私がかつて、夢が叶った時、
それは、チャリンとお金が入ったり、
必要な人材がパッと目の前に現れたり、
これは、偶然かそれとも引き寄せか?と頭をひねる。

小さいことだとあまり気がつき難いが、
大きめの願望の時は、そりゃ意図して発表(自分の心の中だけによ)
するから、よ~く観察してみたのだ。

で、願望の叶い方って、何らかの法則があるように思えてきた。

またまた、話はそれるけど、
(すみません、次から次へと雑談が溢れてくるもので)
子供の頃、私はお化け屋敷がマジで怖かった。

お化けが怖いのではなくて、人が追いかけてくるのが怖いのだ。
だから鬼ごっこも、かなりビビる。

捕まりそうになったら、見つかる前に、
「(*´∀`*)へへっ」と愛嬌を振りまいて、自らお縄になる。

追いかけられる時って、からだ中の毛穴がパックリあいて、
チビリそうになるのだ。←(この感情感覚の課題、前世療法しようっとグッド!

で、なんで怖いのにお化け屋敷に行くのか?
鬼ごっこをするのか?
勿論、自分から率先してやるわけないけどさにひひ
でも、少しはそそられてやってしまう。

小学校5年の生意気盛りの時、怖いんだけどビシッと鎧をつけて(意識上の)
お化け屋敷に恐る恐る乗り込んだ。要するにチャレンジだい。
今、私はヤクザのアニキになりきっている。

今までは、人の後ろにピッタリくっついて、腰を落としてしがみつき、
薄目をあけて隠れ歩いてた。
隠れていたほうが、お化けからは余計に目立つことも知らずに。
その後、お決まりの「ぎゃ~~~~~~~~~~~」叫びになる。

しかし、今日のアタイはヤクザのアニキだ。
子分もオイラをしっかり見ている。
堂々と大股広げて那旺ちゃんは歩く。
そうすると、アルバイトのお化けさん、
私の後ろの綺麗なお姉さんしか見えてないらしく、
ちっともお決まりのパフォーマンスをしてくれない。

お化け同士が相談しているのが聞こえた。
「あっちの方が面白そうだぜ、向こうに行こ!」って。

これも、陰陽の法則か。デコとボコだ。
逃げれば追いかける。

恋愛と同じだのう。

この時、私は初恋をしていた。
陰陽の法則をちっとは悟ったが、
逃げるも追いかけるも、何一つ行動を起こしていなかった私にとって、
恋愛は実らなかったが。(あ~また話がそれかかった)

陰陽の法則もヒントかと思うけど、

宇宙は、自分の考えをもとに、「私に現実」を与える。

これが「基本ルール」となるらしい。

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待っていてくださった方には、お待たせいたしました。
前回は9月7日からの、続きです。
      ↓
私が儲けようとすると、正反対のことが起きるのは
周知の事実でした。
こういうのって、投資の知識不足だけではなく、
どうも、ここには何らかのエネルギーの法則があるようだなと、
いいかげん私にも読めてきたのだった。

私は投資のみでなく、お金が絡むと何かトラブルがある。

金銭の貸し借りも然りです。
とは言っても、私はお金は借りたことはかつて1回もありません。
そうなんです。貸しちゃって返って来ない方のトラブルだ。

ただ私の場合、有難いことに、
時間はかかってもどうやら帳尻があっているのが不思議現象です。
要するにちょっくらお金のお勉強の修行を致しました。

比較的大きなお金を貸したことは4回あります。
おバカでしょう?
ちっとも勉強してないよね。あ~~~~~~~~んしょぼん

お金を貸したとき、相手の反応は、そりゃもう私を神様のように有り難がって、
手を併せんばかりに感謝してくれました。

しかし、返す時は全員もれなく強気です。
反対にこちらが低姿勢になっていき、完全に立場が逆転しています。
へたに相手を刺激すると、逆ギレ、被害者意識を炸裂させます。

要するに「返してやるよー」のスタンスで、
いつの間にか私が借りているかのような立場になっていたりします。

例えば、区の弁護士に相談しても、
「借りたお金と本だけは返って来ないものだと諦めなさい!」
と言われたことがあった。
その言葉は、真摯に有り難く頂戴いたしますが、
そう言うあんさんのお仕事はなんじゃらほい?と言いたくもなった。

10年くらい前に税理士関係の勉強会で、
「お金が返せないで死ぬくらいなら、逃げちゃっても全く問題はないので、
借りた者勝ちです。」みたいな事を講師が話していた。

確かにその通り。「死ぬくらいなら逃げちゃえ!」と私も言いたい。

でも、私の貸した人の4人の内3人は、
裏情報では私より裕福な生活をしているのを小耳に挟んだりした。
あとの一人は情報が入らなかっただけで、実際はわからない。

考えてみたら、金融機関が貸してくれなくて悩んでいるのだから、
返せる見込みはとっても薄い人を私は相手にしていたのだ。

私の亡き母親は商人の家系だからなのか、
お金に関しては綺麗な使い方をしていた。
「お金を貸すときは、差しあげたと思って気持ち良く渡しなさい!」と
私は母に教わった。

これ以上話すと、ただの愚痴になっちゃうのだが、
なんで、私はこんなにも同じことを繰り返していたのか。

ここの問題に入るとまた言いたいことがそれてしまうので、
これらのことが、私にとって良い経験になり、結果は帳尻があった
ことだけをお伝えして、次に進みましょう。

さて、
自分にとって厳しくて痛い言葉になってしまいますが、
投資も金銭の貸付も、私にとってどちらとも似たエッセンスが有る所は、
私の中に「スケベ根性」があった気がします。

投資はただ単に儲かりたいし、でも、あんまり努力もしたくないから、
紹介する人の言いなりになって投資をする。
でもその時はお客様気どりで多少のいい気分を味わっている。

金銭の貸付は、人に良い人だと思われたいし、
それよりも、どこかで優位に立ちたいという気持ちもあった。
感謝されて、多少の貸しを作っておいたら、なんかの時の先行投資に
なるかもというスケベ根性が有ったのかもしれません。
(スケベのどこが悪い、ケッ!←負け惜しみです)

残念ながらそう言った投資は、
期待と反して裏切られる事が多いみたいですよ。

宇宙はあなたの潜在意識をお見通しで、
あなたの意図のまま現実を引き起こしてくるからです。

カエルあ~ら、ゲロゲ~~ロカエル

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「ロンドンスピリチュアル心理学修了過程のレポート一部抜粋」

カウンセラーは、この繊細な問題を丁寧に見守り続け、
そのチャンスを示してくれました。

セッションでの解放の時に、私は、一筋の涙が出ました。
でもそれより感動したのは、スカイプに映るカウンセラーの顔でした。
本当に一緒に泣いてくれている顔に見えたからです。

カウンセラーは、私が手放したストーリーに共感していると言うよりも、
私がやっとここまで来られた事に対する慰労の気持ちを、
若しくは、一つの大きな仕事を二人で成し遂げたと
教えてくれるサインの様に見えました。

セッションの最後にカウンセラーから、
「今日は本当に大きなワークをされましたね」と言われた。
しかし、私はここではまだ、
そのワークの大きさの意味を感じとれてはいなかった。

セッションが終わって、トイレから出て来て、
何だか急に、本当に訳もなく私は声を出して泣いていたのです。

なんで?私、泣いているの?
泣いている意味が解らない。
私ってどこかおかしくなっちゃったのかしら?

この時、あゆかさんの言葉が電流の様に走った。
「あ~、これか~、あゆかさんの仰っていた、あの解放の涙ってコレなのだ!」

寂しくもなく、悲しくもなく、辛くもなく、
しかも感動ともいえない、そんな涙が本当に有るのだと、
私は、「今ここ」に体感したのです。

ただ溢れる涙は、私の全てを受け止め、
慰労し、そして良いも悪いもなく、
私の命のエネルギー源となって私を輝かせてくれている。

これこそが、無条件に私を愛してくれている証なのだと私は理解した。

無条件に愛されている私と、無条件に愛している私が同時に存在している。

そして、この時、
私は本当に人間関係を大切にするカウンセラーになりたいと、
心底思う様になりました。

「究極のカウンセラーって…、成る程そうか!
クライアントのハイヤーセルフになりきる事なのだ!」

クライアントが解放の涙を流す為には、
自分が彼らのハイヤーセルフに近づく努力をし、
魂を磨いていく事、これから私が一生かけていく課題です。

つまり自己を見つめる事が大切な仕事になるでしょう。

もちろん知識や経験、テクニックも学びつつ、
命が終わるまで(終わらないけれど)それを目指していきたいと思いました。

論文の課題となった、
「自己を見つめる前と後での気付き」と言う意味では、
自己を見つめる先の頂上は無く、
ずっと頂上を目指して見つめていく事が、
私にとって「自己を見つめる」事だと知りました。

結局、レポートの中盤以降全部載せてしまったわい(≧▽≦)

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「ロンドンスピリチュアル心理学修了過程のレポート一部抜粋」

イギリスで溝口あゆかさんのカウンセリングセッションを
初めて受けた時の事。

私は、あゆかさんに雑談のつもりでこう言いました。
「4期生の皆さん(カウンセリングコースの生徒さん)は、
シクシク泣かれていて大変でしたね!」と。

それに対してあゆかさんは、
「泣いている事をシクシクって表現する事は、
那旺さんにとって、どんな感じですか?」って。

次第に、私は軽快に返事をしていながら、
心は口ごもってきて、ジタバタし始めました。

この時、あゆかさんから「泣くと言う行為は、
弱かったり、辛かったりして泣くばかりではないんですよ。
もっと違った涙も有りますよ。」

私は、「そりゃそうですよね、私は感動したりする時は、
ボロボロ涙を流す事もありますから」と反応した。

「それとも違って解放している時の涙は、シクシク感がないはずですよ。
エネルギーが湧いてきているはずなので、淋しい感じは無いはずですよ」
とあゆかさん。

その時私は、その言葉の意味が良く分からず、フーン??という感覚でした。

それが、数ヵ月後のセッションで、
私には心底理解する事になって行ったのです。

私の持つ自我の中で、結構厄介なのは、「ヤクザの親分風存在」です。

小さい頃から常に私と一緒に居て、ちゃんと私を守ってくれる親ビンは、
かけがえのない存在であり、
自分が弱いと思っている部分を強く躾てくれて、
しかも人情厚く、何クソと奮起を促してくれる。

私が成長する上では、かけがえのない潜在意識の一部でした。

しかし、そんな存在が私の中に居るとは全く気付いていなかったし、
居たとしたならば、それは私が生きていくためには手放せない人なのです。

仮に親ビンが私を指導してくれなかったら、
きっと命の危険を感じていたと思います。

でも反面その存在が私を重苦しくさせている事も、
数回のカウンセリングセッションで薄々理解して来ていたのです。

そしてセッションを進めて行くうちに、
「親ビン」の引退の時期が近づいてきました。
それは、親ビンを手放しても今の私なら命の危険を感じることなく
生きていけると言う意味です。

カウンセリングセッションでは、ユーモラスに引退の誘導をされたのです。
引退する事と引き換えに、盛りだくさんの報酬を親ビンは受け取り、
私は親ビンの引退をバーチャルだとは知りつつも、
喜んで受け入れても良いと承諾しました。

それから、親ビンは引退しましたが、
会長クラスの80%引退なので、
20%はちょくちょく顔を出して、
良かれと思ってちょっかいをかけて来てはいるものの、
その後のセッションは順調に進みました。

私の無意識の思考には、「弱い、強い」の比較の中に
自分の中心を置いていました。
それが私の思考パターンだからです。
しかし、いつまでもそれに囚われていたならば、
<やった、やられた><被害者と加害者>というゲームからは抜け出られない。
そして、遣る瀬ないエネルギーの消耗は目に見えています。

私にやっと準備が整い、解放の時がやって来ました。
もう何も守る必要もない自分を表現する時が来ました。

長くなったのでこの辺で。
次回もう少しレポートは続きます。

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9月7日の続きで、願望実現について書こうとしたけれど、
ちょっと横道にそれています。また戻りますが…。

前回、嘘泣き那旺ちゃんから始まって、
「涙は神様がくれた贈り物」のところまで書きました。

私は、子供の頃に人をおちょくって嘘泣きをしていたことは、
よく覚えているのですが、
本気で泣いた記憶がなかなか思い出せません。

そもそも何故、嘘泣きをする事を考えついたのかも定かではありませんが、

ただ、「本気で泣くという事は⇒ 弱っちい⇒ 弱いと大変なことになる⇒ 
     弱いことがばれると生きを恥さらす⇒ だとしたら死んじゃうかも」

という信念が有ったのかもしれません。
だから、自分の「弱さ」に向き合えていなかった。
結局は、人をおちょくりながら本当は自分をおちょくっていたのだ

人のカウンセリングをして気がつくことは、
上に書いたような信念の根っこに話が近づいてくると、
抵抗のサインが見えてくる場合がある。

それは、話があちらこちらに飛んだり、
クライアントさんの目が泳いだり、
気まずいのか、やけに饒舌になったり、
理論とか常識とかを持ってきて、とても早口になったりすることがあります。

これがやばくなってきたサインです。メモ

なにがヤバイって?
自分が長年避けていた本題に入ってしまうからです。
本題に入るということは、今までの考え方や生き方を手放さなければ
なりません。

大事なことは、手放すべき今までの考えや信念が悪いというわけではなく、
ただ、そろそろ手放さないと、この先、自分が成長できる可能性を
せき止めているのではないかと、魂レベルでは気がついているのです。

私のことを例にあげたとしら、

「【自分が弱い】ということを認めてしまったら、格好がつかない。恥ずかしい。」

ということは~~~~、
「私の全人格が否定される」ように思っていたのかもしれない。

でも、そういった長年付き合ってきた信念も、自分を守る為に大切な
財産だったと思います。保険みたいなものです。

保険の解約は、「手続きも面倒だし、そもそも元をとっていないのに
解約しちゃったら損じゃん。」
「今までの積んできた保険料を自分から手放すなんてアホのやることやんけ!」
と思いつつ、
「そろそろ、こんな重圧のある保険料を掛け続けて、いつ辞めるのさ。」
と囁く声も聞こえる。

「あ~面倒くさいから、今日も寝ちゃおう!
えっ!また寝ちゃうの?」
というふうに思考は堂々廻りに、な~るのだ~。

私の嘘泣きや、ポーカーフェイス、天邪鬼(あまのじゃく)的なところは、
自分の弱さを隠す保険だった。

じゃあ、本気で人前で泣くことが、
本当に弱いことなのか?みっともないことなのか?

そ~んなことは全くない。

逆に、自分を信じているからこそ、周りの評価なんて気にせずに、
「本気で泣ける」強さを持っている人なのかもしれない。

そんなことはわかっていた。(頭では)
でも自分にはそれが出来なかった。

私の天邪鬼(あまのじゃく)をサポートする存在がいた。
天邪鬼(あまのじゃく)強化月間が続く時もあった。

でもこれらの私の天邪鬼的人格は、私をそそのかしているのではなく、
私を本気でサポートしようとしていた。
私のアイデンティティを保護するために…。
必死だったあせる

では次回は、イギリスで学んだカウンセリングコースの修了課題レポートの
一部をお見せいたします。

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