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特に不自由のない環境に
生まれていながら、

今を生き辛く過ごしている人がいます。

 

反対に、誰が見ても辛いだろうと
思われる人生なはずなのに、

不幸を不幸と捉えない人もいる。

 

ということは、環境で性格が決まる
のではなく、

 

起きた出来事に、自分がどう感じ
どう思考し

何をピックアップしたかによって、
人生の方向性が決まるのだ。

 

人生のの方向性は、
自分で選択できるっちゅうことかな?

 

それにしても、
特に問題ない環境で育てられ、
親はごく普通に面倒見てくれた
・・・・・はずだ!

と思っていても、

なんで私達はうまく人生を
生きられないんだろうね~。

 

絡む

(どうだ??ジロー。重く感じるか?)

 

 

トラウマ経験があったり、
誰が見ても酷い親に育てられたと
客観的に理解でき、

自分も世間の人も
「それは酷くて当たり前だよ!」って

認め印を押してくれると、
私たちは安心します。

 

小さい頃は、
自分の身近な環境や自分の家庭の
中でしか社会を経験したことがない。

視野も行動範囲も狭いので、
他と比べることができないのね。

 

だから、親に愛の無い言葉を
言われ時、

 

「それって違くない??」

っと違和感を持ちつつも、

 

「親が言っているのだから、
きっと間違いないだろう。。」

と無理くり思うっきゃしゃ~ない。
子供の自分には選択が見つから
ないし、

 

間違えるはずがないと教えられている
もの
に、
自分が 違和感を感じているとしたら、

そんな 自分に問題があるんだと、
自分自身を責めてしまいます。

 

さらに傷に塩を塗るかのように、
親はいいます。
「親の言うとおりにできないあなたは
悪い子だ!」

と言われたら、

それを素直に、

吞み込むしかないと思うものだ。
(特に長男長女のお利口さんに
育てられた子供にとっては)

 

もし、抵抗したら、
きっと親に見放されて、

「きっと私は可愛がられない。
私はもう生き延びられない」

 

と、無意識に思うかもしれないね。。

 

親も上手いんだよね。

俳優仕込みの、
半狂乱になって脅すか、

暴れ出す輩もいる。

悲しそうな顔をするか、

ぐちぐちとしつこく愚痴るか、

理路整然と、自分が正しい事を
与党の様に諭すか。
そんな、
演技に騙されてはいけませぬが、
子供の頃は、

怯えて必死です

 

そ~んな幼少期を過ごし、
少し成長して・・・・・・、

中学生や高校生になった頃に、
友達の家にお邪魔して、
夕飯を食べさせて貰った時に、

 

なんじゃこりゃ

 

「あまりにも家と違いすぎる!」

 

友達の家の食卓は、

夢の様な世界。

 

「家族団らんってこういうこと?」

 

 

あったか~~~~い

 

 

 

家族

(みんな、世界一愛してるよ~。
大切な家族たち)

 

夢か幻か?
友人のお父さんとお母さんが、
な、ななんと。。

 

ちゃんと笑顔顔で会話しとるでは
ないか~。

 

テレビの中だけだと思っていた世界が
こんな身近にあったなんて・・・・。

 

ちゅうことは、だね。。

 

私はいったい今まで、
なんという冷たくて惨めで、

そして心の貧しい生活を
送って来たんだろうか。
アマリニモ。。違いすぎる・・・。

 

 

っと、初めて気が付いてしまった

として。。。

 

そこで初めて親に対して、疑問が
湧き上がる。
親に対して、
恨みつらみが出てくるかもしれない。

 

私たちの恐れの原因は、
問題の原因がわからない時に
起こるものだ。

 

一寸先の未来は誰もわからない。

 

この道路を右に曲がったら、
ギョギョっとトラックが突っ込んで来て、

私は間もなく跳ね飛ばされ、
この命が終わりになる!


と想像すれば、縮んじゃうっ
しょ?

 

私達はそれを知らないから、
平気で右に曲がれるのだ。

未来の不安は考えだせば、
尽きないものです。

 

小さい時に恐れていた原因が、
トラウマとか恐怖体験や喪失体験
とかが分かっていれば、

それはそれで怖いけど、
でも原因は判っているよね?

 

でも、そういう問題がないのに、
大人になっても、

なんだか先に進むのが怖いとか、

人と馴染めないとか、

自分らしく生きられないとか、

 

様々な問題を持つ人は、

子供の頃に思い出せない恐れ
を抱えているものなのだ。

 

話を戻さにゃぁ、あかんのう。
(またどこへ話が行くのか自信が
ありませぬから)

 

ここまで話して、
私は何が言いたいのか!

 

大人になってみて自分の育った
過程を振り返ってみると、
自分の親は、
社会的にきちんと生きている人で~、

自分を大学まで出させてくれて~、

お弁当も作ってくれて~、

 

っと、

 

親の役目を客観的に
ちゃんと果たしてくれた事は、

自分は絶対に認めている・・のに。

感謝もしている・・のに。

それは親だからこそしてくれたことだ。
他人がそこまでしてくれるはずは
ないだろう。

 

そうだ、そうだ。。

 

そうだ

(頭で考えて~。振り返ってみると、
そうなんだよな~)

 

でも、

 

この私の今の満たされない感覚
はいったいどこからくるのか?

そんな親に感謝できないでいる
自分が疎ましくなる。

って、
深いところで思っている方が
意外にも多くいるものなのだ。

 

(長くなっちまいました。
また次回にね~) 

 

 

「世界でたった一人でも、
私を愛してくれる人がいたのだから、
私は幸せ者だ!」

が、

ポジティブな思いだと、
一度も疑わずに
私は生きてきたんですね。

 

ところがどっこい、

意外なところに落とし穴があるのを
発見してもうた。

 

ポジティブな事にしておいて、
実は裏に隠された思いを
見せない様にしていた。。

 

解読すると・・それは・・、

 

「私を守ってくれる人なんて、
おじいちゃん以外、いやしない」

 

と、勝手に自分で自分を
イジケさせ、すねさせて、

 

いつの間にか、
いじけるネタを探すのが
得意中の得意キャラになってます。

 

DSC07783-4d543

(ブサイクでいいんだもん。)

 

 

 

「どうせ、私はブスだから」
「スタイルも、愛想もわるいしさ、
誰も可愛いなんて言わないし・・・・。。」

 

そして、近所では美人と評判の
直ぐ上の姉を逆恨みして
ますますブスな人相になっていく。

 

「私をフォローしてくれる人なんて、
結局誰もいやしない!」

と、さらに確信を深める。

これが、私が小さい時に作った
人生脚本です。

 

でも、本当の心は、

お母さんに、慰めて貰いたかったし、
私の目を見て、丁寧に扱って欲しかった。

 

「世界で一番かわいいね!」

って、
本当はおじいちゃんじゃなくて、
お母さんに言って貰いたくて、

ずうっと待っていたのだ。

で、待ちくたびれて、
とうとうイジケてしまった。

 

Unknown-2

(バナナくれたって、ぼく、絶対に
振り向かないもん)

 

余りにも強くポジティブにしている思いを
お守りにしている時は、
何らかのメッセージが隠されています。

だから疑ってかかった方がいいです。

 

 

ちょっと話はズレるけど、時々、
いませんか?

 

会社が衰退している経営者が、

 

「バブルの時は良かった。
あの時は、こんなに俺は
凄かったんだ!

何でも買えたぜ。

社員旅行は海外に行かせたな。。etc」

 

 

と、遠い過去が飛ぶ鳥落とす勢いだった
と自慢している・・・・、
胆のちっこいおやじ。

 

images-2

(あの頃はモテモテだったな〜、
飲み屋のお姉ちゃんたちに。。)

 

そんな、おいぼれちまった経営者
(すんません、辛口ですたい)

っているじゃない?

 

「社長はん、だから、バブルなんよ~。
あわあわあわ。。
それを夢の泡というのです」

 

でもね、

 

それって、
本当は今が悲しい顔のね。

 

こういうのって、

 

今を生きていない人。

 

自分の人生に責任を持てない人。

 

被害者でいたい人。

 

今の自分には価値がないから
だから過去の凄かった自分に
浸りたいのだ。

 

 

かといって、過去さえも本当は
自己価値顔真っ青があったわけではない。

 

見せかけのお金や成功が、
自分を見せない様にしていた
だけね。
メッキがはげちゃった。
つるっぱげだよん。社長はん。

 

「大丈夫、安心してくらさい。
バブルの時はね、社長はんだけで
なく、
み~んな凄かったんだから・・顔

 

って、(イヤミを)言っちゃったら、

きゃ~~~、顔

 

社長はんのメンツはどうなっちゃう
かしらん?

 

 

っと、そう言う私も、
人の事なんて言ってられません。

 

ポジティブな過去を過剰に勲章に
しているのには、
訳があるんですね~。

 

さて、話はお母さんの話に戻るけど、

セッションをしている中で、
進行を難しくしているあるパターン
があります。

 

今更だんだん言い難くなっちゃいましたが、

ここまでの記事をご覧になってくださった
読者様は、

 

もしかして、もしかして〜

 

 

私が、理解のない冷たい母親のもとで
育ったのではないかと想像されたかも
しれませんが、

 

ちゃうんです。

 

心配してくれていたらごめんなさい。。

 

私って、実はけっこう普通に育てられ
ていた方だと思うんです。

 

母親は専業主婦ですし、
食事やオヤツは手作りの美味しい
ものを毎日作って貰っていたし、

 

友達も母のオヤツを目当てに
集会のように来ていました。

 

服も母親のお手製でしたし、
会話もよく出来ていたと思う・・。

 

 

そうなると、私の愛着障害かのような、
イジケる性格は、
何時つくられたものなのでしょうか?

 

え~~~~?!

 

そんなの、考えてもちっとも分からない。

だから、

記憶にないということは~~・・、
その原因は前世かしら?
それともお腹の中かしら?

 

っと、セラピストとしては、
原因探しをしてみるが、
どうにも検討がつかぬ。

 

特に大きな不自由のない環境に
生まれていながら、
性格に色々と問題を抱えていたり、
今を生き辛く生きている人がいます。

 

反対に、こんな不幸な子供時代って、
ドラマじゃん!

っと思えるクライアントさんも
いらっしゃいますが、
何故か不幸を不幸と捉えない人も
いるのです。

 

ということは、環境で性格がつくられる
とも言えない。

 

つまり起きた環境に、どう感じ
どう思考し、何をピックアップしたかが
重要な鍵となります。

 

ですから、
特に問題ない環境で育てられ、
親はごく普通に面倒見てくれた
・・・・・はずだ!

と思っていても、
何故に素直に人と絡めないのか!
なんで私達はうまく生きられないのか!

 

ナゼナンダロウネ顔

 

これが、結論だったらいけませんか?

 

(続く・多分ちょっとだけ)

 

 

 

 

 

 

 

(今日こそ、このテーマは終わるぞ~)

 

私がずうっ~と口癖にしていた、
ポジティブな言葉。

それは、

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人が、

この世に一人存在しただけでも、
私は幸せなのだ

です。

 

 

甘味処で、美味しそうに食べて
いる私の姿を、

細い目をして観る
祖父の優しい眼差しが、

私はとっても心地よかった。

 

ここちいい

(あなたにとってワタチはお姫様でしゅ)

 

この言葉は私にとって最高に
モチベーションが上がるものだと
信じて疑わなかった。

 

だが、しかし、
言葉の裏を返してみると
わかって来ることがありました。

 

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人は、

おじいちゃん以外は誰もいなかった。」

 

・・・になります。

 

さらに、この裏にはもしや恨み節は、
入っていないだろうか??と・・・。

すると出て来るわ出て来るわ、
言いたくはないが、びっくりです。

 

 

「私を一番愛してくれる人は、
おじいちゃんしかいないの?」

 

「私が死にそうな時に守ってくれる人
っているのかしら?。。」

 

「私が、世間にポイされてもうたら
家族と言えども見捨てるかもしれない顔真っ青

 

「え〜ん、顔おじいちゃんが
死んじゃった
から、
私一人で生きていかなきゃ
ならぬのだ」

 

思い込み・妄想が、
次々にバージョンアップしていきます。

 

挙げ句の果てに、

 

「も〜〜〜、いい。
どうせ。も〜〜〜いい。。

誰も私のことなんか、
わかっちゃくれやしない。

ざま〜みろ。わかったか!拗ねてやる顔

 

 

images-1

(私が死んでも迎えに来ないでね〜だ。)

 

コレって、ナオちゃんは
超、怒っていますよね〜〜。

よ~く感じてみよう。。

 

本当の本当のナオちゃんの気持ちは、
何を言いたかったんだろうか?

 

ナオちゃんは、
本当は怒っているんじゃないんですね。

実はどうにもならない不安に怯えて
いたんです。

 

 

「お母さん私、不安なの。

お母さん、私の味方になって。

私の事をもっと気にかけて!

私の目を見て話をちゃんと聞いて!

 

最愛のおじいちゃんが
死んじゃって、

お母さんが、
狂ってしまったのを見ているのが
凄く恐くて・・・・、

お母さんが居なくなっちゃうんじゃ
ないかって・・。。

 

お母さ〜ん、私のこと、離さないで!

 

「なんなのよ、そのくらい大したことじゃ
ないじゃないの」
なんて
言わないで。」

 

ナオちゃん、
本当は悲しかったんだね。

 

かなしい

(だって、ボク、どうしたらいいのか
分からなかったんだもん) 

 

その時、何もかも失ったって思って、
悲しくて仕方なかったんだね。

 

だから、それからずっと、
心の中で独り言を言うようになった。

 

 

「私はこんなひどい扱いをされて、
可愛そうな子なんだよ~」って
ストーリーをつくって、

 

想像上の見えない誰かに
話を聞いて貰っていると、

あっという間に時間が過ぎていく。

 

想像上の見えない誰かって、

私はずっとおじいちゃんだと
思っていた。

 

でも、

 

本当の正体は、

お母さんだったってことが
やっとわかったのです。

 

ポジティブと思っていた言葉、

 

「私をあんなに愛おしい目で
見てくれた人が、

この世に一人存在しただけでも、
私は幸せなのだ

 

この思いの裏に、
それはそれは大きな不安・恐れや悲しみ
があり、

そして母に愛を欲している 切ない
思いが隠されていたのです。

 

 

ふにゃ

(あ~んお母さんのふわふわが好きなの) 

 

そのことに気づいたとき、
私は解放された。

 

私は、もう可愛そうな私でなくても、
よくなったのです。

 

祖父母、両親のもとに生まれて
来れたこの奇跡に、

心底、
感謝することが出来たのでした。

 

親子

(あなた達に守られて、
私はこんなに大きくなりました)

 

あなたも、ポジティブだと強く信じて
いることを少し疑ってみると、

ハッと答えが見えて来るかも
しれませんよ。

 

 

 (やっと、終わったぜぃ。。)

 

 

(前回からの続きです)

 

大好きな大~~好きな、
私のおじいちゃん

 

おじいちゃんは、
私の一番の味方であり、

私を目に入れても痛くない程
愛してくれた。

私を常に特別に扱ってくれて、
命がけで守ってくれるに決まっていた。
(過剰な期待と予測 です)

 

そんな祖父は、
私が小学3年生の時に、

交通事故で突然、死んでしまった顔

お葬式で子供が死に顔を見るのは、

良い事なのか悪い事なのか?
そんなことは分からないけれど、

わたしは祖父の遺言によって、
祖父の死に顔を見ていない。

 

だから、私にとって、けじめと言うか、

・・・・・・よくはわからないけど・・、

時間が止まったままになっている
気がする。

 

今までに何人もの身内とお別れし
て来ましたが、

遺体を見てしまうと、
生前の元気だった時の顔が
思い出せなくなるものだ。

 

私の場合、
故人が元気だった時の記憶と、
たった1度しか見ていない
遺体の記憶は、

だいたい半分ずつの割合になっている。

 

それだけ、死に顔はインパクトが強い
ものです。

 

遺体を見る事は、ショックだけれど、
ショックな分だけ現実と向き合うことが
出来るのではないだろうか。

 

私にとって、祖父の死とは、

祖父の遺体のポケットに入って
いた固くなった大福餅を、

母親が半狂乱になって食べていた
ことしか思い出せない。

 

 

みた

(ぼく、固まって見とります)

 

祖父は、私にとって
最大の味方だった。

祖父はすぐ上の姉に私が
いじめられていないか気遣って
くれてた。

私は、姉に意地悪をされて
どんなに可哀想だったかを、
祖父に言いつけた。

 

きっと真実よりは、
デフォルメして話していた気がする。

何故なら、
私が可愛そうな子である分だけ、

祖父は私がいかにイイ子であるか
を証明するかのように、
褒めてくれるのを知っているからだ。

 

 

自分をお姫様扱いしてくれて、
私の言う事を全面的に
信じてくれる人。

それが祖父だった。

もしや、母にとっても祖父は
そういう存在だったのかもしれない。

 

つかまえた

(ず~~っと守ってあげるね

 

ちょっと話は逸れるかもしれないが、

私は、たいていの人に、

 

「那旺ちゃんって、ポジティブだよね!」

「発想が飛んでるよね!」

「こだわりがないよね!」

 

ポジティブ

(自慢じゃないけど、あっしは
ポジティブですわい)

 

って言われることが多いのですが、

 

ところが、
親密な相手や親友関係になってくると、

 

 

「那旺ちゃん、見かけによらず、
結構ネガティブだよね、

批判的だし、毒舌で
なんか、那旺ちゃんの話って、
聞いているのイヤになっちゃった」

 

って言われたことが何度かあります。

 

そんなことを言ってくれるのは
時すでに遅し、
別れ際の崖っぷちの時なのです。

 

きっと、その前にも何回か苦言は
言ってくれているはずなのね。

でも、

私の耳に入らなかったんじゃ
ないかな?

 

さる みみせん

 (なんも聞こえてましぇ~ん)

 

私的には、
ネガティブな話をしているとは
大して認識もなく、

 

普通の会話だと思っていたので、
きっと改める気もなかったのでしょう。

 

 

なんでこんなことを話すかというと、
祖父の突然の死と、

私の愛着の問題
(ちまたでは愛着障害というね)
が関わっているのではないかと
思うのです。

 

つまり祖父に代わるような親密な
関係になった人に対して、

知らず知らずのうちに私は
自分がいかに可哀想だったかを話し、

それを聞いて貰う事によって、

その人に対し
愛着を深めていたのです。

要するに、いかに愛されているかを
測っていたのかもしれないね。

心理ゲームは無意識に働くものなので、
仕掛けている方も仕掛けられている方も
知らず知らずにはまっていく。
ドラマみたいでとっても魅惑的に
感じるものなのね。

ただし、それは最初の時だけの話であり、
それが続くとお互いに疲れてきて、
嫌われるまで終わらないものなのだ。

・・・・・・。。。

 

祖父の死にケジメが付いて
いないまま、
私は大人になってしまいました。

 

「甘味屋で甘いものを食べ」=味覚・嗅覚

「祖父と手を繋いで」=触覚

「私がいかに可哀想だった話しをし」=聴覚

「目に入れても痛くない眼差しを得」=視覚

 

これらの五感がセットになって、
私に安心感を与えてくれた祖父が、

一瞬で居なくなってしまった。

と同時に、
母親の狂乱を観てしまい、
私の安心感は一気に居場所を
失ってしまった。

でも、私が一番言いたいのは、
これからなんです。

 

また、今回もこのテーマは
終わらなかった。 

(長くなったので次回に~)

 

 

(前回からの続きです)

まぁ、相変わらずあっちこっちに
話が飛ぶブログですね。

 

洞察するに、
シリアスな場面に行くのが
嫌なんだと思いますよ。

かなり前になりますが、
姉の話の時もとん挫したままです
ものね。

実際に話してみたら、

「な~んだってなレベル
だと思います。

全然大したオチじゃないはずなの。
(多分

 

自分にとってセンシティブな事柄は、
人に触れて欲しくないものです。

それはどなたにとっても、似たような
反応が起きます。

 

クライアントさんのセッションにおいても、

真の思いに触れられる時は、
心が騒いでジタバタするもの
なのですね。

 

 

さ~て、そろそろ、

「自分が信じているポジティブな記憶
・・・真実の思いを見逃している」

のテーマに戻りましょうかね。

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

私が子供時代に心に残っていて、
一番の宝物にしている思い出は、

大好きなおじいちゃんとの
デートです。

 

土曜日になると、
おじいちゃんは私を近所の
甘味屋さんに

連れて行ってくれるのが
日課でした。

 

おじいちゃんは洋品店を経営
していたけれど、
それを息子(母の弟)に譲ってからは、

家に居づらいらしく
(母からの情報によると)
どこかで泊まり込みのお仕事を
するようになっていた。

 

それまでは、坂の下にある
おじいちゃんの家に私は毎日の様に
遊びに行っていたが、

母親から禁止されて、
行けなくなってしまいました。

きっと、母と母の実家の対立が起こした
大人の事情によるものでしょう。

 

そうはいっても、週末におじいちゃんは
ちゃ~んと帰って来てくれます

 

待ちに待った土曜日が来ると、
おじいちゃんが迎えに来るのだ。

 

おじいちゃん:
「ナオや~!じいちゃんと
甘いもの食べにいこ

 

私は、祖父のことを、
なんで大好きなのかというと、

美味しいものを食べさせて
くれるからという訳じゃありません。

 

祖父は、私にとって
最大の味方だったからです。

 

最大の味方って?

 

 

自分を誰よりも特別に扱ってくれて、
守ってくれる
存在だったんですね。

 

祖父は、私を甘味屋さんに
連れて行く道すがらに、
私の手を繋いで、

年子の姉に私がいじめられて
いないかと尋ねます。

 

私は:
「こんなことされた、あんなことされた
んだよ~」

って、祖父に姉の悪口と
泣き言顔を訴えます。

すると、

 

祖父は:
「しょうがないな~、お姉ちゃんのくせに、
妹をいじめて。。

でも、ナオが良い子なのは
おじいちゃんが一番よく分かって
いるからね。

ホットケーキでも、あんみつでも、
ソフトクリームでも、
いくらでも食べていいからね。

ナオは、大きくなったら、
立派なお大人になるから、
おじいちゃん楽しみだな~」

そういって、優しいまなざし顔
私を見ます。

まなざし

(食べちゃいたいくらい可愛いね

 

小さい頃の私はとてもシャイだった
から、

そんな時のおじいちゃんの目を
ちゃんと見れません顔

 

恥ずかしくて仕方ないのね。

 

自分を特別な存在として
扱われるまなざしが、
くすぐったいし、バツが悪いような、
微妙な立場。

 

孫の事は、
目に入れても痛くないって
表現があるが、

本当に祖父の目に、
私が飛び込んでいるかのように思えます。

 

このあと、小学3年生の6月6日に
祖父は突然他界しました。

交通事故でした。

 

祖父の遺言で自分が死んだときには、
絶対、私には見せるなとの事だった
様で、

私は祖父の傷ついた遺体を見なくて
済みました。

 

祖父の頭に、
包帯がたくさん巻かれていたと、
だいぶ大きくなってから聞いたのみです。

 

祖父は、国道の横断歩道を渡ると、
私の家に向かうのに遠回りになる
からなのか、

横断歩道の手前で道路を横切った
時に車に飛ばされたそうです。

 

悲しかったのが、
祖父のポケットに大福が入って
いた事です。

 

きっと私に少しでも早く会って、
大福を食べる私の顔が見たくて、
道を急いだのかもしれません。

 

悲しい道路

(おじいちゃ~~ん。私の為に
ごめんなさい)

 

検死が済んで、固くなった大福を
母が大泣きしながら食べていたのが、
恐かった。

大好きなおじいちゃんのポケット
でも、

遺体は遺体。

子供にとって、遺体って、
テレビの観すぎかもしれないけど、
オバケとそんなに変わらないくらい
異様な感じがします。

 

そのポケットに入っていた
コチコチの大福を、

号泣しながら食べていた母が、

狂っているように見えたのを覚えて
います。


(続く)