心震える祝詞を求めて⑤

前回では、

白川伯家神道は、
孝明天皇の時代から、あることが
きっかけで、排斥されてしまったと
書きました。
皇室内の権力争い?だったのでしょうか?
深いカラクリはわかりませんが、

七沢研究所のサイトでは、
七沢先生が継承するまでの経緯が
書かれているので参考にしてください。

 

力のあるもの、価値のあるもの、
本物、能力のあるものは、
色んな困難にあい、

排除されてしまうものです。

でも、小さく息を忍ばせながら
死に絶えるぎりぎりの状態でも
復活するのです。

 

とも書きました。

 

 

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ブル!いつまで寝むらされてるの!
もういい加減起きなさい。
顔が腫れてるよ〜

 

これは、直伝霊気の歴史でも同じような

ことがありました。

マッカーサから霊気を取り上げられ
てしまいながらも、

極わずかな者に継承され、
また継承された人が亡くなる間際で、
また必ず次の継承者が現れる。

それは、決して血のつながりがあると
言うわけではありません。
家督制度とは、血の繋がりを意味する
ものではないと思います。

そこにある宝物を継承するだけの
力のあるもの、志のあるものが
継承すればいいのです。

葬式をするだけの家柄を継いだ
神職は、実質の機能を
見い出せていないと私は思っています。

今韓国でも、マスコミを賑わして
いるナッツ事件。

大富豪が財産を子供に継がせるのは
わかりますが、

どんなにおバカでも、性格が曲がって
いても、経営権さえも家督制度と
なっています。

 

これが私の結論です。

なぜ私が、神職を得たいと思ったか!

それは、あまりにも心が通わない
葬式が横行し、

お金は高いし、死者をとても成仏させて
くれているとは思えない。

そんな気がしてなりませんでした。

もっと心温かい弔いが世の中に
有ってもいいんじゃないだろうかと思いました。

それが神職を得たいと思ったきっかけです。

仲間たちで、そんな素敵なセレモニーが
出来る気がしたのね。

もう10〜30年位前になりますが、
父、母、義理の兄の葬式を出した時から
違和感を覚え、

そんな思いが膨らんできたのです。

 

<終わりたいが、まだ続いちゃっています>