メリーはおかわりも要求するようになってきました。
でも、それが今度こそ最期の晩餐です。
メリーは私に元気のあるところを見せてくれたのでしょう。
私は、11日と12日の2日間、
どうしても外せない用事があり、実家にメリーを
戻しましたが、ギリギリの選択で、11日の朝早く預け、
12日の夜遅くに連れて帰りました。
初めは13日の朝にお迎えの予定だったのですが、
少しでも細やかな対応をしてあげたいと直感が走り、
そう決めました。
直感は残念ながらあたり、
13日の夜中2時にメリーは落ち着かない様子で、ヨロヨロと
立ったり座ったりしだしました。
座ると1分くらいで移動するので、ハーハーと心臓が苦しそう。
「そんなに動かないでよ、メリー。どうしちゃったの?」
そのあと…。
メリーは5月13日明け方に向こうの世界に旅立ちました。
お医者様の手も借りずに老衰で、亡くなりました。
メリーはまたもや、約束を守ってくれました。
「メリー、死んじゃう時は、私のそばでね、お願いね!」って
伝えていました。
メリーはその通りにしてくれたのです。
葬儀では納棺の儀式もします。
お焼香をしたり、
葬儀屋さんがダダデカイ声で般若心経も上げてくれています。
いっぱしに、人間と全く同様のセレモニーです。
ひつぎには、旅立ちのための六文銭も入れれば、出刀も入れます。
葬儀屋さんは、神妙な面持ちで感情を込めて一生懸命にやって
くれています。あんなに情緒的でなくても良いのに…と。
「何か変な感じ」っと、私は号泣しながらも、もう一人の私は客観視する。
斜め後ろに座っていた、息子の哲が、私と同じような顔をしています。
やっぱり親子ね。考えていることは多分一緒だ。
そんな時に私のお腹が半端なくギュギュと長~く鳴り続けた。
昨日の夜から何も食べていなかった。今は夕方の5時。
葬儀には岩手県から駆けつけてくれた息子の哲と、
いつもメリーを可愛がってくれていたひでさんが
参列してくれたが、後ろでクスクスと笑っている。
「お葬式」と言う伊丹十三監督の映画があったが、
あのコメディ感って分かるな~。
真面目にお葬式をしようとすればするほど、悲しさから遠ざかるのって、
ホントに不思議です。
出棺の儀式も人間と同様で、ひつぎの蓋に、顔が覗ける窓があり、
最期に私が窓を閉めます。
メリーは毛並みも艷やかで、お耳にピンクの花飾りをしたら、
お嫁さんに行くみたいに若々しく可愛いお顔をしています。
葬儀屋さんは、またも感情移入した神妙なお言葉で、
メリーとのお別れを促しました。
「この人、良くやってくれているな~」と思いつつ、
哲と目を見交わす私。
出棺は、哲とひでさんがひつぎを抱えてくれました。
あとは…、遺骨を待つのみです。
みんなでメリーの思い出話をしながら、涙なみだの時間を過ごしました。
ひでさんは、祝詞好きなメリーの為に、祝詞を上げてくれましたが、
号泣で声になりません。
「おい、頼むよ、しっかり上げてくれよ~」
と私が祝詞を先導しながら、二人で:(;゙゚ω゚):おいおいと泣き崩れる。
これぞ、完璧な感情移入。
<続く>
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