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(前回の続きです)

Kちゃんは次男の小学生時代の同級生の母であり、
私にガッツが有った時代のバレーボールチームの
新人同士であり、

親友と呼ぶに等しい人となる。

親友と呼ぶに等しい人・・って、
「ナニコレ・・回りくどい言い方をしているよなぁ」
て書いておきながら思った。

「親友」と定義した時点で、
他の友人との親しさをランク付けしてしまうみたいで、
少しだけ抵抗が有った。

だから、今までKちゃんを「親友だ」という
位置づけもせずにいたが、
ここで敢えて「親友」といって紹介したい。

大人になってから親友を作るなんて、
なかなか難しいと思っていたけれど・・・、

これまた思うに、

一緒にいた時間や、
思い出の多さとかが絶対なる信頼関係を
作るわけじゃないんだな~って。

いかに自分をさらけ出しても、
どんなに世間にみっともないことをしたとしても、

ただ、ありのままの自分を認めてくれて
受け入れてくれて、

そして質の高い時間をいかに共有できたかが
重要であり、

出来ることなら似たような価値観で、
互いが同じ方向に向かって行けているのなら、
とても楽しい事だろう

 

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(お帰りなさい。いつも私の心の中にあなたの
居場所はあるんだよ)

 

Kちゃんとは、10年近く会っていなかったけど、

10年会わなかった間に、
私が色々とアホなことをしてきたストーリーを、
言いにくい事も含めて素直に話せたものだ。

「那旺ちゃんが幸せならいいよ。
それで十分だよ」

って、Kちゃんは優しく微笑んで
新しい私を招き入れてくれた。

 

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(あなたが幸せならそれでいいんよ

 

先週、次男と一緒にKちゃんの家に
行ってきた。

次男とKちゃんが会うのは、
20年ぶりになるだろうか。

Kちゃんは、前よりももっともっと、
幸せになっているように見えた。

パワーと輝きと充実感が感じられる。

次男もきっと同じように見えた事だろう。
明るい表情や張りのある声を聞いただけで、
誰が彼女をステージ4の乳癌と骨まで全身転移した、
癌患者なんて、思うだろうか。

 

Kちゃん:
「4月にさぁ、いい加減この私もお別れだわ!
って
思ってね、

救急車で運ばれて覚悟を決めたんだけど、

だって、今までにない痛さだったから、
気を失いかけたのよ。

でも、普段薬飲んだことが無かったから、
一番弱い痛め止めが効いちゃってさ、
復活しちゃったわ。

緩和ケアの医者もびっくりよ

こんなに元気な末期患者なんてあり得ないって。

噂っていつの間にか広がるもので、
広島から友人達が最期のお別れに
続々と来ちゃってさ、

こんなに元気なもんで、
お部屋が個室だったから、
6~7時間くらいお喋りして帰ったよ。

まるでサロンでお茶会みたいになったから
楽しかったわ。
みんな、拍子抜けしてた~。(ワッはっはっは

それにしても那旺ちゃん流石だね、
私が退院したら直ぐにメールが来たからさ。
こうやってちゃんと分かるんだね!

私、裸とかも見られるのが嫌だから、
看護師さんが着替えとか入浴のケアとか
してくれるというのに、

断っちゃってね。
看護師さん、やることないって言ってた。

自分のことが自分で出来なくなったら
神様に召し上げてくださいって頼んであるからね」

 

・・・・こ~んな調子です。

 

「階段は降りるのに一苦労になってきたよ。
先日、主人と車椅子でラーメンを食べに行ったら、
お店の人に、『足を骨折されたんですか?』

って、聞かれたから、

『これでも全身の骨まで転移した末期患者なんですよ~。』

って答えたら、

お店の人は、どうやってリアクションしたらいいか
分からなくなったみたいで、慌てさせちゃったよ。」

 

まさに、昔のKちゃんのまんまです。
彼女は全く変わらない。
一貫しているのだ。

 

「こうやって主人も退職したから、
一緒にいてくれて、最近は食事の支度も
任せちゃっているんだ。

助かるわホント。。

ご縁ね。この人で良かったって思ってる。

那旺ちゃんちに1回だけ家出をしたもんね!

あの時、ベルを押したら旦那さんが出てきて、
那旺ちゃんはメリーちゃんの散歩に行っていたのに、

那旺ちゃんの旦那さんは、扇風機をあててくれて、
冷たいものも出してくれて、・・・

私を追い返さなかった。

那旺ちゃんが反対の立場だったら、
家の主人だったら、何も対応なんてしなかっただ
ろうに、

何にも言わずに受け入れてくれて、
私、あの時の恩は忘れないんだ。

で、嫌な顔一つしないで、
なにも聞かずに泊めてくれた。。

私、本当に嬉しかった。」

 

彼女からこの話は何度も聞く。
隣で一緒に煙草を吸いながら聞いている
旦那さんも、

そんなことあったなぁ風で、
聞けるような態勢になっているようで・・・。

 

Kちゃん:「この人こうやってタバコ吸うじゃない?
私が癌になったのって、
煙草のせいじゃないかと思っているのね。

他に、癌になる理由がないからなぁ~」

 

那旺:
「確かに・・今時遺伝って~のも、
古い科学の話だしさ、

Kちゃんが性格的に癌になるタイプとは思えない
って私も思っているんだけどさ~」

 

と、隣のソファーで一応換気扇を付けながら
煙草をくゆらせる亭主を二人で見る。。

 

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(アノヒト・・ハンニンっすか?疑惑。。)

 

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(聞こえないふりの亭主

 

那旺:
「いや、一つだけ気になる理由があるんだ~。

今更ねぇ、理由を知ったり犯人捜しをしたって、
どうなる訳でもないんだけど、

私はそれが怪しいって思っているの。

だから、検証のために今からインタビューするから、
答えてくれる?」

 

Kちゃん:
「もちろんよ。。なんでも聞いて!」

 

(続く)

 

 

次男の小学生時代の同級生の母、
Kちゃんと出会ってから何回もしない時に
彼女は私にこう言った。

 

Kちゃん:「顔は違うんだけど、
那旺ちゃんって私の従姉妹に凄い似ているの。
従姉妹も少し変わった人なんだけどね!

那旺ちゃんと私は全然違うようで、
でも私と似たものを持っている様に感じるわ。
こういう風に思うのって、これで二人目よ。」

 

Kちゃんは優しくて、
とってもピュアでいい人なんだけど、
なんかがズレている様な・・、

かと言って何一つもズレていない様な・・、
私にとって、訳のわからない存在だった。

でも、気になる人には変わりない。

それからもう20年が経つけれど、
ここ10数年は私が引っ越したこともあり、
彼女とはあまりやり取りはしていなかった。

 

彼女とはPTAのママさんバレーで一緒にやっていたが、
その後、物足りなかったのか、
もっと上手くなりたかったのかはわからんけど、

二人とも同じバレーのクラブチームに入った。

知らなかったとはいえ、
かなりランク上の厳しいクラブチームに入ってしまい、
入った以上はしっかりやらねばならぬ掟がある。

新人の二人は、ヘーコラしながら、それでも
楽しくやっていた。

へ〜

(うわ〜エロヘロですたい。Kちゃん。。)

 

Kちゃんを⇨「変わった人」
それをどう表現すればいいかというと、

「人生の生き方が下手くそな人」という意味かもしれない。
「正直すぎる人」とも言える。

そこらへん位までなら私には理解できる。

実際そういうタイプのクライアントさんが
私のところにも多くいらっしゃる。

でもだいたいそういうタイプの人は、

人に疎外されて自信を失い小さくなっているか、
人に悪く思われるのが怖いから、自分を出せないとか、
逆に人が怖すぎて、自分の感情を感じなくさせたり、

怒りとなって強気に出てしまい人間関係が
上手くいかないと悩まれている。

 

しか〜し、Kちゃんは少し違っていた。

 

間違ったことは違うとハッキリいっちゃうし、
大人数の前でも、社会的に偉そうな人に対しても、
自分の意見はきちんと言った。

例え自分が不利になるとわかっていたとしても、
臆せず言ってのけた。

人生の指針を、
「好きか嫌いか!」「心地良いか心地悪いか」で
シンプルに決め、決して不快なことはやらなかった。

では、それがワガママと言えるかどうか!

彼女は人の嫌がること、面倒臭がることも
率先としてやることも多々ある。

それも、愚痴や文句も言わず、楽しそうに。

裏表がなく、全てにおいて平等で、
他人の子供たちもかわいがった。
Kちゃんの目を見ればわかる。

本当に愛おしそうに子供らを見ている。

決して偉ぶる発言はしなかった。
陰口も言わなかった。

何れにしてもハッキリと意見を持っていた。

ただ、そこには攻撃的なものは見つけられず、
理不尽なことは理不尽だと、「NO」と言った。

時には、周りから総すかんを食い、
「あなたは我が儘だ、世の中とはそういうものじゃない」

と、社会的に常識人なる人に諭されていた。

もちろん姑にも夫にも、家族にも、
「あなたは我が儘、馬鹿だから!
あなたは甘い!」

って言われていた。

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(もう、聞きたくないもん)

 

これは20年以上も前のことであって、
あの頃の私はこの常識人たちと変わらぬ人間だった。

つまり心理の勉強も当然していない時期で、
みんなと同様に、心の内と行動は別だった。
決して正直ではない。

 

心の内と行動が違う常識人の筈の私に、
Kちゃんは、こう言った。

 

Kちゃん:「家族でさえも呆れられてる私に、
那旺ちゃんは私の事を否定せずに受け入れてくれた
初めての人なのよ」と。

 

果たして私がKちゃんを受け入れたのかは分からないが、
否定する理由が見つけられなかった。

と言うより、私にとって
Kちゃんそのものが新鮮であり
とても興味深かった。

周りに臆することの無いこの強さ、そして
純粋性はいったいどこからやって来るのか!

 

それから20年経ってKちゃんは体現して
その答えを見せてくれた。

 

(続く)

 

 

前回の続きで言うと、

次男の小学校時代の同級生の母。。
Kちゃんのことをお話しすると言っていました。

ですが、
どうしても、言葉が降りてこない

書こうと思うと、真っ白になってしまう。

すんまへん。

ちょろっとわしにお時間をおくんなまし。

 

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(すんまへんにゃん)

 

私にとって、この話はとっても重要な
ことらしいので、
そう簡単には書かせてくれないのだ。

 

で~、

こんなお話はどうでっしゃろか?

 

最近思うに、おばあちゃん子って、

性格が優しくて大らかで、キャパが大きくて

その人の本来持っている才能が、
凄く発揮しやすいんだろうなぁって
思うんです。

人を観ていて、それがな〜んとなく、わかるのね。

「ねぇねぇ、あなた、おばあちゃん子でしょ?」

と聞くと、

「えっ?なんでわかるの?そうそう、
私はずっとおばあちゃんに可愛がられて育ちました」

って具合に。。

 

そういう私はおばあちゃん子ではないのだが。

父方からも母方からも、
可愛がって貰った経験は殆どない気がする。

そんなこと言ったら罰当たりかな?
特に母方のお祖母ちゃんには、

毎日遊びに行った上に、
小さな金額だったけど駄菓子を買う
お小遣いも毎度貰っていたはずだ。

 

そもそも、おばあちゃん子っていう立場
いったい誰が決めるんだろか!!

数いる孫の中でも特別に相性がいいとか、
特別に目をかけて貰ったとか、
おばあちゃんが単純に好きでなついていたとか・・
そういう印象で、家族の誰かが決めるんかな?

で、それを本人が受け取った時に
「おばあちゃん子」という称号を手にするのか!

 

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(あんたは、私の宝物なんよ~)

 

最近こんな話を聞いた。

「うちの母って、
日々使うお金がないと言って嘆いているくせに、
孫に沢山お金を残して死にたいからって言って、

絶対に使わないっていうんです。」

 

なかなか立派なおばあちゃんかもしれませんが、
注目したいのは何かというと・・、

「絶対に使わない!お金を残して死にたい」

という、おばあちゃんの動機が
どこからわいて来るかですがね。

 

死んだ後に、
「おばあちゃんは私の為に残してくれたんだ〜」

って、
孫から感謝して貰えることもあるでしょうが・・、

 

おばあちゃんの動機が、
「私は孫にお金を残せるほど、立派な人だった」
と思われたくて、

 

死んだ後の自分が世間様から賞賛されたくて
そうしているとしたら・・どうでしょうか。
もしかして・・孫から、

「この程度の金額しかくれないんだ、ばばぁの奴、
やっぱりケチだな!」

なんて言われちゃったりして顔

 

やっと、あの世で気づくんでしょうかね。

「私はなんてバカだったんだろうか!」と。。(後悔)

または、「おのれ〜許さん!」
と怒りまくっているかの・・どちらかかもしれません。

 

私はここで、
こんなシミッタレタ話をしたかったのではない。

 

話す

(シャーマンの雰囲気よん)

 

私の心に光を落としてくれたおばあちゃん
お話をしたかったのだ。

でも、それが大したエピソードではないので、
ここまで引っ張ってきて、
勿体振るほどのこともないんだけど。。

 

私が小学生4年生の時に、
父親の部下でチーちゃんという20代後半位の
男性がたまに遊びに来ていました。

昔のサラリーマン風で、上司には絶対服従みたいな
雰囲気に私には見えた。

チーちゃんは、ちょっと頼りなさげで
やけに細〜い。

性格は実直で真面目な人。

あまりいきさつは分からないのだけど、
母が教えたくれたのは、

 

母:「チーちゃんはあなた達(姉と私のこと)のことが
不憫だからって、二人を遊びに連れて
行ってくれるんだって」

といった。

何が不憫かというと、
父親がいつも不在でどこにも遊びに
連れて行ってもらえない子供だからとのことでした。

何で父親がいつも不在かというと、
結核で何度も入院しているか、
あとは仕事とか付き合いとかで常に夜中帰りだったりで、

私たちは父親というものを知らないと言っていた。

これらの解釈が正しいかは別として、

そういうわけで、私たちはチーちゃんのお盆の
お里帰りに、連れて行かれることになった。

 

チーちゃんの実家で何があったかは、
実はほとんど覚えていない。

何を食べさせてもらったのか、
どこへ連れて行ってもらったのか、
誰がいたのかさえも全く記憶にないのだ。

ただ、たった一つだけ覚えていることがある。
忘れられないことがある。

 

昔の田舎だからか、寝るときは蚊帳が
かけられていた。
お盆の時期なので暑い夜だった。

 

チイちゃんのおばあちゃんは、
私を寝かしつけてくれた。

寝かしつけるって言ったって、
既に小学4年生の私を寝かしつける必要は
全くないのだが、

何を話すこともなく、
横になっている私をずっと見て、
ウチワであおいでくれている。

昔の人だから、浴衣を着て正座をして、
ゆっくりゆっくり扇いでくれる。

柔らかい風だった。
リズムも遅くなく早くなく、
とっても心地いいリズム。

私の呼吸に合わせるが如く、
穏やかの風が私に寄せられる。

 

私は、いつもと環境が違ったせいなのか、
全然寝付けないでいた。

寝返りをして薄い夏掛けが捲れると、
おばあちゃんは丁寧にそっと直してくれた。

おばあちゃんが
せっかく寝かしつけてくれているのに、

寝ないと申し訳ないので、寝たふりをした。

ちゃんと寝たふりをしているのに、
おばあちゃんは扇ぐのをやめない。

一時間も時間は経過しただろう時に、
私はうつらうつらしだしたが、
おばあちゃんはまだ手を動かしている。

とっても暑い夏の夜なのに、
おばあちゃんは足も崩すことなく、
ずっとずっと。

「おばあちゃん、何で止めないの?
疲れちゃうよ。」

って聞きたかったけど、
寝たふりしているから聞けないでいる私。
次の夜もお泊まりしたので、また同じことが起きた。

 

次の日は、私は寝たふりをしなかった。
それより寝るのがもったいなかった。

 

那旺:「おばあちゃん、疲れないの?
何でそんなにずっと私のために扇いでくれるの?

 

おばあちゃん:「なおちゃん、何も気にせんと
いいんですよ。おばあちゃん疲れないから大丈夫。
大事なお嬢ちゃんが虫に刺されたり、

寝れなくてはいけないからね。
大きく育ってもらわなきゃならないお人だから・・、

安心してお眠りなさいな」

って。。

おばあちゃんにすまないし、
勿体なくて仕方なかったけど、

おばあちゃんの言葉を聞いて安心した。

こんなふた晩を過ごしただけの事だけど、
おばあちゃんの顔さえも声も何も覚えていないけど、

あの風の心地よさを私は一生忘れていない。
おばあちゃんはとっくに亡くなっているだろう。
もしかしたらチイちゃんさえも、
この世にはいないかもしれないけど、

私の心に大きく、深く残っている。

 

死してもその人の心に残り続けるのって、
年月でも、血縁でも、お金でもない。

あの時のおばあちゃんの眼差しが今の私を
育てている。

たかが孫の上司の子供である私に、
生きるための息吹を扇ぎかけてくれた。

 

おばあちゃん子って、
おばあちゃんが持つ独特のエネルギーでもって、

こんな感じで
健やかに育っていくのだろう。

 

愛

(おばあちゃんの私を見る眼差しは
忘れないよ、ありがと

 

 

 

自分を知るなら、ルーツを知れ!

 

セッションをしていると、
今悩ませている問題の原因は、
親との関係性を見ない事には、とても解決できない。

特に母親との問題が殆どです。

母親との問題は、人間関係や安心感に
影響を及ぼすことが多い。

父親との問題は、仕事や経済に関係することが多々ある。

しかしその度合いは、母親とは比べものにならない。

 

親との関係を見ていくにあたって、
さらにハードルを越えなくてはならないものがある。

それは、ルーツだ。
先祖の問題は外せないのです。

先祖関係をやることになると、
かなりスピリチュアルなセッションに発展する。

この話はまたの機会にお伝えするとして、
(前にもどこかで書いた気もするが、真っ赤な嘘かもしれぬ)

 

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(うそ・嘘・くそ?・。。かもしれぬ)

 

で、ルーツにおいて何を言いたいかというと、

ちょっと考えたのね。
今の人間関係のルーツを。

Aさんと知り合ったのって、誰からの紹介だったっけ?

Aさんを紹介してくれたBさんは、
誰からのお導き?
Bさんを会わせてくれたのってCさんじゃん。

Cさんと出会えたのは、セミナーだったよな。
そのセミナーって誰に教えて貰ったっけ?

 

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(Aさん=Bさん×Cさん⇒ご縁は繋がって行く)

 

ってな具合に、遡っていくと
私の場合は一つのパターンがあった。

その繋がりの殆どが次男の方に行き着いた。
私から次男へルーツを辿れば、

夫との出会い~最終的には私の両親に
行き着くのは当たり前なわけだが

 

不思議なことに、最近になって、
今現在の私の人間関係を次男に繋ぎ戻して
いるのだ。

無意識にご縁の巻き戻しをしているようで、
人間の行動とは興味深い。

要するに、

最近次男に会わせた友人Mさんをピックアップして、
Mさんとの人間関係のルーツを一人ひとり遡ってみると、
その間に16人も人が介在し、次男にたどり着くのだ。

 

16人を経由している間には、
多くの人に影響力を及ぼす人が4人いらした。
その人は当然私にも大きく影響を与えてくれた訳だが、
(悲しい目顔にあった人のことも当然含まれている)

今書いているブログにおいては、
凄~く地味なんだけど、でも、
私の心をほっこりさせてくれたという意味で、

私の人間形成に影響を与えてくれた人顔
いうべきなのだろう。

 

前回と前々回のブログで登場した、
痛いほどに大好きで、
そして私の人生に影響(彩りともいう)を与えてくれた
友人顔も次男の存在なくしては知り得なかった。

 

これから書こうとしている人は、
次男の小学校時代の同級生の母、
Kちゃんのことです。

 

前回のブログで出てきた女性は、
次男の幼稚園時代の友だちの母でした。

その人との深い関係性を伝えるには、
その方が味わった深い傷や経験や喜びも含めて書きたいところだが、

シリアスなプライベートについては
それなくしては書けないので、
奥の奥にあるエッセンスをお伝えするのは、かなり難しい。

でも、10分の1でも、感じたものをお話しできたらいいなぁ、って思ってる。

 

で、話はKちゃんに戻りましょうかね。

Kちゃんはハッキリ言って変顔でした。
家族からも誰からも彼女は理解されない人だった。

私も理解しがたい所は有ったが、
理解したいと思った。

何故なら、もしかしたら彼女は
誰も気づいていない真実を知っているのではないか??

もしそうならば、
その可能性を消したくなかったからだ。

 

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(理解したいの。何だかわからないあなたを)

 

(すんませんねん。次回に続きます)

 

PS:皆さんも、縁の深い友人や、
好きな人、嫌いな人などのルーツ
辿ってみてくださいまし~

 

 

(前回の続き)

もう20年以上前のヤングママ時代の話です。

勝手なもので、子供たちに一日1時間以上は
ゲームをさせない禁止令を作っている癖に、

自分たちの都合によって、
禁止令を解き、

偉そうにも、まるで慈悲かのように、
今夜だけは無制限にゲームをやってもいいよ
許可を与える。

有難いことに
子供たちは、目をキラキラ輝かせてくれる。

こうやって、
居酒屋に行く算段を整える身勝手な母たちっす。

 

それでも、近所の居酒屋に出向くときは、
交代で家に戻り、
子供たちの様子を確認しに行くところは、

まだ、母親を続行できている。

 

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(よ~く生まれてきてくれたねぇ

 

 

彼女は、とても人懐っこい性質なので、
私の元夫も気に入ってくれたのが有難い。

それを良いことに、
子供を預けて、たまに都会の繁華街に
行ったりもした。

 

有楽町のガード下は、私にとって、
めっちゃ魅惑的だった。

 

ずっと真面目に生きてきた私にとって、
人間らしい淫らなことをしている感があり・・、

妙にドキドキした。

 

戸締りされていないボロっちいたたずまいの
有楽町ガード下の飲み屋街は、

全然色気がないはずなのに、
エロい感じがしたのは何故だろか?
初夏の風がそうさせたのだろうか?

 

ガード下では私の大好きな濁酒を何杯も飲んだ。
あの頃は、いくら飲んでもいくら食べても
酔わないし、お腹もいっぱいにならなかった。

焼き鳥を食べ終わった櫛も、
筮竹を占えるくらいに数十本も溜まっていた。

40年もガード下で営業しているおっちゃんに、

私達は創業以来の新記録の客だと言われた。
何が新記録かというと、レシートの長さだ。
多分、30センチくらいあっただろう。

女二人でしかも濁酒を何杯も飲み干し、
食べるは食べるは・・、

そしてずっとアホな事を言いまくっている。

 

例えば、
お馴染みさんばかりが飲みに来る居酒屋は、
そもそもアットホームなんだけど、

私たちがいくと、さらに親睦というか、
一体感が深まり、
初めて会った人たちなのに、

みんなでシリトリをしたり、
合唱したりと、
知らぬ間に私たちが仕切ることになった。

2人があまりにも楽しそうなので、
お客さんに声をかけられ、
いつの間に誰かにご馳走になっていた。

稼げていない主婦にとってはありがたい

今考えると、銀座のホステスより
私たちの方がずっとお客様を和ませて
いたんじゃないだろうか。

で、和ませすぎてしまい、
お店の親父さんの女房が嫉妬して、

出入り禁止令を出されたこともありました。
店主が済まなそうにしていた。
「私たちって、出入りを禁止にされるくらい、
可愛くて人気ものなんよね~」

 

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(オラっちらの愛嬌度は・・レベル高いで~)

 

って言って、全然めげなかった。

 

私が1年に1度・・・
無性に遊びたくなる・・胸が高鳴る
季節が今なのは、

彼女と初めて朝帰りをした時の
ヒヤッとした朝靄と、夜明けの美しさとが
細胞に刻まれているからかもしれない。

 

彼女は道にコンタクトレンズを落としたり、
ズル剥けるほど転んでみたりと、
兎に角、二人でいると子供の様にはしゃいだ。

 

子育てしている母親なのに・・・っと
すご~く悪いことをしている感覚と同時に、

それを共有する友がいてくれること、
それが私に生きている感覚を感じさせてくれた。

子供の頃にしそびれた何かを私に思い出させて
くれた人。

 

転勤族の彼女は、
また違う場所で私にしてくれたように、
人を楽しませているだろう。

そんな彼女に人生最大の危機が
訪れたことを噂で聞いた時、

本当に何もしてあげれない事って
あるんだなって、歯がゆかった。

何も手だてがないんじゃ・・、
もう・・しゃあないじゃん。
だから・・、ずっと見守っていた。

それから何年かたって、
立ち直ってくれて・・・、私ホントに嬉しいよ。。
あのハチャメチャしていた時から、
既に20年以上の歳月が経つけれど、

今また振り返ってみるに、

私を語るのには外せない人なんだと
改めて想う。

想うだけで痛いほど好きな人。。