(前回からの続き)
このお話は、このシリーズ⑦から始まって、
今日はその先になります。
親友のKちゃんは、
9年前に乳癌の第一段階と言われてからと
いうもの、
家族を含め、沢山の人から
初期の乳癌なら切除すれば90%は完治する
んだから、手術をするように再三勧められていた。
カトリック信者であっても、
命を永らえるなら手術もすれば輸血もするでしょ?
・・・・・っと、思うのだけど、
Kちゃんは頑なに断り続けた。
Kちゃんの姉は、敬虔なるカトリック教徒の
シスターなのだが、
姉のシスターの勧めも、
神父様からの勧めも、
どんなに説得されても承諾しなかった。
私としては、
そこまでのところはKちゃんに共感できるのだ。
何故ならば、私だって同じ立場になれば、
きっと手術をしない選択をするからだ。
体にメスを入れるのは、なんだかんだと言って、
良いこととは言えないし、
それに抗がん剤治療や
放射線治療をするのは、絶対に嫌なのだ。
免疫を抑えていく治療なんて、体をなんと
思っているんだい!と言いたくなる。
普通に考えても理解できない。
っと、講釈を垂れ流しても、しゃぁないので、
話を元に戻しますが・・。
びっくりなのは自然治療の方法を
私や娘に教えて貰えているのに、
Kちゃんがそれさえも拒むのはなんなのか!
死にたいわけでもなかろうが、
生きたいわけでもないようで、
かと言って、生きる意欲が無い訳でもなく、
う〜ん・・わからぬ。。
彼女の生き方の師匠である聖書の
教えって、いったいなんなんやろか???
Kちゃん:
「哲(次男の名前)がね、だいぶ前に
なかなか良いお話をしてくれたんだ〜。
那旺ちゃん、これ、知ってる?
・・・インディアンに伝わる言葉でね、
『人が生まれて来る時は、泣きながら生まれて来るけれど、
でも迎える周りの人たちはみんな笑っている。
人が死ぬ時は、見送る周りの人たちは泣いているけれど、
死んで行く者は、笑って死ぬ』
ってはなし。。
この世に産まれ、生きていくには辛いことがあるけど、
でも、やっとお迎えが来て、
神のもとへ旅立つのは、本当に幸せなことよね。
だからそれを知っているから最期に笑うのね。」
(イエス様。私をお導きください)
・・・次男もなかなか良いことをいうなぁ。
愛いやつめ。。
(なでなで 182センチの次男)
私は小学生5年生から2年間、
プロテスタントの日曜学校に
1度も休まずに通っていたことがある。
今気がついたが、このシリーズの①に登場した
高校時代の先輩が、
この日曜学校に誘ってくれた人だった。
面白いなぁ、こうやって繋がるわけね。
日曜学校も高校時代の音楽部入部も、
私はどちらも気が進まず、
無理くり誘われて仕方なく入ったはずだ。
でもこの小学生時代に
イエス様の存在や教えを受けていなかったら、
私を苦しめさせた、「いじめ」に耐えるには、
限界があったかもしれない。
そういう意味で、私の心の支えになったのが、
聖書の教えであったことに、間違いない。
しか〜し、いやいやながら行っていた教会なので、
殆どその教えを今は覚えていないし、
新約聖書もいつの間にか無くしてしまった。
(はっきり言って捨ててしまったのだろう)
それに比べてKちゃんは、両親共にクリスチャンで、
生まれながらに洗礼を受けている。
聖書の教えを人生の生き方として学び、
神の教えを忠実に守っている。
実は私は、宗教はあまり馴染めない。
そこまでどっぷりつかれないからだ。
ただ、私がなんでこんなに
敬虔なるクリスチャンであるKちゃんに
惹かれたのかということが全ての鍵なのだ。
(あなたの何かが私を惹きつけるのよ)
(まだ続く)