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(今日こそ、このテーマは終わるぞ~)

 

私がずうっ~と口癖にしていた、
ポジティブな言葉。

それは、

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人が、

この世に一人存在しただけでも、
私は幸せなのだ

です。

 

 

甘味処で、美味しそうに食べて
いる私の姿を、

細い目をして観る
祖父の優しい眼差しが、

私はとっても心地よかった。

 

ここちいい

(あなたにとってワタチはお姫様でしゅ)

 

この言葉は私にとって最高に
モチベーションが上がるものだと
信じて疑わなかった。

 

だが、しかし、
言葉の裏を返してみると
わかって来ることがありました。

 

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人は、

おじいちゃん以外は誰もいなかった。」

 

・・・になります。

 

さらに、この裏にはもしや恨み節は、
入っていないだろうか??と・・・。

すると出て来るわ出て来るわ、
言いたくはないが、びっくりです。

 

 

「私を一番愛してくれる人は、
おじいちゃんしかいないの?」

 

「私が死にそうな時に守ってくれる人
っているのかしら?。。」

 

「私が、世間にポイされてもうたら
家族と言えども見捨てるかもしれない顔真っ青

 

「え〜ん、顔おじいちゃんが
死んじゃった
から、
私一人で生きていかなきゃ
ならぬのだ」

 

思い込み・妄想が、
次々にバージョンアップしていきます。

 

挙げ句の果てに、

 

「も〜〜〜、いい。
どうせ。も〜〜〜いい。。

誰も私のことなんか、
わかっちゃくれやしない。

ざま〜みろ。わかったか!拗ねてやる顔

 

 

images-1

(私が死んでも迎えに来ないでね〜だ。)

 

コレって、ナオちゃんは
超、怒っていますよね〜〜。

よ~く感じてみよう。。

 

本当の本当のナオちゃんの気持ちは、
何を言いたかったんだろうか?

 

ナオちゃんは、
本当は怒っているんじゃないんですね。

実はどうにもならない不安に怯えて
いたんです。

 

 

「お母さん私、不安なの。

お母さん、私の味方になって。

私の事をもっと気にかけて!

私の目を見て話をちゃんと聞いて!

 

最愛のおじいちゃんが
死んじゃって、

お母さんが、
狂ってしまったのを見ているのが
凄く恐くて・・・・、

お母さんが居なくなっちゃうんじゃ
ないかって・・。。

 

お母さ〜ん、私のこと、離さないで!

 

「なんなのよ、そのくらい大したことじゃ
ないじゃないの」
なんて
言わないで。」

 

ナオちゃん、
本当は悲しかったんだね。

 

かなしい

(だって、ボク、どうしたらいいのか
分からなかったんだもん) 

 

その時、何もかも失ったって思って、
悲しくて仕方なかったんだね。

 

だから、それからずっと、
心の中で独り言を言うようになった。

 

 

「私はこんなひどい扱いをされて、
可愛そうな子なんだよ~」って
ストーリーをつくって、

 

想像上の見えない誰かに
話を聞いて貰っていると、

あっという間に時間が過ぎていく。

 

想像上の見えない誰かって、

私はずっとおじいちゃんだと
思っていた。

 

でも、

 

本当の正体は、

お母さんだったってことが
やっとわかったのです。

 

ポジティブと思っていた言葉、

 

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人が、

この世に一人存在しただけでも、
私は幸せなのだ

 

この思いの裏に、
それはそれは大きな不安・恐れや悲しみ
があり、

そして母に愛を欲している 切ない
思いが隠されていたのです。

 

 

ふにゃ

(あ~んお母さんのふわふわが好きなの) 

 

そのことに気づいたとき、
私は解放された。

 

私は、もう可愛そうな私でなくても、
よくなったのです。

 

祖父母、両親のもとに生まれて
来れたこの奇跡に、

心底、
感謝することが出来たのでした。

 

親子

(あなた達に守られて、
私はこんなに大きくなりました)

 

あなたも、ポジティブだと強く信じて
いることを少し疑ってみると、

ハッと答えが見えて来るかも
しれませんよ。

 

 

 (やっと、終わったぜぃ。。)

 

 

(前回からの続きです)

 

大好きな大~~好きな、
私のおじいちゃん

 

おじいちゃんは、
私の一番の味方であり、

私を目に入れても痛くない程
愛してくれた。

私を常に特別に扱ってくれて、
命がけで守ってくれるに決まっていた。
(過剰な期待と予測 です)

 

そんな祖父は、
私が小学3年生の時に、

交通事故で突然、死んでしまった顔

お葬式で子供が死に顔を見るのは、

良い事なのか悪い事なのか?
そんなことは分からないけれど、

わたしは祖父の遺言によって、
祖父の死に顔を見ていない。

 

だから、私にとって、けじめと言うか、

・・・・・・よくはわからないけど・・、

時間が止まったままになっている
気がする。

 

今までに何人もの身内とお別れし
て来ましたが、

遺体を見てしまうと、
生前の元気だった時の顔が
思い出せなくなるものだ。

 

私の場合、
故人が元気だった時の記憶と、
たった1度しか見ていない
遺体の記憶は、

だいたい半分ずつの割合になっている。

 

それだけ、死に顔はインパクトが強い
ものです。

 

遺体を見る事は、ショックだけれど、
ショックな分だけ現実と向き合うことが
出来るのではないだろうか。

 

私にとって、祖父の死とは、

祖父の遺体のポケットに入って
いた固くなった大福餅を、

母親が半狂乱になって食べていた
ことしか思い出せない。

 

 

みた

(ぼく、固まって見とります)

 

祖父は、私にとって
最大の味方だった。

祖父はすぐ上の姉に私が
いじめられていないか気遣って
くれてた。

私は、姉に意地悪をされて
どんなに可哀想だったかを、
祖父に言いつけた。

 

きっと真実よりは、
デフォルメして話していた気がする。

何故なら、
私が可愛そうな子である分だけ、

祖父は私がいかにイイ子であるか
を証明するかのように、
褒めてくれるのを知っているからだ。

 

 

自分をお姫様扱いしてくれて、
私の言う事を全面的に
信じてくれる人。

それが祖父だった。

もしや、母にとっても祖父は
そういう存在だったのかもしれない。

 

つかまえた

(ず~~っと守ってあげるね

 

ちょっと話は逸れるかもしれないが、

私は、たいていの人に、

 

「那旺ちゃんって、ポジティブだよね!」

「発想が飛んでるよね!」

「こだわりがないよね!」

 

ポジティブ

(自慢じゃないけど、あっしは
ポジティブですわい)

 

って言われることが多いのですが、

 

ところが、
親密な相手や親友関係になってくると、

 

 

「那旺ちゃん、見かけによらず、
結構ネガティブだよね、

批判的だし、毒舌で
なんか、那旺ちゃんの話って、
聞いているのイヤになっちゃった」

 

って言われたことが何度かあります。

 

そんなことを言ってくれるのは
時すでに遅し、
別れ際の崖っぷちの時なのです。

 

きっと、その前にも何回か苦言は
言ってくれているはずなのね。

でも、

私の耳に入らなかったんじゃ
ないかな?

 

さる みみせん

 (なんも聞こえてましぇ~ん)

 

私的には、
ネガティブな話をしているとは
大して認識もなく、

 

普通の会話だと思っていたので、
きっと改める気もなかったのでしょう。

 

 

なんでこんなことを話すかというと、
祖父の突然の死と、

私の愛着の問題
(ちまたでは愛着障害というね)
が関わっているのではないかと
思うのです。

 

つまり祖父に代わるような親密な
関係になった人に対して、

知らず知らずのうちに私は
自分がいかに可哀想だったかを話し、

それを聞いて貰う事によって、

その人に対し
愛着を深めていたのです。

要するに、いかに愛されているかを
測っていたのかもしれないね。

心理ゲームは無意識に働くものなので、
仕掛けている方も仕掛けられている方も
知らず知らずにはまっていく。
ドラマみたいでとっても魅惑的に
感じるものなのね。

ただし、それは最初の時だけの話であり、
それが続くとお互いに疲れてきて、
嫌われるまで終わらないものなのだ。

・・・・・・。。。

 

祖父の死にケジメが付いて
いないまま、
私は大人になってしまいました。

 

「甘味屋で甘いものを食べ」=味覚・嗅覚

「祖父と手を繋いで」=触覚

「私がいかに可哀想だった話しをし」=聴覚

「目に入れても痛くない眼差しを得」=視覚

 

これらの五感がセットになって、
私に安心感を与えてくれた祖父が、

一瞬で居なくなってしまった。

と同時に、
母親の狂乱を観てしまい、
私の安心感は一気に居場所を
失ってしまった。

でも、私が一番言いたいのは、
これからなんです。

 

また、今回もこのテーマは
終わらなかった。 

(長くなったので次回に~)

 

 

(前回からの続きです)

まぁ、相変わらずあっちこっちに
話が飛ぶブログですね。

 

洞察するに、
シリアスな場面に行くのが
嫌なんだと思いますよ。

かなり前になりますが、
姉の話の時もとん挫したままです
ものね。

実際に話してみたら、

「な~んだってなレベル
だと思います。

全然大したオチじゃないはずなの。
(多分

 

自分にとってセンシティブな事柄は、
人に触れて欲しくないものです。

それはどなたにとっても、似たような
反応が起きます。

 

クライアントさんのセッションにおいても、

真の思いに触れられる時は、
心が騒いでジタバタするもの
なのですね。

 

 

さ~て、そろそろ、

「自分が信じているポジティブな記憶
・・・真実の思いを見逃している」

のテーマに戻りましょうかね。

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

私が子供時代に心に残っていて、
一番の宝物にしている思い出は、

大好きなおじいちゃんとの
デートです。

 

土曜日になると、
おじいちゃんは私を近所の
甘味屋さんに

連れて行ってくれるのが
日課でした。

 

おじいちゃんは洋品店を経営
していたけれど、
それを息子(母の弟)に譲ってからは、

家に居づらいらしく
(母からの情報によると)
どこかで泊まり込みのお仕事を
するようになっていた。

 

それまでは、坂の下にある
おじいちゃんの家に私は毎日の様に
遊びに行っていたが、

母親から禁止されて、
行けなくなってしまいました。

きっと、母と母の実家の対立が起こした
大人の事情によるものでしょう。

 

そうはいっても、週末におじいちゃんは
ちゃ~んと帰って来てくれます

 

待ちに待った土曜日が来ると、
おじいちゃんが迎えに来るのだ。

 

おじいちゃん:
「ナオや~!じいちゃんと
甘いもの食べにいこ

 

私は、祖父のことを、
なんで大好きなのかというと、

美味しいものを食べさせて
くれるからという訳じゃありません。

 

祖父は、私にとって
最大の味方だったからです。

 

最大の味方って?

 

 

自分を誰よりも特別に扱ってくれて、
守ってくれる
存在だったんですね。

 

祖父は、私を甘味屋さんに
連れて行く道すがらに、
私の手を繋いで、

年子の姉に私がいじめられて
いないかと尋ねます。

 

私は:
「こんなことされた、あんなことされた
んだよ~」

って、祖父に姉の悪口と
泣き言顔を訴えます。

すると、

 

祖父は:
「しょうがないな~、お姉ちゃんのくせに、
妹をいじめて。。

でも、ナオが良い子なのは
おじいちゃんが一番よく分かって
いるからね。

ホットケーキでも、あんみつでも、
ソフトクリームでも、
いくらでも食べていいからね。

ナオは、大きくなったら、
立派なお大人になるから、
おじいちゃん楽しみだな~」

そういって、優しいまなざし顔
私を見ます。

まなざし

(食べちゃいたいくらい可愛いね

 

小さい頃の私はとてもシャイだった
から、

そんな時のおじいちゃんの目を
ちゃんと見れません顔

 

恥ずかしくて仕方ないのね。

 

自分を特別な存在として
扱われるまなざしが、
くすぐったいし、バツが悪いような、
微妙な立場。

 

孫の事は、
目に入れても痛くないって
表現があるが、

本当に祖父の目に、
私が飛び込んでいるかのように思えます。

 

このあと、小学3年生の6月6日に
祖父は突然他界しました。

交通事故でした。

 

祖父の遺言で自分が死んだときには、
絶対、私には見せるなとの事だった
様で、

私は祖父の傷ついた遺体を見なくて
済みました。

 

祖父の頭に、
包帯がたくさん巻かれていたと、
だいぶ大きくなってから聞いたのみです。

 

祖父は、国道の横断歩道を渡ると、
私の家に向かうのに遠回りになる
からなのか、

横断歩道の手前で道路を横切った
時に車に飛ばされたそうです。

 

悲しかったのが、
祖父のポケットに大福が入って
いた事です。

 

きっと私に少しでも早く会って、
大福を食べる私の顔が見たくて、
道を急いだのかもしれません。

 

悲しい道路

(おじいちゃ~~ん。私の為に
ごめんなさい)

 

検死が済んで、固くなった大福を
母が大泣きしながら食べていたのが、
恐かった。

大好きなおじいちゃんのポケット
でも、

遺体は遺体。

子供にとって、遺体って、
テレビの観すぎかもしれないけど、
オバケとそんなに変わらないくらい
異様な感じがします。

 

そのポケットに入っていた
コチコチの大福を、

号泣しながら食べていた母が、

狂っているように見えたのを覚えて
います。


(続く)

 

 

(前回からの続きです)

 

「自分が信じているポジティブな記憶
・・・真実の思いを見逃している」

 

う~ん、
私は何を言いたいのでしょうか?

 

私には、とっても素敵な
ビックポジティブな記憶が有ります。

それは、私が生きていく上で
大きな支えになっているものであり、
宝物としている思い出なんですね。

 

その信じて疑わなかった思いの裏に、

いったいなにが隠されていたのか!

 

近日上映公開~!!

 

公開

(前売り割引開始~。
ヴぁあ~、がデブ重てぇ) 

 

那旺さん、それじゃ~、

ブログが始まったばかりなのに
終わっちまうじゃない?顔

 

そうでっか

(そうなのね。ドスこい

 

信じていたものに、
裏があったなんて、
わたし。。脱力感がくねります。

 

私が子供時代に心に残っていて、
一番の宝物にしている思い出は、

大好きなおじいちゃんとの
デートです。

1週間に一度の土曜日に、
おじいちゃんは私を近所の甘味屋さんに
連れて行ってくれるのが日課でした。

 

今となったらこんなに図々しく
なってきた私ですが・・・、
小さい頃の私はとってもシャイだった
んですよ~。

 

ふてぶてしい

(那旺さん、まだちょいとだけ、
シャイな面影が、残ってますね)

 

なぜだか、気恥ずかしくて、
他人の目顔を、
正面で見れていなかった気がする。

 

ですから、シャイを打ち消す為に、
ふざけた事をワザとしてしまう
タイプなのよ~。

 

こんど、着ぐるみ着て

 

「30秒で楽になる・肩こり体操」
動画
でも撮って、

 

ブログに載せちゃおうかな~顔
(単純に普通だと、
恥ずかしくて出られないのよ)

 

そういえば私、
息子の成人式の写真では、
ペンギン担当でした。

主役である息子は河童です。
(二人とも着ぐるみを着て記念撮影しました)

 

そこに、息子の別れた彼女も
家族として撮影しちゃったものだから、

あ~~~~~、
せっかくの成人式の記念写真が

今では・・封印されとります。
(辛くて見てはならぬものに
なりました~)

 

そもそも、大事な晴れ舞台に、
着ぐるみなんて着て親子そろって
ふざけたから、
こんな結末になったのか!
(すんません。私の悪ふざけでした)

 

信じて疑わなかった健やかな未来が、

今や崩壊している記念写真
なりました。

 

人生というものは
どんでん返しの繰り返し、

おもむきっちゅものがございますのぅ。。

 

映った写真で唯一微笑ましく
見させて貰えるのは、

ピンクのおリボンを付けた、
若かりし美人犬メリー犬くらいです。

 

なんといっても、

ずいぶん前からお会いしていない
旦那様に対しても、
私はとてもドジな細工をしていた

 

写真を見るとマジで勘弁してほしいです。
腹を抱えて笑って顔しまいやす。

 

 

うっかり夫人と言われていた私の
ドジぶりは日々
の事だが、

今回私が何をしたかというと・・・、

旦那様はお髭が濃かった人なので、
美しく撮れるかな~っと思い、
お口周りに
ファンデーションを塗ってあげたの。

だって、芸能人はテレビに出る時に
メイクするじゃない?

 

しかし、その親切が仇になりました。

 

出来上がってきた写真を見てびっくり。。
絶対に見てはいけないものを
見てしまったバツの悪さ。

だって、旦那様の顔が、
ホモオダホモ男君みたいになって
口の周りが青白くボァっと、

浮き上がっていた。。。

 

ヴぁぁ~~~。。顔

 

 

私の描いていた理想の記念写真とは、
河童ちゃんの長男と、

ペンギンちゃんの母ちゃんに、

美人の彼女女性愛犬メリー犬がいて~~、

ビシッと決まっている旦那様に~~、

スラッと背の高い次男が、
背後霊みたいに写っているはずでした。
(実は次男は逃亡しました

 

尊敬する旦那様は、
とってもダンディで賢い方です。

武士の様な風格ある人に、
こういった反則の様な形で笑いをとる
なんて、

滅相もない顔話です。

 

例えば、渋さでは抜きに出る
男優・高倉健様に、

保毛尾田保毛男メイク
(ホモおだホモお)で
コマーシャル出演してください」

なんて、

あ~た~、そんなこと言えますか?
そのぐらい、旦那様はコメディーとは
かけ離れているお方なのでありんす。

私と結婚したこと事態が、
コメディードラマなのでしょうがね~。

 

ほもだ

(わたくし、保毛尾田ですぅ

 

 

 

誠実で真面目な旦那様は、
今となっては、たくさんの従業員を
抱えていらっしゃる、

優良企業の社長さんらしいです。

 

本当にドジなふざけた奥さんでした。
すみません。顔

 

さて、この成人式写真のストーリーが、

私が話そうとしていた本題とは、

全く関係ない事に、
途中で気が付きました~~。

 

いや~だ、相変わらず、
ただ話がそれただけなのよね。
(またかよ~。すまん顔

 

 

本当は私はおじいちゃんとの、
ごっつぅポジティブな思い出を
例に挙げて、

本題に入る予定が、
「着ぐるみ」をキーワードに、
ここまでずれてしまいました。

 

(次回必ずやります。
いつもすみません。。顔

 

 

 

 

自分が信じているポジティブな記憶、

・・・・が・・・真実の思いを見逃している。

 

 

私が主にしているカウンセリングの
テクニックは、

子供の頃に作られた、

手放すべきネガティブなビリーフ
(思い込み・信念)を見つけ出し、

それを解除(契約解除みたいなもの)
させると同時に、
感情の解放をしていきます。

 

しか〜し、

 

クライアントさんが、

「これが私のトラウマなんです!」と、

伝えられた問題にばかり捉われて
セッションしていると、

その記憶にまとわりついた感情を、
何回解放したところで、

ちょびっとしか楽にならないことが
あるものなんですね~。

 

おかしいな~。。

 

「このセラピストじゃ、
私を変えてくれないから、
他の人を探さなきゃ! 」

と、セラピスト巡りをしてみたりする。

 

何が起きているの?

 

それは、目星をつけていた
過去の記憶(原因)

今あなたを苦しめている問題(結果)
の関連性が薄いのさ

 

と、教えてくれているのね。

 

刑事ドラマと一緒やね~。

星★を間違えてるのだよ。

 

 

逮捕

(バンバン逮捕や!
ちゃいまんねん。
あんさん誤認逮捕やで~) 

 

 

今の悩みが変わらなければ、

あなたを苦しめている本当の原因に
辿り着けたとは言えないですね。

 

(潜在意識)の記憶は、
今の問題を楽にしてくれる為の
ネタをなかなか提供してくれる
相手じゃおまへんのや。

 

 

ほんならどうするのじゃ?

 

 

そういう時はね、
潜在意識の声を聞くのね。

 (つまんね~、いつもそのネタね。。
と、心の声が・・。。
でも、とりあえず聞くっちゃ~)

 

で、どうやって?

 

潜在意識の声を聞こうとしても、
顕在意識の声の方が馬鹿でかくて
偉そうに頑張り続けるから、

潜在くん顕在くんに脅かされて、
なかなか顔を出してくれません。

 

そんな時に役に立つのが、
体の感覚なんです。

 

 

体の感覚は感情とバッチリ
スクラムを組んでいるので、

 

感情さんと感覚さんが二人
揃ったところに、

主体であるあなたが耳を傾けて
あげたら、


顕在くんは、ズコッてひるむんです。
ひるむ

(隙をみっけのど蹴り。。パ~ンチ)

 

でもね

子供の頃に「感じてはいけない」という
ビリーフを作ってしまうと、
さらにやっかいな事になる。

「感じてはいけない」があると、

顕在くんにパワーを与えることに
なるからです。

 

顕在くんは、
「自分が絶対に正しいことを言っている」
と信じているから、

その法則を覆すには、
覆すだけのネタが必要なんですね〜。

 

 

さて、体の感覚の話に戻ると、

よく言われる表現の中で、
怒りまくった時に使う言葉

「はらわたが煮えくり返る」
「腹の虫がおさまらない」
「腹がたつ」

ってな表現があるでしょ。

 

この様に、

感情は、あなたの内臓まで巻き込んで
体とくっついてダンスしているのよ。

それって、お気づきでっか?

 

Unknown-2

(私たちは永遠のパートナー。
dance・dance・dance

 

で~、さらに気づいて欲しいのは、

 

感情と言うものは、

感情が湧きあがってきた時に、

すぐに表現できないと、

体の中に、ずう~っと、
とどまってしまう性質が
あるのね。

 

 

とどまっていて、

ずうっと、出ない?

 

そうなんです。
脅かすわけじゃないけど、
コレ、ホントの話。

 

身体中が~、

 

感情便秘状態になっている

ちゅうことですよ~。

 

それはこまった

(感情のクソだまりか~。
ボス、逮捕しますか?)

 

体の中にある感情のベンピー君は、
溜まりに溜まって満腹状態になった時、

体と心の痛みは、
私たちに悲痛なうめき声を上げるのだ。

 

ベンピー君が発酵状態になり、

 

「私って臭いわ、ヤバイかも??」

 

って気づいたクライアントさんが、

クオーレテラピーアソシエイツの
ブログやHPを探してくれるのだ。

 

さて、ここからがテーマにも
あるように本題なんですが、

 

自分が信じているポジティブな記憶
・・・真実の思いを見逃している

 

についてですが、
長くなったのですんません。

またにしておくれやす。

(おやすみなんし~。)