うんこ話の流れでさらに。

私が30年以上もの間、
マツコデラックスうん子様に出逢うことなく、
下痢歴を更新していた数年前、
とうとう1回下痢をするだけで心臓がバクバクして、
動悸や目まいが続く様になってしまった 🙄

その前に20代前半でかなり重度の不整脈はあり、
毎度の健康診断では精密検査を要すと判定されていました。
下痢と共によく蕁麻疹も出ていました

それでもそんな事が当たり前になり、何とか過ごしてこれたけど、
どうやら心臓も悲鳴をあげ出しました。
逆に、よく今まで耐えられたものだと感心しています。

うちには、色んなセラピーグッズやサプリもあるし、
ヒーリングも出来るので、何とかそれらで保ってくれたのでしょう

それにしても毒蜘蛛に刺されてから
私は腸が悪くなったと思われましたが、
どうやら添加物の入ったものや酸化した油などに
反応していたのかもしれません。

特に牛肉やコーヒーや乳製品なんかは直ぐに
下痢をするのですが、中には下痢しないものもあるんです。

コーヒーはオーガニックだったり、うちにある活性化処理された
コーヒーは何杯飲んでも大丈夫。

牛肉は特に料理を作ってくれる人によって差がある気がします。
牛肉は作る人の意識に反応しやすいのかなー 🙄

乳製品はブランドによって大違い。牛乳はほとんど全滅ですが。

天ぷら蕎麦を食べるにしても、パーフェクトに下痢する店と
そうでない店もある。

お砂糖と炭水化物は直ぐにお眠りに導かれ、
スイーツは身体を重くして、集中力を欠き本を読めなくしていました。

こんなんじゃあ、自分の能力を発揮するにはハンデがある気がします。
(言い訳ですが)

でも私は数年前までそういう経験値からくるデータを無視し続けて、
体に入れてはいけないものを抜く事をしませんでした。

そんな時に知ったのがコーヒーエネマです

22日の投稿で、
朝4時から情報をダウンロードしているというお話でしたが、
まだ続いています。

結局、どんな話題かというと、

「どうすると効率的に覚醒できるか」ということみたいです。
まとまったら、セミナーとかでご報告出来たら良いなぁと
思っています。

そんなに難しい話じゃないみたいですよ。

めっちゃシンプルなのに、
人間界ではわざわざ難しくしちゃうのが
かっちょいくてお気に入りの様ですが… :mrgreen:

今回は天界の情報をなるべく放置プレーしないように、
「集中しよ!」と思っています。
(いつも途中で、違うところに遊びに行っちゃう癖があるので)

今度、一番最初に私にスピリチュアルを教えてくれた
人間のマスターっぽい人の話をしましょうね。
(2月中旬からの予定)

 

周りの人、環境、人の言った言葉、動物や植物や鉱物までも、
そして自分の内側(筋肉や内臓、細胞等)やうん子さんまでも、
み~んな見方次第で私たちのマスターの源なのだ。

というお話が、前回までのところね…。

また話はぶっ飛ぶのですが、「私のマスターうん子さん、」
で思い出したんだけど、
私が子供のころ、和式の水洗トイレでうん子さんをした時の話。

その時はマツコデラックスの様な巨体うん子さんを産んだもので、
便器にマツコうん子が留まってしまったことがある。
マツコうん子は「う~んう~ん」と肉体をブルブルさせながらも、
何回ペダルを押しても、どうしても流れてくれなかった。
(結局どうやって流したかは各自責任をもって想像してください

言いたいことは、流し方の話ではなく、
その時、あまりにも長い間汗だくで、
流れてくれないマツコうん子との時間を費やした為に、
マツコうん子を観察しすぎて彼女と対話が始まっていた。

そうこうしていると、マツコうん子のことが愛おしくなってきた。
私はこの現象は子供ながらにヤバいと思いつつも、
今でもその時の光景が忘れられない。

今ではマツコうん子が私と一体となってしまったので、
たまに宴会芸で「和式トイレで流れないマツコデラックスうん子」
という芸が出来るようになっている。

あ~、「うん子」と言えども、されど「うん子」

それから数日後、私は学校の放送室で、
巨大毒蜘蛛に刺される事になる。
刺された指3本は腫れて凄いことになってしまった。
それからというもの、私はアレルギー症状で
下痢歴数十年という時代を過ごし、
二度とマツコデラックスうん子とは出会えなくなってしまったのよ

だからこそ私にとってマツコデラックスうん子様は、
私の歴史の中で輝かしい星となり、
私のマスターBEN(英語っぽいでしょ?)となった。

読者の皆さん、真剣にふざけてすみません。

世の中、見方次第で・・・うん子の話でした(__)

 

霊性(スピリチュアリティ)と人格の高さって、
何でたいていは共通しないのかな~?
人格の高さって社会性の高さと比例したりするからか!

私にとってのマスターの定義は、
「その人の霊性の進化に影響を与える人」なのかなと
思います。
確か心屋仁之助さんが、
自分にとって苦手な人や気になる人のことを「師匠」と
敬っちゃうのが良いよ!と教えられていたけれど、
まさにその通り。
自分の人生がその人の影響下で結果的に楽になったと
したなら、その人は師匠=人生のマスターと呼べるのだろう。
自分にとって良い人とか悪い人とか嫌な奴とかの判断を、
ぜ~~んぶ取っぱらっちゃった結果だね。

要するに、大きくとらえたら自分の周りにある殆どのものは、
マスターに値することになる。

その人の見方次第でというキーワードが前提だけどね

だから、周りの人、環境、人の言った言葉、動物や植物や鉱物までも、
そして自分の内側(筋肉や内臓、細胞等)うん子までも、
み~んなマスターの卵なのだ。

わ~~い、なんか嬉しくなってきた周りは愛の宝箱だらけだわん。
ちゅうのは私だけですか?

しいて言えばマスターとは、
「出来るだけたくさんの人に、魂の成長をお伝えする人」
定義するのが私的にはしっくりきます。

 

 

 

 

 

今日はスピリチュアルマスターの話の続きではありますが、
これ系の話題をブログにしようと思った途端に、
毎朝4時くらいに、ちびちびっとだけど、
情報のダウンロードが開始され始めました。

何の情報かっていうと、初めは何の事だか分らなかったから、
ちびちび来ていた情報は書き留めておいた。

良く考えると、そういった情報は常にあったけど、
「あっそ!」っと、それを重要視できない私は
軽々しくも放置し、瞬時に忘れてしまうのだ。
そういえばそんなことを、数十年してきたかもしれない。
あ~なんという… おそまつな~

しかし、最近ある人との出会いをきっかけに、私は
「受け取った情報を何らかの役に立てなくてはいけないのでは?」
と思うようになった。
その人を私は「マスターと呼ぶにふさわしい」と、あんまり言いたくないが
しゃあないけど、嫌なんだけど言っちゃおう。

何故ならその人は、ハッキリ言って「超いい加減、わがまま、女ったらし」
というレッテルをはるには相応しい人なのです。
それはあくまでも道徳的な三次元レベルの話でいうとですが。

そのイイカゲンマスターの超いい加減さをみて、
私はスピリチュアリティを再度開いても良いような気になりました。
再度というのは、5年前に興味を失おうと決めたからです。

「こんな人でも結構いいリーディングするじゃん」と
思ったのが決め手で、その人に興味を持ち観察し始めました。

霊性(スピリチュアル)と人格って、
なんでたいていは共通しないのかな~?

人格と道徳的な人(いわゆる社会的システム)を同一化するから
こんがらがるんだよな。
もしくは、スピリチュアリティと霊的能力を混同するから
ぐじゃぐじゃになるのかな~? 😉