(前回からの続きです)
大好きな大~~好きな、
私のおじいちゃん
おじいちゃんは、
私の一番の味方であり、
私を目に入れても痛くない程
愛してくれた。
私を常に特別に扱ってくれて、
命がけで守ってくれるに決まっていた。
(過剰な期待と予測 です)
そんな祖父は、
私が小学3年生の時に、
お葬式で子供が死に顔を見るのは、
良い事なのか悪い事なのか?
そんなことは分からないけれど、
わたしは祖父の遺言によって、
祖父の死に顔を見ていない。
だから、私にとって、けじめと言うか、
・・・・・・よくはわからないけど・・、
時間が止まったままになっている
気がする。
今までに何人もの身内とお別れし
て来ましたが、
遺体を見てしまうと、
生前の元気だった時の顔が
思い出せなくなるものだ。
私の場合、
故人が元気だった時の記憶と、
たった1度しか見ていない
遺体の記憶は、
だいたい半分ずつの割合になっている。
それだけ、死に顔はインパクトが強い
ものです。
遺体を見る事は、ショックだけれど、
ショックな分だけ現実と向き合うことが
出来るのではないだろうか。
私にとって、祖父の死とは、
祖父の遺体のポケットに入って
いた固くなった大福餅を、
母親が半狂乱になって食べていた
ことしか思い出せない。
(ぼく、固まって見とります)
祖父は、私にとって
最大の味方だった。
祖父はすぐ上の姉に私が
いじめられていないか気遣って
くれてた。
私は、姉に意地悪をされて
どんなに可哀想だったかを、
祖父に言いつけた。
きっと真実よりは、
デフォルメして話していた気がする。
何故なら、
私が可愛そうな子である分だけ、
祖父は私がいかにイイ子であるか
を証明するかのように、
褒めてくれるのを知っているからだ。
自分をお姫様扱いしてくれて、
私の言う事を全面的に
信じてくれる人。
それが祖父だった。
もしや、母にとっても祖父は
そういう存在だったのかもしれない。
(ず~~っと守ってあげるね)
ちょっと話は逸れるかもしれないが、
私は、たいていの人に、
「那旺ちゃんって、ポジティブだよね!」
「発想が飛んでるよね!」
「こだわりがないよね!」
(自慢じゃないけど、あっしは
ポジティブですわい)
って言われることが多いのですが、
ところが、
親密な相手や親友関係になってくると、
「那旺ちゃん、見かけによらず、
結構ネガティブだよね、
批判的だし、毒舌で
なんか、那旺ちゃんの話って、
聞いているのイヤになっちゃった」
って言われたことが何度かあります。
そんなことを言ってくれるのは
時すでに遅し、
別れ際の崖っぷちの時なのです。
きっと、その前にも何回か苦言は
言ってくれているはずなのね。
でも、
私の耳に入らなかったんじゃ
ないかな?
(なんも聞こえてましぇ~ん)
私的には、
ネガティブな話をしているとは
大して認識もなく、
普通の会話だと思っていたので、
きっと改める気もなかったのでしょう。
なんでこんなことを話すかというと、
祖父の突然の死と、
私の愛着の問題
(ちまたでは愛着障害というね)
が関わっているのではないかと
思うのです。
つまり祖父に代わるような親密な
関係になった人に対して、
知らず知らずのうちに私は
自分がいかに可哀想だったかを話し、
それを聞いて貰う事によって、
その人に対し
愛着を深めていたのです。
要するに、いかに愛されているかを
測っていたのかもしれないね。
心理ゲームは無意識に働くものなので、
仕掛けている方も仕掛けられている方も
知らず知らずにはまっていく。
ドラマみたいでとっても魅惑的に
感じるものなのね。
ただし、それは最初の時だけの話であり、
それが続くとお互いに疲れてきて、
嫌われるまで終わらないものなのだ。
・・・・・・。。。
祖父の死にケジメが付いて
いないまま、
私は大人になってしまいました。
「甘味屋で甘いものを食べ」=味覚・嗅覚
&
「祖父と手を繋いで」=触覚
&
「私がいかに可哀想だった話しをし」=聴覚
&
「目に入れても痛くない眼差しを得」=視覚
これらの五感がセットになって、
私に安心感を与えてくれた祖父が、
一瞬で居なくなってしまった。
と同時に、
母親の狂乱を観てしまい、
私の安心感は一気に居場所を
失ってしまった。
でも、私が一番言いたいのは、
これからなんです。
また、今回もこのテーマは
終わらなかった。
(長くなったので次回に~)