<前回から続く>

クライアントさん:
「那旺先生!私は霊さん達にこんな
提案をしたんです。」
と話してくれた。

クライアントさん:
「提案って、こんな感じね!」

     ⇩
 
「那旺さんの乗っていたバスに
乗り損ねてしまい、
日本に帰って来れなかった皆さんに
私が今からお声掛けを致します。

どうぞ某の港にお集まり下さい。
港は、3つ用意してありますから、
お好きな港を選んでお集まり下さい。
私がお迎えに参りま〜す」
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と募ったそうだ。

成る程、彼女らしい
気の利いた提案だと思った。
クライアントさん:
「そうしたらね!
びっくりなんです。
那旺先生聞いて下さいよ。
 
3つの港のうち、
最初の港に行ってみたら(意識だけでですよ)、
 
そりゃぁも〜、凄い人数で黒山の人だかり。
 
数えられる人数じゃないんです。」
 
私:
「へー、そんなに多人数だったんだ。
 
だから、バスに全員乗り切れなかった
んだね。かわいそうに顔
よく考えてみると、
戦後から居残り組になった霊達は、
じっ〜と助けを待ち続け、
これからどう生きていったらいいか
 (実は肉体は亡くなっているけど、
魂は生きているのだ)
分からなくなっていたと思うのよ。
Unknown
(猫バス、満員です〜。)
そンな時、私達のバスがやって来て、
やっと故郷に帰れると思ったのに、
そのバスに乗り損ねちゃった顔真っ青時は
 どんなに口惜しかっただろう。
今更ながら改めて気付いたのでした。
日本へ戻ってから、
ヒーリングスクールのヒーラー達の
殆どが、
友人だった霊能者から浄霊を受けて、
 元気を取り戻したのですが、
霊能者は、中国に残してきた霊達の
存在に気付かなかったのだろうか?
改めて疑問がわいてきた。
気付いても気がつかないフリをしたの?
ボランティアなんてお金にならない
から無視したの?
それとも、自分の力では到底浄霊は
無理と判断したのかしら?
あくまでも私の想像だが、
彼は気が付いていたのだと思う。そんな気がする。
その後、1年くらい経ってから、
霊能者は私から自然に離れて行った。
そして、ついにはテレビ
ワイドショーで  世間を騒がせして、
警察のお縄になってしまったのだ。
霊能力を色と名誉欲とお金と引き換えに
した結果なのかな〜。
さて、話を戻らにゃなりませぬ。
霊能者シリーズでも書いた様に、
野ションからバスに戻り、
私の隣の席の女性が霊に
乗っ取られて直ぐに、
ヒーリングスクールの先生は、
バスの窓に張り付いて覗いている
霊達の数に驚き、
「みんな、カーテンを直ぐに閉めなさい。
目を見てはいけない!」
と叫んでいました。
その緊張感と言ったら、まるで
バスジャックにあった様でした。
あの時、窓の外にいた霊達と目を
合わせていたら、私たちは
いったいどうなっちゃったんだろうか?
隣の席のSさんの様に、
出すものもなくなる程の嘔吐を起こし、
医者も手が付けられないほど衰弱した
ヒーラーが続出していたかもしれません。
そうなったら私一人では対応出来
なかっただろう。
私達の実力では、
あれくらいで(バスで逃げるのが)
精一杯だったのだ。
<もう少しだけ続いちゃいます>

 

 

 

さて、それからどうなったんでしょか?

 

私が、中国で不幸にも亡くなられた、
戦争の被害者たちの存在を、

26年11月に、

blogによって公開することに
なったのです。

まさかそれが、寝た子を起こすことに
なるとは知らずに。

 

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ふにゃ〜、びっくりしたな〜も〜。
わしゃ目覚めたにゃろめ。

 

でも、どこかで分かっていたのだと思う。

その証拠に記事を書くことが、
なかなか吹っ切れなかったからだよね。

すごく迷っていた。根拠もなく。

多分無意識のレベルで、
とてつもないパワーを持った霊能者が
現れるのを、待っていたのだろう。

当然私は彼女に霊能があるとは、
その時はわかって
いなかった。
重篤な病を持ち、手術や薬漬けになっている
彼女には今やその力はなかった。

そんな状態の時に彼女が現れたのもあるが、
そのクライアントさん自身も、

自分にどれだけの能力があるのか
あまりわかっていなかったのでは
ないだろうか。

 

重度の病い(不治の病とも言える
かもしれない)クライアントさんが
セッションに来られてから3ヶ月位して、
私はblogを公開しました。

 

blogを欠かさず見てくれている
彼女はこう言いました。

最初は、「那旺先生、なんであんな
事を書いちゃったんですか?
お体大丈夫ですか?」

と仰っていた
クライアントさんでしたが、

3ヶ月コースのセッションの最終日には、

 

「今はまだ病気が治ったばかりで、
自信がないけれど、

那旺先生が上げきれなかった
残りの霊さんたちがまだいらしたのなら、

私が元気になったら必ずさせて貰います」

と宣言された。

顔には本気な雰囲気がバリバリです

 

病気の残像なんって、見えません。
オーラが違いますからね

 

彼女が現在の医療では到底克服するのは
難しいとされている病を完全復活した
のが、今年の1月です。

彼女は3ヶ月コースが終わって1月に
また単発のセッションに来てくれた
時にこう言いました。

 

「那旺先生、無事に全員あげさせて
貰いましたよ〜」

さらに、彼女はこういうのです。

「やっぱりこの人、本物だ!」

 

と思わせることを・・。

 

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「那旺先生、
私、霊さんたちにこう提案したんです。」

<ごめん。まだ続く>

 

 

 

 

 

 

 

ところで、

私が中国の霊の記事を投稿したことに
よって、

「私の体調が崩れたのでは?」と、

気づいちゃうクライアントさんって
めっちゃ頼もしくないですか?

このお話が何を言っているかわからない
方は、

 

霊能者シリーズ・16・戦争の犠牲者たち
霊能者シリーズの私の迷い
をご覧くださいませ>

 

 

彼女のことに皆さんご興味がおあり
かと思うので、
ちょこっとだけお話ししますね。

 

そもそも、うちに来てくださる
クライアントさんって、
ピュアな人が多いです。

でも、だいたい強烈な過去の経験から

 

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暗〜くなっちゃたり、

 

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自信がなくなっちゃったり、

 

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いじけてしまっていたり、

 

 

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自分は醜い存在だとか

存在する価値がないとか、

 

 

そんなパターンに陥っている人が
多いんですね。

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それが、どんなに美人でも

どんなに優秀だったとしても、

そんなことが問題ではないのだ〜。

 

確かにうちにいらしたときは、
そんな印象はないこともないが、

※誤解のないように一言
(このクライアントさんがそうだったと
言っているわけではありません。
多かれ少なかれ、誰でももっている
ビリーフです。皆さん例外なく
早く手放すと楽になるなのだ。)

でも、私はその人の本来の魂の形が
見えるから、

その人の魂がどこへ戻ろうとしているのか
だいたいわかります。

だから、
「行くべきところに行けるのだから
焦らないでください
と伝えたいところです。

 

「あなたがダメな存在だったら、
誰がダメじゃない人になるんじゃい!」

と声を上げて言いたい。


「守護霊も先祖もそういっとるで!」

とも言いたい。

 

「私があんさんの魂の光を通訳させて
貰いまんがな〜」

とも叫びたい。

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も〜興奮して目玉が出ちまうでないか〜

 

あ〜〜ぁ、また話はそれるので、
本題に戻ります。

そのクライアントさんが、
無料オリエンテーションに予約をして
くれて、

初めてお話ししたのは去年の8月
のことでした。

医者からは死期は告げられていないと
言っていましたが、

本人も医者も家族も、誰が見ても、
今年いっぱいの命といえる
重症な病を持っていた
クライアントさんなんです。

 

私は初めて電話でお話しした時に、
彼女がここ数ヶ月でこの世にいなくなる
命のようには思えなかった。

そして、当人も本気で私と同じ思いだった
ようだ。

その考えは、
常識から言ったら、クレイジーなことなの
だろうが・・・。

しかし、それを裏付けるように、
彼女の信頼する尼さんから、

彼女はアドバイス(チャネリング)を
受けていたそうだ。

8月にあるヒーラーのところに
行くことによって、
あなたの命は救われると。

彼女を救ったというヒーラーが
私だと言いたいんじゃないんです。

色々なお導きがあって、
結果、救われたんですね。

 

これ、本当の話です。
解説は控えますが。

 

でも、薬の副作用って怖いもので、
その人の本来の魂の輝きさえも、
黒ずませてしまうかのように、

彼女の本来持っていた感性は、
ストップさせられていた状態で
お越しになったのです。

死期は近づいているし、
薬はアレコレ打たれるし、
あちらこちら痛かったり、

自分が自分で無くなるような、
そんな不安もあったかもしれませんね〜。

それは誰だって当然のことです。

 

彼女は3ヶ月コースのセッションを
選んでくれて、

3ヶ月間、私は彼女から
たくさんの事を
教えてもらった気がします。

 

<続きは、また明日お会いしてからね〜>

 

 

 

 

(前回からの続き)

クライアントさんがセッションに
来て、早々にこう言うんです。

クライアントさん:
「那旺さん、大丈夫でしたか?」って。。。

それは、股関節に激痛があってから、
1週間後のことでした。確かに私の股関節に激痛が走って

3日間というもの、
かなり厳しかったんですね〜。でもその後、何もなかったかのように
スッキリ治っちゃっていましたから、

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あ〜のびのび〜っとくりゃ!

 

私:「エッ? 私、元気よ〜」

って答えました。

そもそも私が股関節を負傷した
のを知っているのは、
セミナーで会った人だけです。

私自身も喉元過ぎれば何であれで、
ついこの間のことでも、
忘却の彼方ですわ。
ポジティブ健忘症かも・・。
↑そんな病名はありまそん)

 

クライアントさん:
「那旺さん、あのブログ、
結構凄くないですか?

私、記事を読んでいるうちに、
ううっ!って来ちゃいました。」

私はてっきりクライアントさんが
記事に感動してくれたものと思い、

「へ〜、やっぱり凄いんだ!」
って喜んでいたら、
それは、「速攻ちゃいまんねん。」
のことでした。
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アホちゃいまんねん、パーでんねん。

クライアントさん:

「私、あの記事を読んだ途端に、
やばい!来る!

と思ってパソコンを閉じたんです。

と同時に那旺さん大丈夫かな?って。」

私:
「何言ってるの?私、この通り健康体よ」

クライアントさん:
「それなら良いんですけど、
あの記事を投稿した後に、中国の道のりにとどまっている霊達が、
那旺さんを頼りに来たんじゃないかと
思いましてね。

でも、今の私は健康を回復した
ばかりだから、
その思いに応えてあげられないから、
パソコンを閉じたんです。」

それを聞いて、
私は、あの時の突然来た股関節の痛みが、
その事と関係があったんだと理解しました。

確かに、普通の感覚じゃなかった。

私はここ20年間、歯医者以外の
西洋医学にかかった事がありません。
だいたい自分の手技=それはヒーリングや
量子エネルギー医療により自己解決出来ているのですが、
今回は何をやっても、どうにもならない
頑固な滞りがありました。
で、ブログでたまに出てくる奴、
それは、いつもトンチンカンな事を
いうアシスタント君のことだが、
彼は私が本当に困った時に
niceなことを言い出すから
トンチンカンな割りに彼の意見は
あなどれないのだ。
アシスタント君:
「祝詞だよ祝詞!祝詞をあげれば
いいんだよ!」
と言われてみて、
なるほど、やってみる価値はある。
と、即行動。
やっぱり、アシスタント君の言う通り。

祝詞をあげた途端に
痛みは

 

スパッ!!と 抜けた。

 

祝詞は毎日あげているが、
今回の祝詞は、ちと長いやつなのね。

これじゃ、これじゃ〜!!
分かったじょ〜。

 

 

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光のロードが繋がったぞ〜。

 

 

と、感動していたのにも関わらず

 

 

私は、そのことさえもすっかり
忘れておって、
(ポジティブ健忘症だから)

まさか中国の記事を投稿した事が、
私の股関節痛と関連があるなどとは、
疑ったことは無かった。

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クライアントさんの洞察にも
いや〜、恐れ入りやした。。

死しても意識は今ここにある。
過去も中国の出来事も、
今のこの空間に同時に
起きていることなんだ!

 

 

<続く>

 

 

(前回からの続き)

「霊の噂みたいなことをアレコレ

書くのって、如何なもんなんざんしょ?」

私が一番躊躇したのは、

こう言った類の事をブログで書くと、

静かに寝ていた霊達が、

これをきっかけに目覚めやしないかと、
嫌な予感がしてしまいました。
何故なら、かつてこの事を
一度は記事に
書こうとしたけど、

どうしても先に進めない・・・。

つまりストップがかかりました。

しかし、魔法学校シリーズを書いた
頃からな〜んとなく・・、

準備OK=許可が下りたのだー。
記事を書いているうちに、
もうだいぶ昔になるあの時の出来事が、

どんどんリアルに思い出されて
来ました。

そして、大連の記事を投稿して
すぐの事です。

私の身体に異変が起きちゃったのだー。
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ぎゃー、たしゅけて〜〜〜。。

私は記事を投稿した後、

4日連続のセミナーに出ました。

朝10時から6時まで受講するセミナー
中の事です。セミナー中に、

さっきまで何ともなかった股関節の
左側に激痛が走りました。

それは、ある手技の練習を、
近くに座る者同士が組んで、
やりあってから直ぐのことです。

その人を触ろうと思った瞬間、
なにかしらの抵抗があったのですが、
躊躇するのもなんなので、

気にせずに練習をしました。

それから10分もしないうちに、
股関節がズキズキ激痛が走り、足を引きずりながら少しずつ前に
歩くのが精一杯でした。

朝は軽快に歩いていたのに、

帰りは障害を持っている状態
の歩き方になり、

電車でも近くの人が介助してくれる

程になっちゃいました。
その時私は、一緒に練習した人の気を
受けたかと思いました。

「最近は、そういうこと(憑依される)

無かったのにな〜」

後で分かったのですが、私と組んだ
人は、憑依体質だと言って
いました。電気製品を壊しまくりとも・・。

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「なるほど〜。見たまんま、
私も確かにそう思う・・・」

それから3日間は酷い歩き方

をしながら、

何とか頑張ってセミナーを通い終えた
のでした。そうこうしていると、

三ヶ月コースのセッションに
いらしてくれているクライアントさんが、
来て早々にこう言うんです。

クライアントさん:
「那旺さん、大丈夫でしたか?」って。。。。
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私:「はぁ?大丈夫って、何よ?」

<続く>