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先生は何故来てくれないんじゃろか?

 

私だってみんなと同じ様に講座の
お金を払ってるじゃん。

 

そう言えば今朝、
気になった事がある。

大連病院に行く前、

ホテルのロビーに、

ヒーリングスクールの生徒たちが
集合しました。

 

そこで私とSさんがお話しを
していた時、

10メートルくらい離れたところに、
まだ面識のない3〜4人のヒーリング
スクールのメンバーが、

こっちを見て
ひそひそ話をしていた。

その時、彼女達はウチワで、
こっちの方をはらう様に、

 

「あっちへ行け!」

 

みたいな仕草を
何回かこちらの方に送ってきた。

まるでSさんがエボラ出血熱の
感染者であるかの様な仕打ち。

 

いくら普段「愛が愛が」とヒーラー
らしき事を唱えていても、

こういった窮地の時こそ、
その人の本質が見えてしまうものだ。

 

もしや、今・・・、

 

私が・・・、

 

霊安室みたいな病室に一人
でいると言うことは?

 

あれ〜、

 

そういうことなの〜?

 

誰も近づきたくないってか???

 

まさか〜。。

 

 

も~、人の事なんてどうでも
いいっす。

 

私が死んじゃわない程度に、
Sさんに私の出来る限りの事を
させてもらいまひょ。

 

私は祈った。

 

ここに光を降ろす様にと。

 

「暖かい光はとても気持ちが
いいよー。

これが本来のあなたたちがいる
べきところなんだよ。

 

だからもうゆっくり休んでいいからね。

 

もう無理しなくて大丈夫。

 

もうあなたを恐がらせたり、
悲しませるものなんて、
何もないんだから。」

 

うるとらまん 合掌

 

あまりの寒さに私は集中力が
途切れる事が何度もあった。

 

マフラーをして、
帽子をかぶって、
手袋もした。

あー、しゃむいぜ、しゃむい。

 

そんな時、アレ〜、

 

何だか暖かくなって来たじょー。

部屋は相変わらず寒いけど、
体がヌクヌクしだした。

 

そうしたら、
Sさんの顔色に赤みが出てきた。

ぴぐもん

 

あっ!Sさん、これで生き延びた‼️

 

やったー!!

 

 

時計をみると、
3時間も既に経過していた。

 

後でわかったことだが、
この時に私のSOSを霊能者が
受け取って、

バックアップしてくれてた
時間だったのだ。

 

こういう時こそ、
霊能者の存在は頼もしいものだ。

 

頬に赤みがさしてきたSさんは
目を覚ました。

Sさんはかなりスッキリとした表情
をして、

彼女のミッションの一つを
終えたかの様な安堵感
感じたようでした。

 

あーぁ、やれやれ。

 

やれやれと思った先に、
既に心理学のお勉強は終わっていた。

 

私はお金を払ってまで、
何のためにここに来たんやろか?

 

も~~イヤミを言っちゃうもんね。

 

<続く>

 

 

 

 

 

<前回から続く>

バスでの野ションタイムの時に、
二人の子供と母親に取り憑かれ
てしまったSさん。

下痢と嘔吐を繰り返し衰弱していく
Sさんに、お医者様から良質な漢方の
処方を貰っても、全く効かない。

そして、病院で診療をうけたSさんの
具合はさらに悪化し出した

霊安室の様な寒くて陰気くさい
病室に寝かされている。

生気の失ったSさんの顔を見て、
このままでは亡くなると思った。

お医者様も看護師も見当たらず、
放置状態。

何とかしなくては。

Sさんの下痢や嘔吐の原因が、

仮に憑依なるものなら、

薬ではお手上げだろう。

この時私はまだ魔法学校には
行っていなかった頃だったけど、

霊能者の近くで、彼の除霊する
ところを何回も見ていたし、

憑依された人の人生や健康が、
どんなに辛いものなのかを聞いていた。

そして、
特に死靈より生霊の方が高度な技術を
使っていることも目の前で見たし、

霊能者のする除霊のサポートもさせて
貰った事があった。

 

 

霊能者の除霊を見ていて、たまに
めちゃ迫力が有るときもあった。

一体や二体くらいの霊なら
穏やかに除霊を行うのですが、

30体くらいの集団になってくると、
霊能者の顔は、

普段デレデレした顔をしているだけに、

どらえもん でれ

 

その時の厳しい顔
際立つのだ。

 

「お前らのいるところではない。」

 

「去れ!」

 

どらえもん怒る

 

 


って、一喝。

凄い迫力。。

 

ビビるでざます。

 

私が、今からそういうの・・・、

 

するってか?

 

いやいや、キャラじゃないっす。。

 

私、大丈夫かな~?

 

生きて無事に日本に帰れるかな?

 

先生は何故来てくれないんじゃろか?

 

私だってみんなと同じ様に
講座のお金を払ってるじゃん

 

 

そう言えば今朝、
気になった事があったなぁ。

 

<続く>

 

 

 

 

 

 

<前回から続く>

バスでの野ションタイムの時に、
二人の子供と母親に取り憑かれ
てしまったSさんの
その後はどうなったんやろか?

 

ちゃんと寝れたかな~。

 

昨日は衰弱して顔が人間っぽく
なかったし

今朝は大連の病院で
心理学のお勉強をする日です。

 

ホテルのロビーに集まって
大連病院に移動するのですが、

 

あっ!Sさんを見つけました。

 

案の定、よれよれで目
くぼんでいる。

 

ホテルで一人で寝ているのが
イヤらしく、無理して来たん
ですって。

 

おとぼけ犬

 

 

Sさん:「那旺ちゃん、
昨日はありがとうね

まさか私にあんな事が起こる
なんて、本当にビックリしたわ。

あの時は両手がくっついちゃって、
勝手に祈ってしまったの。

それが止まらなくて、
何が何だかわからない。

でも那旺ちゃんと先生に
ヒーリングして貰って、

 

少しづつ落ち着いたけど。

 

でも、昨日から下痢と嘔吐で、
お湯を飲んでも、

もう胃は空っぽで何も出ない
はずなのに、吐き気が止まらない。

お医者様から高い漢方の薬を
貰ったけど、全く効かない。

これから大連の病院で
診察して貰うつもり・・・」

 

私:「そうだったんだね。
でもこれから病院にお勉強しに
行くんだから、安心だね!

 

大連の病院は大きかった。

日本ではとても及ばないほど、
ベットの床数が多いんだよね。

 

ところが、心理学の講義が
始まって直ぐに、

病院で診察をうけたSさんの具合が
悪化し出した

 

何故か、始まったばかりの講義中に
私は先生に呼ばれ、

 

Sさんの面倒を診るように
頼まれたのです。

病室に行ってみると、
Sさんは殆ど意識を失っていた真っ青

 

彼女が寝ていた部屋を見た時、
私は霊安室かと思った。

 

何しろ寒い
室温は0度。
布団は湿っていて分厚くて重い。

いったんもんめ

 (寒いぞ、ブルブル・いったん木綿・
ひ~らひら~~)

医者も看護師も見当たらず、
私はいったい何をすればいいの
だろうか?

生気の失ったSさんの顔を見て、
このままでは亡くなると思った。

 

何とかしなくては

何で、こんな深刻なSさんを残して、
皆は勉強なんかしているの?

ヒーラーなんだから、
こういう時こそ結束して、
彼女をヒーリングして欲しい。
先生は何でそばにいてあげないの?

 

と思いつつも、今私が出来る事は、
Sさんの足から

腐敗した様な物質
取り出さねばならない。

 

仕方がない。

一人でやろう。。

 

< 続く >

うっすら曇っていた何かが
段々、見えてきた。

 

北京から大連への飛行機が
突然欠航になった事も、

 

大連行きの高速道路が天候不全
でもないのに閉鎖された事も、

 

私が中国行きを決める時に、
大連は寒いし、

 

中国に行ってもきっとつまらない
だろうと決めつけて、

頑なに中国行きを断っていた
理由も何となく見えてきた。

それは、戦中、日本人が満州から
引き揚げ時に通った道のりを、

私たちヒーリングスクールのヒーラー達が、
今の時になって再体験しなくては
ならない役目があったのだろう。

 

先生が私を中国行きに強く
誘った理由も、これから先、
よーく分かってくるのだー。

 

さて、8時間の霊と一緒の
バス監禁事件は間もなく終えようと
しています。

そろそろ大連の市内に入りました。

急に街並みが変わった様に感じます。

大通りの両サイドに旗
振っている中国人が沢山います。

 

今日はマラソン大会でもあるのかな

ニコニコ(^^)とフレンドリーな
笑顔をして旗を振っています。

あちらこちらにも垂れ幕が
掛かっています。

何て書いてるんやろか?

 

アレ〜、あれれ〜。。

 

「ヒーリングスクール歓迎‼️」

って書いてるね〜。

 

それって「どなた?」…。

 

「どなた」じゃね〜だろうに、

 

御前様達じゃろ!

なんでだろう、

なんでだろう、

なんでなんでだろう〜。

 

なんでだろう

 

 

この沿道の旗振りは
何百メートルもずうっと続いていた。

どうやら、
今回ヒーリングスクールに
課せられたプログラムの中には、

 

大連の病院とヒーリングスクールの
共同プロジェクトを立ち上げる為の
キーマンがいた。

その方は大連病院の医者でもあり、
大連の副市長さんでもあったので、

きっと市の絡みで大連市民の
皆さんに、ヒーリングスクール歓迎
の旗振りの司令がされたのだろう。

 

 

それにしても、こんなの初めて。

 

バッサバッサと旗振りされて、
凄い一体感です
気分良いような、

そうでも無いような、
複雑な気持ちっす。

 

これから心理学のお勉強やら、
観光やら、美味しい食事やら
美味しいデザートやら、飲茶やら、

美味しい食事やら、
デザートやら飲茶やら、

味しい食事やら..,

それ言ってると終わらないでしょ

 

中国のお食事は安くて
美味いっす。

サービス悪いけど

でも、さすが8時間の霊と一緒
のバス監禁事件の疲れは、

 

皆さんの顔を見ればわかります。
目の下がクマだらけになっとります。

 

くまもん

 

ぎょぎょぎょ‼️


みんな憑依


されてるんやろか?

そう言えば、

バスで隣に居たSさん、
どんなやろか?と目を向けると、

 

やっぱりヤバイっす。

それも、かなりです。

生きてない感じ。

 

と、と、と、

とりあえず、今日はホテルで
休む事にしましょうね〜。

<  続く >

野ションからバスに戻ってみたら、
隣のSさんが、

突然手を併せて震えている。

「うっうぅ~ごめんなさい!
ごめんなさい!真っ青」  って、

罪悪感むき出しの表情で、
苦しそうにうめき声をあげている。

Sさんは、普段、自分は鈍感だと
言っていたけれど、

なんのなんの。
しっかり憑依ってるぞ。

 

先生は、
「窓のカーテンを閉めなさい!」

っと、大きな声をあげて
生徒に支持を出した。

 

なななんと、野ションをした場所から、
靈が私達に付いてきて、
集合し出したのだ。

走っているバスの窓から、

山盛りの幽霊が
窓に張り付いて覗いていた・・

・・らしい。(実は私には見えなかった)

 

先生:「那旺ちゃん、早くヒーリングを
しなければ!!」

と先生に促され、
先生と二人でヒーリングを始めた。

先生:「双子の子供2体と、その母親
の靈が、Sさんに乗り移っているわ。
それだけでは無さそうだけれど、
今は分からない。。

Sさんは顔色が蒼白になっている。
これは、相当ヤバイかも・・・・。
っと直感でわかった。

先生と私は集中して、
Sさんにヒーリングを送り続けた。

タイムメリディアンの社長は、
彼にとってヒーリングというものが
斬新だったようで、

私たちの迅速な態度を見て、
感心してくれたみたいです。

 

 「僕は、

本当に感動した!!

感動

 

って言いながら、
私たちがヒーリングをしている姿を
ずっと見ていてくださった。

 

Sさんは、なかなか意識を
戻さなかった。

「あ~、悲しい。ごめんなさい

って、飢えで死んだ子供の
お母さんの顔になって手を
併せている。

本当は自分も死んでいるのに
靈は気づいていないようだ。

このお母さんは戦後60年過ぎても、
まだ同じ場所で、同じ感情で
苦しんでいるのだ。

感情には時間がないのだ。
過去も未来も今ここにある。

 

それから、1時間もしたら、

先生:「2人の子供と母親の靈は
静まった
ようだわ。

でも、あとは・・。
とりあえず今日はこの位にしましょう」

っと先生がいうと、

手を併せて震えていたSさんは
手が離れてグッタリして寝てしまった。

 

そして私たちもいつの間に寝た。

 

あとでSさんに聞いたら、
先生の仰っていた通り、

子供連れのお母さんの靈が
入ってきて、

お母さんの悲しみが伝わってきて
どうしようもなかったと言っていた。

野ションをした道は、
戦争中、兵隊さんたちが満州から
引き揚げようとしたが、

途中で食べ物が無くて飢えや寒さ、
病気で行き倒れになったという
場所だった。

要するに、私たちが通ってきた
バスの経路は、

戦争の引揚者が行き倒れに
なった道を、ずっと通ってきた
ことになる。

飛行機も、高速道路も、
私達にわざわざ使わせなかった意味が、

これを聞いて何となく分かった。

 

「迎えに来てほしかったんだね!」

 

「苦しみを分かち合って欲しかった
んだね!」

 

 「人生をもっと楽しみたかったんだね!」

 

 「何か伝えたいことがあったんだね!」

 

「誰かに言い残したことが有ったんだね!」

 

「生きてきた証を思い出して
欲しかったんだね!」

 

きっと靈たちは自分が
死んだことにまだ気づいて
いないのかもしれない。

 

かわいそう

 

辛かったね。
戦争の為に・・・。

 

愛しています

 

<続く>