霊能者シリーズの私の迷い(中国大連事件)⑩


 

(前回から続く) 

私達の実力では、
あれくらいで(バスで逃げるのが)
精一杯だったのだ。
実力のないものが霊の世界に顔を
突っ込み、軽々に対応しては

ならないのだ。
とうとう、15年の時を経て、
彼らの霊を祀る時が来たのです。
お祀りすることが出来る人が私の前に
現れました。
去年の8月に現れたその人は、
ある意味負傷兵の様でした。
命を復活させた
クライアントさんは、
12月には霊能力を吹き返し、
本来の役目を思い出し、
1月には準備が整いました。

さて、前回の記事では、

3つ指定した港のうち、

一つ目の港を(バーチャルで)
覗いてみたクライアントさんは、
霊達の人数のあまりの多さに驚き顔
ました。
他の2つの港を合わせたら、
いったいどれだけの人数になるんだと
恐れおののいたクライアントでしたが、
結局、残りの2つの港に行ったら、
誰一人も居なかったそうです。
その理由は未だにわからないそうですが。
クライアントさんは、
「御準備宜しいですか?」とばかりに、
霊さん達を光のもとへ
上げようとした時、
よくよく見ると、シベリアから来た
ソ連人もいるではないか。
「それって、日本兵をいじめていた人
じゃないの?」

と予想外の来客に困惑したそうな。

 

だよね〜だよね〜、

反則だよね〜。

 

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いやいや、
それだけでなく、
戦後  ※シベリアに抑留された
日本兵も沢山来ているじゃないか!
※  終戦後武装解除され投降した日本軍は、
ソ連によっておもにシベリアに労働力
として移送隔離され、
長期にわたる抑留生活と
奴隷的強制労働により多数の人が
被害を受けました。
シベリアでも、戦後になっても
今なお戦争は終わっていなかった。
クライアントさんがお声をかけをしたのは、
私が訪ねた中国の特定の場所に限った
霊さん達でした。
ただ、クライアントさんは霊の皆さんに
港に集まって頂く前に、
とってもNICEなキーワードを残して
いたのを覚えていますか?
このシリーズの⑧ に書いてありますから、
ご覧くださればわかります。
11月に中国大連の記事を投稿して直ぐに、
彼女は言いました。
「今はまだ病気が治ったばかりで、
自信がないけれど、
那旺先生が上げきれなかった残りの
霊さんたちがまだいらしたのなら、
私が元気になったら必ずさせて貰います」
と、私に約束されました。
それは本当に毅然とした言葉だった。
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(わてら、聞いちまったで〜)
つまり、この時の彼女の宣言を小耳に
挟んだ中国の霊さん達は、
シベリアまで噂を繋げてくれたのでは
ないでしょうか?
改めて、もう一度、
読者の皆さんに確認しますよ〜〜。
御存知でしょうが、
この話って霊の世界の話ですからね。
シベリアに抑留された日本兵の家族が
中国に残されていたとしたら、
家族だったら何が何でもこの情報は
伝えたいと思うのが人情じゃないですか。
当然、一緒に日本に帰りたいと思いますよね!
タイミングが良かったのは、
彼女が宣言してから、
霊の皆さんにお声をかけをする迄に、
3ヶ月の期間があった事です。
このタイムラグがあったお陰で、
沢山の霊さん達に噂が広がる結果に
なったかのかもしれません。
よくよく考えると、
この宇宙は粋な事をしますね。
愛ですね〜
そうそう、
愛と言えば、こんなことが起こりました。
<続く>
注意信号で〜す。このあと最終回があったはずなのに、
投稿ボタンをミスしたおかげで
次のテーマにいってもうた。

ですので、リンク貼りますね。
霊能者シリーズの私の迷い(中国大連事件)11