(前回からの続き)

 

このお話は、このシリーズ⑦から始まって、
今日はその先になります。

 

親友のKちゃんは、
9年前に乳癌の第一段階と言われてからと
いうもの、

家族を含め、沢山の人から
初期の乳癌なら切除すれば90%は完治する
んだから、手術をするように再三勧められていた。

カトリック信者であっても、
命を永らえるなら手術もすれば輸血もするでしょ?

・・・・・っと、思うのだけど、
Kちゃんは頑なに断り続けた。

Kちゃんの姉は、敬虔なるカトリック教徒の
シスターなのだが、

姉のシスターの勧めも、
神父様からの勧めも、
どんなに説得されても承諾しなかった。

私としては、
そこまでのところはKちゃんに共感できるのだ。

何故ならば、私だって同じ立場になれば、
きっと手術をしない選択をするからだ。
体にメスを入れるのは、なんだかんだと言って、
良いこととは言えないし、

それに抗がん剤治療や
放射線治療をするのは、絶対に嫌なのだ。

免疫を抑えていく治療なんて、体をなんと
思っているんだい!と言いたくなる。

普通に考えても理解できない。

っと、講釈を垂れ流しても、しゃぁないので、
話を元に戻しますが・・。

 

びっくりなのは自然治療の方法を
私や娘に教えて貰えているのに、
Kちゃんがそれさえも拒むのはなんなのか!

 

死にたい顔わけでもなかろうが、
生きたいわけでもないようで、
かと言って、生きる意欲が無い訳でもなく、

 

 

う〜ん顔・・わからぬ。。

 

彼女の生き方の師匠である聖書
教えって、いったいなんなんやろか???

 

Kちゃん:
「哲(次男の名前)がね、だいぶ前に
なかなか良いお話をしてくれたんだ〜。

那旺ちゃん、これ、知ってる?

・・・インディアンに伝わる言葉でね、

『人が生まれて来る時は、泣きながら生まれて来るけれど、
でも迎える周りの人たちはみんな笑っている。

人が死ぬ時は、見送る周りの人たちは泣いているけれど、
死んで行く者は、笑って死ぬ』

ってはなし。。

 

この世に産まれ、生きていくには辛いことがあるけど、
でも、やっとお迎えが来て、
神のもとへ旅立つのは、本当に
幸せなことよね。

だからそれを知っているから最期に笑うのね。」

祈り

(イエス様。私をお導きください)

 

・・・次男もなかなか良いことをいうなぁ。
愛いやつめ。。

 

良い子

(なでなで 182センチの次男)

 

 

私は小学生5年生から2年間、
プロテスタントの日曜学校に
1度も休まずに通っていたことがある。

 

今気がついたが、このシリーズの①に登場した
高校時代の先輩が、

この日曜学校に誘ってくれた人だった。

面白いなぁ、こうやって繋がるわけね。

 

日曜学校も高校時代の音楽部入部も、
私はどちらも気が進まず、
無理くり誘われて仕方なく入ったはずだ。

 

でもこの小学生時代に
イエス様の存在や教えを受けていなかったら、
私を苦しめさせた、「いじめ」に耐えるには、

限界があったかもしれない。

そういう意味で、私の心の支えになったのが、
聖書の教えであったことに、間違いない。

しか〜し、いやいやながら行っていた教会なので、
殆どその教えを今は覚えていないし、
新約聖書もいつの間にか無くしてしまった。
(はっきり言って捨ててしまったのだろう)

 

それに比べてKちゃんは、両親共にクリスチャンで、
生まれながらに洗礼を受けている。

聖書の教えを人生の生き方として学び、
神の教えを忠実に守っている。

実は私は、宗教はあまり馴染めない。
そこまでどっぷりつかれないからだ。

 

ただ、私がなんでこんなに
敬虔なるクリスチャンであるKちゃんに
惹かれたのかということが全ての鍵なのだ。

 

ダウンロード (4)

(あなたの何かが私を惹きつけるのよ

 

(まだ続く)

 

 

 

(前回からの続き)

 

今回も私の親友Kちゃんの話が続いています。
※(今日からご覧いただいた方は、
「私に影響を与えた人⑦⑧」からご覧くださいね)

 

「私が癌になったのって、亭主の
煙草のせいじゃないかと思っているんだけど・・
それしか原因が見当たらないんだ~」

 

とKちゃんは言っていたが、
私は一つだけ気になる事があった。

 

その前に、やっぱりこの人・・

 

やっぱり変なんです。

 

ダウンロード (2)

(も~、絶対にあり得ない。。)

 

というのは、

もう、9年くらい前になるでしょうか。
Kちゃんから連絡を貰って、

その時の話が、乳癌を宣告されたという
報告だった。

私にとって、「癌」という病は
ある方法を選択すれば、
いとも簡単に完治すると思っていたので、

彼女にその方法を伝えれば言い訳で・・、

だから、話を聞いても、ちっとも驚かないし
心配もしていなかった。

 

Kちゃん:
「乳癌が見つかってね、
まだ初期の癌で小さいから、手術をすれば
90%は治るらしい。

でも、私は他人の血も入れたくないし、
それに痛いのは嫌だし、
薬みたいな異物も体に入れたくないんだ。

それに、人間、死ぬときは死ぬしね。

それより、あ~~私もやっと許されて
神様のもとへ帰れるんだって思うと、
わくわくするの。

死ぬのなんて怖くないし、
手術して少しでも命を永らえようという
発想が、そもそもないもん。」

 

那旺:
「そうは言ってもね、Kちゃん。

聞いてよ。

私が勧めている方法は、
身体に異物もいれないし、
本当に自然に回復するのよ。

今まで殆どのひとが良くなっているんだよ。

もし、お金の心配があるのなら、
私が払うし。

騙されたと思って試してよ。
私、Kちゃんに死なれたら困るもん。
寂しいし。」

 

Kちゃん:
「ありがとう。
那旺ちゃんの気持ちはわかるけど、
私、本当の本当に自然じゃなきゃ嫌なの。

自然というのは、何にも手を加えないこと。

今のままで・・、そう・・それがいいの。

神様が命をお与えくださり、
それがこういう形で終わるのなら、
私はそれを有難く受け入れるわ。

それが私の選んだ道なのね。」

 

Kちゃんは、決めたらテコでも動かぬお人
だということは重々承知している。

 

 

「でもね、Kちゃん!」

 

ダウンロード (3)

(ちゃんと、聞いてよ。お願い

 

と私が今回は引き下がれぬと思っていうと、

 

Kちゃん:
「私の気持ちは変わらない。
神の子であるイエス様のもとへ行けるのを
私は喜んでいる。

これが、わたしの信仰なの。」

 

もう、それを出されちゃ、わたしゃ何にも
言えまへん

 

そして、私は何にも出来ないまま帰る羽目になった。

 

でも、まだ癌は小さいんだから、チャンスはあるな!

と、私は高を括っていた。

 

Kちゃんの長女も何とかお母さんを説得
しようと、自然療法を探していた。

いろいろ調べて、NK細胞で治療する先生を
探し出し、治療院に連絡をとったが、

治療するには順番があるようで
相当先まで待たねばならない。
その頃、その先生は海外に出向いていたそうで、
海外にいらっしゃった先生に直接オファーをとり、
Kちゃんに治療をしてくれる算段まで持っていった。

 

ここまで長女が心配してくれたら、
その治療・・やるでしょ???

ところがどっこい、やっぱりKちゃんは、
断った。

 

Kちゃん:
「やだ~あ、Mちゃん。
ありがとね。
でもママはいいの。

そんなに人気のある治療法なら
他にもやりたい人がたくさんいるでしょ?

ママの分をその方たちが優先できるように
してあげて欲しいわ。

だって、私の中にもNK細胞はある訳で、
何も外から移植みたいな事なんて
する必要はないでしょ。

私はこれから自分でNK細胞を増やしていくことにしたから、

家族が少なくとも私のNK細胞を減らすような
ストレスを与えないでくれたら
私はそれが一番の幸せなのよ」

 

も~~~~~~~う、

 

images (4)

(も~この人にあっちゃぁ・・
も足も出やせんわい

 

Kちゃんの・・、

バカバカ・・顔真っ青
私は死なれちゃうのが嫌なんだよ~
顔

 

(続く)

 

 

(前回の続きです)

Kちゃんは次男の小学生時代の同級生の母であり、
私にガッツが有った時代のバレーボールチームの
新人同士であり、

親友と呼ぶに等しい人となる。

親友と呼ぶに等しい人・・って、
「ナニコレ・・回りくどい言い方をしているよなぁ」
て書いておきながら思った。

「親友」と定義した時点で、
他の友人との親しさをランク付けしてしまうみたいで、
少しだけ抵抗が有った。

だから、今までKちゃんを「親友だ」という
位置づけもせずにいたが、
ここで敢えて「親友」といって紹介したい。

大人になってから親友を作るなんて、
なかなか難しいと思っていたけれど・・・、

これまた思うに、

一緒にいた時間や、
思い出の多さとかが絶対なる信頼関係を
作るわけじゃないんだな~って。

いかに自分をさらけ出しても、
どんなに世間にみっともないことをしたとしても、

ただ、ありのままの自分を認めてくれて
受け入れてくれて、

そして質の高い時間をいかに共有できたかが
重要であり、

出来ることなら似たような価値観で、
互いが同じ方向に向かって行けているのなら、
とても楽しい事だろう

 

images (1)

(お帰りなさい。いつも私の心の中にあなたの
居場所はあるんだよ)

 

Kちゃんとは、10年近く会っていなかったけど、

10年会わなかった間に、
私が色々とアホなことをしてきたストーリーを、
言いにくい事も含めて素直に話せたものだ。

「那旺ちゃんが幸せならいいよ。
それで十分だよ」

って、Kちゃんは優しく微笑んで
新しい私を招き入れてくれた。

 

images (2)

(あなたが幸せならそれでいいんよ

 

先週、次男と一緒にKちゃんの家に
行ってきた。

次男とKちゃんが会うのは、
20年ぶりになるだろうか。

Kちゃんは、前よりももっともっと、
幸せになっているように見えた。

パワーと輝きと充実感が感じられる。

次男もきっと同じように見えた事だろう。
明るい表情や張りのある声を聞いただけで、
誰が彼女をステージ4の乳癌と骨まで全身転移した、
癌患者なんて、思うだろうか。

 

Kちゃん:
「4月にさぁ、いい加減この私もお別れだわ!
って
思ってね、

救急車で運ばれて覚悟を決めたんだけど、

だって、今までにない痛さだったから、
気を失いかけたのよ。

でも、普段薬飲んだことが無かったから、
一番弱い痛め止めが効いちゃってさ、
復活しちゃったわ。

緩和ケアの医者もびっくりよ

こんなに元気な末期患者なんてあり得ないって。

噂っていつの間にか広がるもので、
広島から友人達が最期のお別れに
続々と来ちゃってさ、

こんなに元気なもんで、
お部屋が個室だったから、
6~7時間くらいお喋りして帰ったよ。

まるでサロンでお茶会みたいになったから
楽しかったわ。
みんな、拍子抜けしてた~。(ワッはっはっは

それにしても那旺ちゃん流石だね、
私が退院したら直ぐにメールが来たからさ。
こうやってちゃんと分かるんだね!

私、裸とかも見られるのが嫌だから、
看護師さんが着替えとか入浴のケアとか
してくれるというのに、

断っちゃってね。
看護師さん、やることないって言ってた。

自分のことが自分で出来なくなったら
神様に召し上げてくださいって頼んであるからね」

 

・・・・こ~んな調子です。

 

「階段は降りるのに一苦労になってきたよ。
先日、主人と車椅子でラーメンを食べに行ったら、
お店の人に、『足を骨折されたんですか?』

って、聞かれたから、

『これでも全身の骨まで転移した末期患者なんですよ~。』

って答えたら、

お店の人は、どうやってリアクションしたらいいか
分からなくなったみたいで、慌てさせちゃったよ。」

 

まさに、昔のKちゃんのまんまです。
彼女は全く変わらない。
一貫しているのだ。

 

「こうやって主人も退職したから、
一緒にいてくれて、最近は食事の支度も
任せちゃっているんだ。

助かるわホント。。

ご縁ね。この人で良かったって思ってる。

那旺ちゃんちに1回だけ家出をしたもんね!

あの時、ベルを押したら旦那さんが出てきて、
那旺ちゃんはメリーちゃんの散歩に行っていたのに、

那旺ちゃんの旦那さんは、扇風機をあててくれて、
冷たいものも出してくれて、・・・

私を追い返さなかった。

那旺ちゃんが反対の立場だったら、
家の主人だったら、何も対応なんてしなかっただ
ろうに、

何にも言わずに受け入れてくれて、
私、あの時の恩は忘れないんだ。

で、嫌な顔一つしないで、
なにも聞かずに泊めてくれた。。

私、本当に嬉しかった。」

 

彼女からこの話は何度も聞く。
隣で一緒に煙草を吸いながら聞いている
旦那さんも、

そんなことあったなぁ風で、
聞けるような態勢になっているようで・・・。

 

Kちゃん:「この人こうやってタバコ吸うじゃない?
私が癌になったのって、
煙草のせいじゃないかと思っているのね。

他に、癌になる理由がないからなぁ~」

 

那旺:
「確かに・・今時遺伝って~のも、
古い科学の話だしさ、

Kちゃんが性格的に癌になるタイプとは思えない
って私も思っているんだけどさ~」

 

と、隣のソファーで一応換気扇を付けながら
煙草をくゆらせる亭主を二人で見る。。

 

ダウンロード (1)

(アノヒト・・ハンニンっすか?疑惑。。)

 

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(聞こえないふりの亭主

 

那旺:
「いや、一つだけ気になる理由があるんだ~。

今更ねぇ、理由を知ったり犯人捜しをしたって、
どうなる訳でもないんだけど、

私はそれが怪しいって思っているの。

だから、検証のために今からインタビューするから、
答えてくれる?」

 

Kちゃん:
「もちろんよ。。なんでも聞いて!」

 

(続く)

 

 

次男の小学生時代の同級生の母、
Kちゃんと出会ってから何回もしない時に
彼女は私にこう言った。

 

Kちゃん:「顔は違うんだけど、
那旺ちゃんって私の従姉妹に凄い似ているの。
従姉妹も少し変わった人なんだけどね!

那旺ちゃんと私は全然違うようで、
でも私と似たものを持っている様に感じるわ。
こういう風に思うのって、これで二人目よ。」

 

Kちゃんは優しくて、
とってもピュアでいい人なんだけど、
なんかがズレている様な・・、

かと言って何一つもズレていない様な・・、
私にとって、訳のわからない存在だった。

でも、気になる人には変わりない。

それからもう20年が経つけれど、
ここ10数年は私が引っ越したこともあり、
彼女とはあまりやり取りはしていなかった。

 

彼女とはPTAのママさんバレーで一緒にやっていたが、
その後、物足りなかったのか、
もっと上手くなりたかったのかはわからんけど、

二人とも同じバレーのクラブチームに入った。

知らなかったとはいえ、
かなりランク上の厳しいクラブチームに入ってしまい、
入った以上はしっかりやらねばならぬ掟がある。

新人の二人は、ヘーコラしながら、それでも
楽しくやっていた。

へ〜

(うわ〜エロヘロですたい。Kちゃん。。)

 

Kちゃんを⇨「変わった人」
それをどう表現すればいいかというと、

「人生の生き方が下手くそな人」という意味かもしれない。
「正直すぎる人」とも言える。

そこらへん位までなら私には理解できる。

実際そういうタイプのクライアントさんが
私のところにも多くいらっしゃる。

でもだいたいそういうタイプの人は、

人に疎外されて自信を失い小さくなっているか、
人に悪く思われるのが怖いから、自分を出せないとか、
逆に人が怖すぎて、自分の感情を感じなくさせたり、

怒りとなって強気に出てしまい人間関係が
上手くいかないと悩まれている。

 

しか〜し、Kちゃんは少し違っていた。

 

間違ったことは違うとハッキリいっちゃうし、
大人数の前でも、社会的に偉そうな人に対しても、
自分の意見はきちんと言った。

例え自分が不利になるとわかっていたとしても、
臆せず言ってのけた。

人生の指針を、
「好きか嫌いか!」「心地良いか心地悪いか」で
シンプルに決め、決して不快なことはやらなかった。

では、それがワガママと言えるかどうか!

彼女は人の嫌がること、面倒臭がることも
率先としてやることも多々ある。

それも、愚痴や文句も言わず、楽しそうに。

裏表がなく、全てにおいて平等で、
他人の子供たちもかわいがった。
Kちゃんの目を見ればわかる。

本当に愛おしそうに子供らを見ている。

決して偉ぶる発言はしなかった。
陰口も言わなかった。

何れにしてもハッキリと意見を持っていた。

ただ、そこには攻撃的なものは見つけられず、
理不尽なことは理不尽だと、「NO」と言った。

時には、周りから総すかんを食い、
「あなたは我が儘だ、世の中とはそういうものじゃない」

と、社会的に常識人なる人に諭されていた。

もちろん姑にも夫にも、家族にも、
「あなたは我が儘、馬鹿だから!
あなたは甘い!」

って言われていた。

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(もう、聞きたくないもん)

 

これは20年以上も前のことであって、
あの頃の私はこの常識人たちと変わらぬ人間だった。

つまり心理の勉強も当然していない時期で、
みんなと同様に、心の内と行動は別だった。
決して正直ではない。

 

心の内と行動が違う常識人の筈の私に、
Kちゃんは、こう言った。

 

Kちゃん:「家族でさえも呆れられてる私に、
那旺ちゃんは私の事を否定せずに受け入れてくれた
初めての人なのよ」と。

 

果たして私がKちゃんを受け入れたのかは分からないが、
否定する理由が見つけられなかった。

と言うより、私にとって
Kちゃんそのものが新鮮であり
とても興味深かった。

周りに臆することの無いこの強さ、そして
純粋性はいったいどこからやって来るのか!

 

それから20年経ってKちゃんは体現して
その答えを見せてくれた。

 

(続く)

 

 

前回の続きで言うと、

次男の小学校時代の同級生の母。。
Kちゃんのことをお話しすると言っていました。

ですが、
どうしても、言葉が降りてこない

書こうと思うと、真っ白になってしまう。

すんまへん。

ちょろっとわしにお時間をおくんなまし。

 

ダウンロード

(すんまへんにゃん)

 

私にとって、この話はとっても重要な
ことらしいので、
そう簡単には書かせてくれないのだ。

 

で~、

こんなお話はどうでっしゃろか?

 

最近思うに、おばあちゃん子って、

性格が優しくて大らかで、キャパが大きくて

その人の本来持っている才能が、
凄く発揮しやすいんだろうなぁって
思うんです。

人を観ていて、それがな〜んとなく、わかるのね。

「ねぇねぇ、あなた、おばあちゃん子でしょ?」

と聞くと、

「えっ?なんでわかるの?そうそう、
私はずっとおばあちゃんに可愛がられて育ちました」

って具合に。。

 

そういう私はおばあちゃん子ではないのだが。

父方からも母方からも、
可愛がって貰った経験は殆どない気がする。

そんなこと言ったら罰当たりかな?
特に母方のお祖母ちゃんには、

毎日遊びに行った上に、
小さな金額だったけど駄菓子を買う
お小遣いも毎度貰っていたはずだ。

 

そもそも、おばあちゃん子っていう立場
いったい誰が決めるんだろか!!

数いる孫の中でも特別に相性がいいとか、
特別に目をかけて貰ったとか、
おばあちゃんが単純に好きでなついていたとか・・
そういう印象で、家族の誰かが決めるんかな?

で、それを本人が受け取った時に
「おばあちゃん子」という称号を手にするのか!

 

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(あんたは、私の宝物なんよ~)

 

最近こんな話を聞いた。

「うちの母って、
日々使うお金がないと言って嘆いているくせに、
孫に沢山お金を残して死にたいからって言って、

絶対に使わないっていうんです。」

 

なかなか立派なおばあちゃんかもしれませんが、
注目したいのは何かというと・・、

「絶対に使わない!お金を残して死にたい」

という、おばあちゃんの動機が
どこからわいて来るかですがね。

 

死んだ後に、
「おばあちゃんは私の為に残してくれたんだ〜」

って、
孫から感謝して貰えることもあるでしょうが・・、

 

おばあちゃんの動機が、
「私は孫にお金を残せるほど、立派な人だった」
と思われたくて、

 

死んだ後の自分が世間様から賞賛されたくて
そうしているとしたら・・どうでしょうか。
もしかして・・孫から、

「この程度の金額しかくれないんだ、ばばぁの奴、
やっぱりケチだな!」

なんて言われちゃったりして顔

 

やっと、あの世で気づくんでしょうかね。

「私はなんてバカだったんだろうか!」と。。(後悔)

または、「おのれ〜許さん!」
と怒りまくっているかの・・どちらかかもしれません。

 

私はここで、
こんなシミッタレタ話をしたかったのではない。

 

話す

(シャーマンの雰囲気よん)

 

私の心に光を落としてくれたおばあちゃん
お話をしたかったのだ。

でも、それが大したエピソードではないので、
ここまで引っ張ってきて、
勿体振るほどのこともないんだけど。。

 

私が小学生4年生の時に、
父親の部下でチーちゃんという20代後半位の
男性がたまに遊びに来ていました。

昔のサラリーマン風で、上司には絶対服従みたいな
雰囲気に私には見えた。

チーちゃんは、ちょっと頼りなさげで
やけに細〜い。

性格は実直で真面目な人。

あまりいきさつは分からないのだけど、
母が教えたくれたのは、

 

母:「チーちゃんはあなた達(姉と私のこと)のことが
不憫だからって、二人を遊びに連れて
行ってくれるんだって」

といった。

何が不憫かというと、
父親がいつも不在でどこにも遊びに
連れて行ってもらえない子供だからとのことでした。

何で父親がいつも不在かというと、
結核で何度も入院しているか、
あとは仕事とか付き合いとかで常に夜中帰りだったりで、

私たちは父親というものを知らないと言っていた。

これらの解釈が正しいかは別として、

そういうわけで、私たちはチーちゃんのお盆の
お里帰りに、連れて行かれることになった。

 

チーちゃんの実家で何があったかは、
実はほとんど覚えていない。

何を食べさせてもらったのか、
どこへ連れて行ってもらったのか、
誰がいたのかさえも全く記憶にないのだ。

ただ、たった一つだけ覚えていることがある。
忘れられないことがある。

 

昔の田舎だからか、寝るときは蚊帳が
かけられていた。
お盆の時期なので暑い夜だった。

 

チイちゃんのおばあちゃんは、
私を寝かしつけてくれた。

寝かしつけるって言ったって、
既に小学4年生の私を寝かしつける必要は
全くないのだが、

何を話すこともなく、
横になっている私をずっと見て、
ウチワであおいでくれている。

昔の人だから、浴衣を着て正座をして、
ゆっくりゆっくり扇いでくれる。

柔らかい風だった。
リズムも遅くなく早くなく、
とっても心地いいリズム。

私の呼吸に合わせるが如く、
穏やかの風が私に寄せられる。

 

私は、いつもと環境が違ったせいなのか、
全然寝付けないでいた。

寝返りをして薄い夏掛けが捲れると、
おばあちゃんは丁寧にそっと直してくれた。

おばあちゃんが
せっかく寝かしつけてくれているのに、

寝ないと申し訳ないので、寝たふりをした。

ちゃんと寝たふりをしているのに、
おばあちゃんは扇ぐのをやめない。

一時間も時間は経過しただろう時に、
私はうつらうつらしだしたが、
おばあちゃんはまだ手を動かしている。

とっても暑い夏の夜なのに、
おばあちゃんは足も崩すことなく、
ずっとずっと。

「おばあちゃん、何で止めないの?
疲れちゃうよ。」

って聞きたかったけど、
寝たふりしているから聞けないでいる私。
次の夜もお泊まりしたので、また同じことが起きた。

 

次の日は、私は寝たふりをしなかった。
それより寝るのがもったいなかった。

 

那旺:「おばあちゃん、疲れないの?
何でそんなにずっと私のために扇いでくれるの?

 

おばあちゃん:「なおちゃん、何も気にせんと
いいんですよ。おばあちゃん疲れないから大丈夫。
大事なお嬢ちゃんが虫に刺されたり、

寝れなくてはいけないからね。
大きく育ってもらわなきゃならないお人だから・・、

安心してお眠りなさいな」

って。。

おばあちゃんにすまないし、
勿体なくて仕方なかったけど、

おばあちゃんの言葉を聞いて安心した。

こんなふた晩を過ごしただけの事だけど、
おばあちゃんの顔さえも声も何も覚えていないけど、

あの風の心地よさを私は一生忘れていない。
おばあちゃんはとっくに亡くなっているだろう。
もしかしたらチイちゃんさえも、
この世にはいないかもしれないけど、

私の心に大きく、深く残っている。

 

死してもその人の心に残り続けるのって、
年月でも、血縁でも、お金でもない。

あの時のおばあちゃんの眼差しが今の私を
育てている。

たかが孫の上司の子供である私に、
生きるための息吹を扇ぎかけてくれた。

 

おばあちゃん子って、
おばあちゃんが持つ独特のエネルギーでもって、

こんな感じで
健やかに育っていくのだろう。

 

愛

(おばあちゃんの私を見る眼差しは
忘れないよ、ありがと