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(前回からの続き)

 

ここに掲載させていたクライアントさん
(仮にAさんとしておきましょう)は、
 ネットで私を探してくれた。
よくぞ私を見つけてくださいました。
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(え〜と、那旺さんのサイトわん〜)
彼女は私のセッションを受ける前に、
私のブログを全部制覇して
セッションを取り組んでくれました。
結構、記事はたくさんありますぜぃ。
凄いな〜。
彼女の自分の人生を変えようとする
覚悟が、形に現れていると思いました。
人間には人生で何回かの大きな転機が
あります。
人生で最大のイベントは、
誕生の時、結婚する時、死ぬ時と言われて
います。
人間界では・・・。
この3つの中で自分の意思が反映
出来るのは、
結婚だけとちまたでは言われていますが、
果たしてどうでしょうか?
もしかしたら、一つも決めさせて
貰うことなんてないのかもしれない顔
反対に、もしかして

3つとも決められるのかもしれない顔

私は大きな意味では、「決められない」
ではないかと思っています。
でも小さな意味では「決められる。」
なんか、わかるようでわかんない事を
言ってごめんなさい m(._.)m
皆さん、自分で決めてくだされ
(ここでは説明するのが面倒いので、
逃げさせてもらいます)
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(抜き足、差し足、忍び足っとくりゃ)
でも、人生の最大のイベントを決断する
時は、くれぐれも潜在意識の声を
聞かないとダメよ。
潜在意識の声は光の国と
繋がっているので、
あちらに任せておけば楽チンです。
皆さんの中でこういうワークが必要なら、

勉強会しましょうね〜。

話は戻って〜と、
Aさんは霊さん達を助けることが
出来る力量のある・・・・、
つまり重要な人だったから、
救われたのでしょうか?
特別な人だったから神様から命を
貰ったのかな〜?
<続きはまたね>

 

(前回から続く) 

私達の実力では、
あれくらいで(バスで逃げるのが)
精一杯だったのだ。
実力のないものが霊の世界に顔を
突っ込み、軽々に対応しては

ならないのだ。
とうとう、15年の時を経て、
彼らの霊を祀る時が来たのです。
お祀りすることが出来る人が私の前に
現れました。
去年の8月に現れたその人は、
ある意味負傷兵の様でした。
命を復活させた
クライアントさんは、
12月には霊能力を吹き返し、
本来の役目を思い出し、
1月には準備が整いました。

さて、前回の記事では、

3つ指定した港のうち、

一つ目の港を(バーチャルで)
覗いてみたクライアントさんは、
霊達の人数のあまりの多さに驚き顔
ました。
他の2つの港を合わせたら、
いったいどれだけの人数になるんだと
恐れおののいたクライアントでしたが、
結局、残りの2つの港に行ったら、
誰一人も居なかったそうです。
その理由は未だにわからないそうですが。
クライアントさんは、
「御準備宜しいですか?」とばかりに、
霊さん達を光のもとへ
上げようとした時、
よくよく見ると、シベリアから来た
ソ連人もいるではないか。
「それって、日本兵をいじめていた人
じゃないの?」

と予想外の来客に困惑したそうな。

 

だよね〜だよね〜、

反則だよね〜。

 

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いやいや、
それだけでなく、
戦後  ※シベリアに抑留された
日本兵も沢山来ているじゃないか!
※  終戦後武装解除され投降した日本軍は、
ソ連によっておもにシベリアに労働力
として移送隔離され、
長期にわたる抑留生活と
奴隷的強制労働により多数の人が
被害を受けました。
シベリアでも、戦後になっても
今なお戦争は終わっていなかった。
クライアントさんがお声をかけをしたのは、
私が訪ねた中国の特定の場所に限った
霊さん達でした。
ただ、クライアントさんは霊の皆さんに
港に集まって頂く前に、
とってもNICEなキーワードを残して
いたのを覚えていますか?
このシリーズの⑧ に書いてありますから、
ご覧くださればわかります。
11月に中国大連の記事を投稿して直ぐに、
彼女は言いました。
「今はまだ病気が治ったばかりで、
自信がないけれど、
那旺先生が上げきれなかった残りの
霊さんたちがまだいらしたのなら、
私が元気になったら必ずさせて貰います」
と、私に約束されました。
それは本当に毅然とした言葉だった。
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(わてら、聞いちまったで〜)
つまり、この時の彼女の宣言を小耳に
挟んだ中国の霊さん達は、
シベリアまで噂を繋げてくれたのでは
ないでしょうか?
改めて、もう一度、
読者の皆さんに確認しますよ〜〜。
御存知でしょうが、
この話って霊の世界の話ですからね。
シベリアに抑留された日本兵の家族が
中国に残されていたとしたら、
家族だったら何が何でもこの情報は
伝えたいと思うのが人情じゃないですか。
当然、一緒に日本に帰りたいと思いますよね!
タイミングが良かったのは、
彼女が宣言してから、
霊の皆さんにお声をかけをする迄に、
3ヶ月の期間があった事です。
このタイムラグがあったお陰で、
沢山の霊さん達に噂が広がる結果に
なったかのかもしれません。
よくよく考えると、
この宇宙は粋な事をしますね。
愛ですね〜
そうそう、
愛と言えば、こんなことが起こりました。
<続く>
注意信号で〜す。このあと最終回があったはずなのに、
投稿ボタンをミスしたおかげで
次のテーマにいってもうた。

ですので、リンク貼りますね。
霊能者シリーズの私の迷い(中国大連事件)11

 

<前回から続く>

クライアントさん:
「那旺先生!私は霊さん達にこんな
提案をしたんです。」
と話してくれた。

クライアントさん:
「提案って、こんな感じね!」

     ⇩
 
「那旺さんの乗っていたバスに
乗り損ねてしまい、
日本に帰って来れなかった皆さんに
私が今からお声掛けを致します。

どうぞ某の港にお集まり下さい。
港は、3つ用意してありますから、
お好きな港を選んでお集まり下さい。
私がお迎えに参りま〜す」
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と募ったそうだ。

成る程、彼女らしい
気の利いた提案だと思った。
クライアントさん:
「そうしたらね!
びっくりなんです。
那旺先生聞いて下さいよ。
 
3つの港のうち、
最初の港に行ってみたら(意識だけでですよ)、
 
そりゃぁも〜、凄い人数で黒山の人だかり。
 
数えられる人数じゃないんです。」
 
私:
「へー、そんなに多人数だったんだ。
 
だから、バスに全員乗り切れなかった
んだね。かわいそうに顔
よく考えてみると、
戦後から居残り組になった霊達は、
じっ〜と助けを待ち続け、
これからどう生きていったらいいか
 (実は肉体は亡くなっているけど、
魂は生きているのだ)
分からなくなっていたと思うのよ。
Unknown
(猫バス、満員です〜。)
そンな時、私達のバスがやって来て、
やっと故郷に帰れると思ったのに、
そのバスに乗り損ねちゃった顔真っ青時は
 どんなに口惜しかっただろう。
今更ながら改めて気付いたのでした。
日本へ戻ってから、
ヒーリングスクールのヒーラー達の
殆どが、
友人だった霊能者から浄霊を受けて、
 元気を取り戻したのですが、
霊能者は、中国に残してきた霊達の
存在に気付かなかったのだろうか?
改めて疑問がわいてきた。
気付いても気がつかないフリをしたの?
ボランティアなんてお金にならない
から無視したの?
それとも、自分の力では到底浄霊は
無理と判断したのかしら?
あくまでも私の想像だが、
彼は気が付いていたのだと思う。そんな気がする。
その後、1年くらい経ってから、
霊能者は私から自然に離れて行った。
そして、ついにはテレビ
ワイドショーで  世間を騒がせして、
警察のお縄になってしまったのだ。
霊能力を色と名誉欲とお金と引き換えに
した結果なのかな〜。
さて、話を戻らにゃなりませぬ。
霊能者シリーズでも書いた様に、
野ションからバスに戻り、
私の隣の席の女性が霊に
乗っ取られて直ぐに、
ヒーリングスクールの先生は、
バスの窓に張り付いて覗いている
霊達の数に驚き、
「みんな、カーテンを直ぐに閉めなさい。
目を見てはいけない!」
と叫んでいました。
その緊張感と言ったら、まるで
バスジャックにあった様でした。
あの時、窓の外にいた霊達と目を
合わせていたら、私たちは
いったいどうなっちゃったんだろうか?
隣の席のSさんの様に、
出すものもなくなる程の嘔吐を起こし、
医者も手が付けられないほど衰弱した
ヒーラーが続出していたかもしれません。
そうなったら私一人では対応出来
なかっただろう。
私達の実力では、
あれくらいで(バスで逃げるのが)
精一杯だったのだ。
<もう少しだけ続いちゃいます>

 

 

 

さて、それからどうなったんでしょか?

 

私が、中国で不幸にも亡くなられた、
戦争の被害者たちの存在を、

26年11月に、

blogによって公開することに
なったのです。

まさかそれが、寝た子を起こすことに
なるとは知らずに。

 

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ふにゃ〜、びっくりしたな〜も〜。
わしゃ目覚めたにゃろめ。

 

でも、どこかで分かっていたのだと思う。

その証拠に記事を書くことが、
なかなか吹っ切れなかったからだよね。

すごく迷っていた。根拠もなく。

多分無意識のレベルで、
とてつもないパワーを持った霊能者が
現れるのを、待っていたのだろう。

当然私は彼女に霊能があるとは、
その時はわかって
いなかった。
重篤な病を持ち、手術や薬漬けになっている
彼女には今やその力はなかった。

そんな状態の時に彼女が現れたのもあるが、
そのクライアントさん自身も、

自分にどれだけの能力があるのか
あまりわかっていなかったのでは
ないだろうか。

 

重度の病い(不治の病とも言える
かもしれない)クライアントさんが
セッションに来られてから3ヶ月位して、
私はblogを公開しました。

 

blogを欠かさず見てくれている
彼女はこう言いました。

最初は、「那旺先生、なんであんな
事を書いちゃったんですか?
お体大丈夫ですか?」

と仰っていた
クライアントさんでしたが、

3ヶ月コースのセッションの最終日には、

 

「今はまだ病気が治ったばかりで、
自信がないけれど、

那旺先生が上げきれなかった
残りの霊さんたちがまだいらしたのなら、

私が元気になったら必ずさせて貰います」

と宣言された。

顔には本気な雰囲気がバリバリです

 

病気の残像なんって、見えません。
オーラが違いますからね

 

彼女が現在の医療では到底克服するのは
難しいとされている病を完全復活した
のが、今年の1月です。

彼女は3ヶ月コースが終わって1月に
また単発のセッションに来てくれた
時にこう言いました。

 

「那旺先生、無事に全員あげさせて
貰いましたよ〜」

さらに、彼女はこういうのです。

「やっぱりこの人、本物だ!」

 

と思わせることを・・。

 

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「那旺先生、
私、霊さんたちにこう提案したんです。」

<ごめん。まだ続く>

 

 

 

 

 

 

 

ところで、

私が中国の霊の記事を投稿したことに
よって、

「私の体調が崩れたのでは?」と、

気づいちゃうクライアントさんって
めっちゃ頼もしくないですか?

このお話が何を言っているかわからない
方は、

 

霊能者シリーズ・16・戦争の犠牲者たち
霊能者シリーズの私の迷い
をご覧くださいませ>

 

 

彼女のことに皆さんご興味がおあり
かと思うので、
ちょこっとだけお話ししますね。

 

そもそも、うちに来てくださる
クライアントさんって、
ピュアな人が多いです。

でも、だいたい強烈な過去の経験から

 

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暗〜くなっちゃたり、

 

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自信がなくなっちゃったり、

 

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いじけてしまっていたり、

 

 

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自分は醜い存在だとか

存在する価値がないとか、

 

 

そんなパターンに陥っている人が
多いんですね。

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それが、どんなに美人でも

どんなに優秀だったとしても、

そんなことが問題ではないのだ〜。

 

確かにうちにいらしたときは、
そんな印象はないこともないが、

※誤解のないように一言
(このクライアントさんがそうだったと
言っているわけではありません。
多かれ少なかれ、誰でももっている
ビリーフです。皆さん例外なく
早く手放すと楽になるなのだ。)

でも、私はその人の本来の魂の形が
見えるから、

その人の魂がどこへ戻ろうとしているのか
だいたいわかります。

だから、
「行くべきところに行けるのだから
焦らないでください
と伝えたいところです。

 

「あなたがダメな存在だったら、
誰がダメじゃない人になるんじゃい!」

と声を上げて言いたい。


「守護霊も先祖もそういっとるで!」

とも言いたい。

 

「私があんさんの魂の光を通訳させて
貰いまんがな〜」

とも叫びたい。

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も〜興奮して目玉が出ちまうでないか〜

 

あ〜〜ぁ、また話はそれるので、
本題に戻ります。

そのクライアントさんが、
無料オリエンテーションに予約をして
くれて、

初めてお話ししたのは去年の8月
のことでした。

医者からは死期は告げられていないと
言っていましたが、

本人も医者も家族も、誰が見ても、
今年いっぱいの命といえる
重症な病を持っていた
クライアントさんなんです。

 

私は初めて電話でお話しした時に、
彼女がここ数ヶ月でこの世にいなくなる
命のようには思えなかった。

そして、当人も本気で私と同じ思いだった
ようだ。

その考えは、
常識から言ったら、クレイジーなことなの
だろうが・・・。

しかし、それを裏付けるように、
彼女の信頼する尼さんから、

彼女はアドバイス(チャネリング)を
受けていたそうだ。

8月にあるヒーラーのところに
行くことによって、
あなたの命は救われると。

彼女を救ったというヒーラーが
私だと言いたいんじゃないんです。

色々なお導きがあって、
結果、救われたんですね。

 

これ、本当の話です。
解説は控えますが。

 

でも、薬の副作用って怖いもので、
その人の本来の魂の輝きさえも、
黒ずませてしまうかのように、

彼女の本来持っていた感性は、
ストップさせられていた状態で
お越しになったのです。

死期は近づいているし、
薬はアレコレ打たれるし、
あちらこちら痛かったり、

自分が自分で無くなるような、
そんな不安もあったかもしれませんね〜。

それは誰だって当然のことです。

 

彼女は3ヶ月コースのセッションを
選んでくれて、

3ヶ月間、私は彼女から
たくさんの事を
教えてもらった気がします。

 

<続きは、また明日お会いしてからね〜>