世間をお騒がせている発言をピックアップすると、
世の中を風刺的に現しているものが2つある。
1つは、
作曲家の新垣氏が18年間にわたって聴覚障害の佐村河内守氏
のゴーストライターをしていたことを暴露した報道。
もう1つは、
森元首相が、浅田真央選手に対して、
「負けると分かっていた 」などと発言したり、
「 大事なときには必ず転ぶ 」などと指摘する失言報道。
森喜朗氏は東京五輪・パラリンピックの組織委員会長。
「結構良いポジションを貰ったなぁ、でも彼で大丈夫かしら?」
って思ったのは私だけだろうか。
何故なら彼は「大事なときには必ず失言する」からなのよん
でも、世の中には森さんに同感する考え方の人も沢山いるだろうし、
まったく反対の考えの人もいて当たり前だし何も問題ない。
でも、一つだけ言えるのは、自分の心の中にある思いや感情しか、
私たちってピックアップしないのだ。
だからその思いの密度が自分の中にたっぷり有れば、
今回の森さんみたいに「ビビビ~っ」と反応しちゃうわけよ
その逆で、密度が薄ければ、見えないか聞こえないか
スルーしちゃうはずなのね。
それは、森さんに限らず私たちも含めてだけど…。
つまり何を言いたいかというと、きっと森さんご自身は、
「自分は大事な時に失敗(失言)する!」って潜在意識では
思っているかも?と想像できるわけなの。
もしかしたら森ちゃんは、両親に「大事な時に失敗しくさって!!」
もしくは、「大事なときには必ず転ぶ 子は悪い子!」
と、そんな風に言われて育ってきたのかもしれないなぁ。
だから「ちゃんとしていないと愛してもらえない」と
思って生きてきたかもしれない。
(これって思いっきりレッテル貼ってます。ごめんなさい森ちゃん)
多かれ少なかれそういうものって誰にもあるじゃない?
私にもまだあるよ。
「認められない私はダメな私。だから生きている価値がない」って。
「だから虚勢をはって生きるのじゃ~」ってな風に決めちゃうの。
人と比べるから、いくら何かを達成したとしても、
「まだまだ駄目だ、そんなんじゃ絶対に失格!」といって、
競争の中に自分の身を置くから、いつまで経っても苦しいのだ。
両親の言霊が、いつまでたっても呪いのように頭をよぎるんだな~
「あなたは 大事なときには必ず転ぶんだよね! 」って。
だから他人に、そのことをフツーに言いたくなるのだ。
親が死んじゃったって、認知症になっちゃっても、受け取ったその呪いは
生涯に渡って自分の耳に聞こえちゃうんだよな~。
例えば、そんな考え方を持ったまま大人になって
自分の子供を同じように育てたら、
その子はどんな子供になるんだろうか?
でも、お父さんがそんな考えでも、お母さんがありのままの子供を
愛してくれていたら、きっといい感じで育つだろうけど…。
もしお母さんが助けてくれなかったら苦しいだろうな。
それがトラウマのハジマリハジマリ。
森さんのお子さんはどんな風に育ったのかと、思いをはせる私。
奥さん、愛してくれたかなって。
「頑張ったね。失敗してもいいんだよ。な~んも問題ないんだよ!」
って言ってくれるかな?
この妄想は余計なお世話ですが…。
でも、森ちゃんをとくに批判しているわけじゃないのだ。
ピックアップしてしまったネガティブな感情を、
そのまま放置プレーして批判していると、
必ず身近な出来事として見せられることになるのね。
だから、森ちゃんは新聞記者に追いかけられる羽目になってしまった。
これが投影の仕組みの一部です。
そういう私もこの記事を書いてピックアップしているわけだから、
カウンセラーとしてちゃんと反応しているのだけどね。
冒頭に書いたととおり、「これらの現象は私たちの中にもあるのよ」と
森さんがお代官様キャラで教えてくれるんだわ~。
「負けると分かっていた 」
「 大事なときには必ず転ぶ 」というエネルギーが
私たちの声にもありませんか?
<続く>